Dr.Lukeの一言映画評:『関心領域』
これは一言、怖い。と言ってもスパラッター物でもないし、人が殺される戦争場面もない。単にルドルフ・ヘス一家の”平和な”日常を淡々と描いているだけ。観るのが怖い人はこちらをどうぞ。 が、そこはアウシュヴィッツ収容所の隣、彼らの日常に”声”や”音”が混じる。荷車の荷物が運ばれるやドレスを着て自分を鏡に映すヘス婦人、花壇に灰を撒いたり、歯磨きチューブからダイヤを見つけて悦んだりする家族たち。息子は人の歯を・・・。 この映画を鑑賞するカギはこの記事を読むと分かる。日本語と英語(ドイツ語も)の世界認識の相違によって生じる感覚が異なるのだ。つまり日本語的認知マトリックスに生きる人には意味不明となるでしょう。人は自分が用いる言語によってそれぞれ生きる世界を構築する。 シーザーが喝破したように、人は自分の見たいものを観て、聞きたいことを聴く。私の言う認知の選択的透過性だ。その線引きの内と外、これが「関心領域」を生む。まあ、今の”平和な”ニッポン社会でも普通に起きている事態ではある。いや、その線引きしないとヒトはそもそも生きることができないのかもしれない。 ちょっと夏には早いが寒くなりたい人はぜひどうぞ。 ちなみに「ルドルフ・ヘス」はふたりいる。一人はナチ党の副総裁を務めた男(ヒトラーの『我が闘争』を筆記、ニュルンベルク裁判で幽閉され、後に自殺とも暗殺とも)、そしてもう一人がこのアウシュヴィッツ収容所長のヘスだ。彼は敬虔なキリスト教徒(カト)であった。 戦時、己の「関心領域」の利益のためにハイル・ヒットラーならぬ、天皇マンセーで柏手を叩き、教団に属すことを拒否した兄弟姉妹を官憲に売ったわが国の日本基督教団を連想させる映画でもある。
2024/05/31 18:05