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人生のまさかの坂は円(まる)だった https://blog.goo.ne.jp/genkidenet

20年ほど前から哲学作家新田論氏の勉強会、平成セミナーの事務局でサイト管理しながらの報告です。

『後悔先に立たず』の諺は人間にとって唯一最大のテーマである『自分の死にたいする理解不足のままでは後悔するぞ…』の意味だったようだ。 夫婦の中、家族の間で『語り合えない死』のままでは、死を知って生きている人間としての価値観の共有が出来ない筈だ。そこで自分の方から死への好奇心を深めながら、死の理解への学習に取り組もうと決めたい。

元気な乙っサン
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出水市
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2017/02/09

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  • 6-7人間の進化は誰が担うのか

    これに懲りない学門の世界では、今度は宇宙に存在する物質の多くが暗黒物質というものであって、暗黒物質の質量はゼロである、とまたまた主張し始めています。人類が知らないだけであって、知らないものは存在しない、つまりゼロであるとする考え方が傲慢そのものといえます。物質は質量があるから物質というのではないでしょうか。これは、極くシンプルな真理のはずです。宇宙に遍在する物質の質量を計ることができないから、宇宙は膨張し続けると主張するのは、シンプルな真理を全く無視した人類の傲慢さからの発想です。膨張するなら収縮するのが、運動の光と音(喧騒)の宇宙では当然の理です。従って、運動の光と音(喧騒)の宇宙に生きている限り、人類も発展・進化の過程と衰退・退化の過程があるのが当然の理です。そうしますと、全体と部分の法則にも新たな発見です...6-7人間の進化は誰が担うのか

  • 6-6.四苦八苦の原因と結果は・・・

    知性をもった人間が、生きるなかで生・死、オス・メス、善・悪、強・弱、賢・愚、貧・富、幸・不幸、天国・地獄の二元要因を対立関係と捉えたのも、知性という区分け(差別化)であり、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄を否定概念と捉え、死・メス・悪・弱・愚・貧・不幸・地獄の単なる不在概念である生・オス・善・強・賢・富・幸福・天国を肯定概念つまり好いものだと捉えたのも、知性があるが故になした自他の区分け意識からの差別化によるものです。私たちが、生・死、オス・メス、善・悪、強・弱・・・・の言葉を使い分けるとき、両天秤にかけながらバランスをとる意味で使いながら、知らず知らずのうちに健康を追い求め、病気を忌み嫌い、健康・病気二元論の世界で生きているのです。ところが、仏教の開祖である釈迦は。人生は、生きる苦、老いる苦、病む苦、死ぬ...6-6.四苦八苦の原因と結果は・・・

  • 6-5.人間学を学んで本当の自分を知る

    人間の中の自然性としての根本は相手を思いやる心と優しさであると思います。周りの人に対する思いやり、やさしさ、いたわりの心というものを持って、この人生を過ごしたなら、私たちはみな幸せな人生を送るでしょう。それによって自分の心の中も平穏なまま、この人生を過ごしていくことができるはずです。このような意味で人は皆、人としての在り方を知って生まれているといえます。このように、よく人は「可能性を持って皆生まれてきている」といいますが、小生が学んでいる新しい人間学では、可能性として未来に持てる概念として捉えるのではなく、人間の中の自然性(本性)として捉え、これが人間の在るがままの姿であるとして捉え、宇宙の法則の「在り方(本質)と考え方」の問題として捉え、「人間とは?」をこれまでにない視点から考察しながら本当の自分を素がしてい...6-5.人間学を学んで本当の自分を知る

  • 6-4.人間社会の中での本当の自分

    とても座り心地のいい立派な椅子に座っていても、ふかふかのベッドに寝て休んでいても、私たちは自分の心に安らぎがないと心の平安を感じません。またいくら美味しいものが目の前にあっても自分の気持ちが乱れ、いらいらして興奮している時は食べる気持ちになれないものです。そんなときは何を見ても、何があっても、嫌な気分が続きます。しかし、それと逆に自分の身体の具合が一寸位悪いときでも、心の安らぎがあれば心穏やかな幸せ感を感じたりします。私たちは心の安らぎを得るためにはある程度、身体の痛みが伴なってでも、その安らぎのほうに向かおうとする気持ちを持ちます。ですから、私たちには身体(肉体)の満足・快楽も大変大事ですが、それ以上に心の平安が大事で、身体と心とが心地よいことが幸福であると言えます。心の平安というものは、ただぼぉーっとしてい...6-4.人間社会の中での本当の自分

  • 6-4.人間社会の中での本当の自分

    とても座り心地のいい立派な椅子に座っていても、ふかふかのベッドに寝て休んでいても、私たちは自分の心に安らぎがないと心の平安を感じません。またいくら美味しいものが目の前にあっても自分の気持ちが乱れ、いらいらして興奮している時は食べる気持ちになれないものです。そんなときは何を見ても、何があっても、嫌な気分が続きます。しかし、それと逆に自分の身体の具合が一寸位悪いときでも、心の安らぎがあれば心穏やかな幸せ感を感じたりします。私たちは心の安らぎを得るためにはある程度、身体の痛みが伴なってでも、その安らぎのほうに向かおうとする気持ちを持ちます。ですから、私たちには身体(肉体)の満足・快楽も大変大事ですが、それ以上に心の平安が大事で、身体と心とが心地よいことが幸福であると言えます。心の平安というものは、ただぼぉーっとしてい...6-4.人間社会の中での本当の自分

