映画をストーリー以外の視点から見た感想。その他海外ドラマ、音楽、時事ネタ、駅乃みちかについて。
GW明けから急に忙しくなりました。冬から春にかけてあんなにヒマだったのに。 易経でいう「窮まれば変ず」ということなのでしょうか。 「窮まれば変ず」とは、物事は全て窮まった瞬間に変化する、ということ。冬が窮まれば夏へ、夏が窮まれば冬へ。行き詰まることなく頂点に辿り着くと転化して流転する。失恋した女性が哀しい唄を聴いてどん底まで沈めばスッキリする、と言ってるのは、知らず知らずのうちに「窮まれば変ず」を上手に使っているのでしょう。 しかし物事は、窮まるまで変化しないのでしょうか。 もういい加減変化してもらえないかなー、と思っていることの一つにここ数年の映画予告篇と映画作品の公式サイトがあります。 予…
以前に『ゲーム・オブ・スローンズ』の出演者の小物感について書いたことがありました。 ハンサムで本当はカッコいいはずなのに、器の小ささがムンムンと漂っているのは物語なのか演出なのか衣装メイクなのか演技なのか、自分には分からない、という話です。その中で、日本人の小物感俳優は見た目が弱そうだったり意地悪そうな顔をしていたり、それっぽい人しかやらないことに不満を垂れていましたが、忘れていました。日本にもいました。『マイ・バック・ページ』をHulu で見なおして思い出しました。 この映画に出演している松山ケンイチさん。小物感が凄いです。器の小ささっぷりといったら女性が飲み会で10回はネタにできるのではな…
『晩春』ホームドラマの皮を被った恐怖映画あるいは小津と原と小室と華原と。
5月に入りました。GWも後半。ちょうど今頃、5月あたまから立夏の前日までを晩春と言うそうです。非常に短い期間、およそ6日間、儚い。原節子が小津安二郎作品に出演した数、6本と同じです。その1本目、名作『晩春』。その後の小津作品に幾度となく登場する娘の結婚をめぐるホームドラマのスタイルを決定づけた作品、と冠がつくことが多いですが、久しぶりに見返したところ、日常どころか非日常、異世界、どこかおかしい、恐ろしい作品だと感じました。独特の違和感がある、観ていて不安な気持ちにさせられたのです。日常の皮を被った非日常を淡々と綴る『晩春』。しかし、いったい何が不安にさせるのか?
ライブ配信の視聴可能な端末がPCのみなんですね。野球を観たい人たちの心情は、帰宅前はスマートフォンで、帰宅後はテレビで、ではないのでしょうか。少なくともこれを書いてる40代のオッサンの気持ちはそう。PC観戦が一番需要がないんじゃないかな。そのうちTVもスマホも視聴可能になるのでしょうが、その時期はいつなのか、賭けているプロ野球選手がいるとかいないとか。
『桐島、部活やめるってよ』問十二、東出昌大の( )に入る言葉を埋めよ
映画『桐島、部活やめるってよ』を「視線のやりとりの映画」として見てみることで、エンドロールの宏樹( ) 東出昌大のカッコに何が入るのか考えてみます。ちょっとしたお遊びなので、あまり真面目に受け取らないで下さい。
「ブログリーダー」を活用して、cathexis-impishさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。