江戸の町火消は火事場の物は持ち主に返すという掟を守りぬいた
ただの漁村だった横浜が人口の多い港町になると、当然仕事を求めて江戸の鳶職人たちも大勢やって来たのだろう。そして火消の組が出来てその掟も守り抜かれたから、火事場の物に手を出すことなど誰にも許さなかったのだ。そんな掟などなかった長崎では、どうせ異人の物だと勝手なことをする連中がゾロゾロいても不思議ではない。オールコックは日本人について比較的好意的だが、両刀を携え殺気だった「武士」と「人糞肥料」だけは不愉快極まりないと述べている。このブログにも書いたが、日本の人糞肥料は欧米人には異様に見えたらしい、欧米でももちろん家畜の糞は肥料にしたし人糞だって使った例はある。しかし人口密度のはるかに少ない粗放農業なので人目に触れることがなかったのだろう。あと本当に恐ろしかったのは「地震」だそうである。地面が動くなどありえない暮らし...江戸の町火消は火事場の物は持ち主に返すという掟を守りぬいた
2021/04/22 14:37