  • 6-3.人の中の社会性は何処へ

    このような価値観の変化は農業をやっていても、昔のように直接その畑と土を耕し、自分自身の力で一所懸命働いていたのが、時代とともに直接畑の土を耕すということを止め、工業化・機械化が進み、どんどん機械化による農業に変化することで、自然とかけ離れてしまい、いわゆる田舎に住んでいても自然との接し方が機械的になってしまい、昔のように自然と密接な関係でいるのではなく、機械に接する時のように、人間としての気持ちの使い方も機械的になってしまいます。もちろん機械化や省力化や科学的農業は人間に裕福な生活や重労働からの開放を与えてくれたのですが、それと同時に、今言ったような人間の本性が、少しずつ変化してきています。他の生き物の住む環境は人間による開発と環境破壊によって大きく変化してしまいましたが、生き方そのものは、その動物特有の在り方...6-3.人の中の社会性は何処へ

  • 6-2.人間の「本来の在り方」は何処へ

    ミツバチたちは皆力を合わせて一所懸命働いています。力を合わせて女王蜂を守り、卵を守り、幼虫を育て、大集団が一つの塊みたいに整然と働いています。蜜蜂社会には憲法も法律も、教育というようなこともありません。人間社会的な規則は特別にないけれども、蜜蜂たちはみんな一致団結して整然と働いています。このように集団性を持てば生きていけるということを生まれながらに知っているのです。それを自分たちの「在り方」として受け入れて、在るがままに行動をしているだけです。蜜蜂と同じように、人間も原始社会では、お互いに頼りあって集団生活をしていたことでしょう。このように人間も集団社会性を持っているのが自然性(在り方)の一つだと思います。ですから人々は、ひとつの集団になって社会生活することを大切にし、意義あることであると考えていたし、それを重...6-2.人間の「本来の在り方」は何処へ

  • 6.自然の中の人間性を問う

    137億年前のビックバンを経て宇宙が誕生した教えが定着して、ビッグバン後の38万年を経て『宇宙の晴れあがり』が起こったことが受け入れられている。この説はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、ビッグバン理論において宇宙誕生後、38万年後初めて光子が長距離を進めるようになった時期を指す。この「宇宙の晴れ上がり」という命名は日本の佐藤文隆先生によるそうだ。すると、宇宙が透明になったということは、宇宙の基礎ができあがったことをさしているようだ。このように宇宙にも『晴れ上がり』があったように、私たちの『心』にも『心の晴れ上がり』が有ってもおかしくない筈なのに、『人間の心の晴れあがり』についての研究に、科学者はあまり関心がないようだ・・・私たちも地球上に生まれ落ちるるというビッグバンを経て誕生した...6.自然の中の人間性を問う

  • 5-4.自我意識(エゴ)が陥った二元世界

    これまでの常識では自分の死後も、心、精神、思い、考え、魂、霊等々は、輪廻転生するがごとく語られているが、自分が人間の姿をしてここに立っているということは、受精から細胞分裂を繰り返し、胎内で生命体として、進化の系統発生の全過程を経て、誕生する頃の胎児は進化の最先端の遺伝子を持って、人間の姿・形になって生まれ落ちているだけで、動き始めることで肉体(体内)に『意識』が生まれ、見たり聞いたりする五感が働き始めながら、知性を有する人の子へと成長する。気にもせず使っている『生まれ落ちる』とは、地球の重力に引っ張られて地表に生まれ落ちる意味の落ちるで。総ての動物は地球の重力下で、地球の意識下に置かれ、太陽からのエネルギーを受けて、心臓は規則正しく血液を体中に循環させ、肺も規則正しく呼吸し始める。犬は犬の姿・形で、猫は猫の姿・...5-4.自我意識(エゴ)が陥った二元世界

  • 5-3.自我意識(エゴ)が働く仕組み

    まさに、自我意識(エゴ)が人に芽生える訳は、自然の仕組みの中で全体と部分の相対性の仕組みの下だったのだ。宇宙船地球号に存在している動物・植物・鉱物、そして人間も含めて動いている(存在している)モノ総ては、地球と一緒に、全体である太陽の周りを、自転しながら公転する仕組みの下で誕生・生・死の円回帰運動の過程から生まれていた。この自然の仕組みを、そのままミクロの世界まで当てはめれば、「太陽を全体」として「地球は部分」であり。「地球を全体」として「人間は部分」であり。そして「人間を全体」として「身体の各器官は部分」に当たり。「心臓を全体」とすれば「その細胞は部分」として繋がり。「細胞を全体」とすれば「分子が部分」で。「分子を全体」とすれば「原子が部分」で。「原子を全体」として「原子核が部分」で。「原子核を全体」とすれば...5-3.自我意識(エゴ)が働く仕組み

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