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  • 大和の秋の野辺

    10月の初め、飛鳥や桜井の辺りをドライブすると、あちこちにコスモスが。真っ青な空の下、白、ピンク、赤の花がかれんに揺れています。黄花コスモスも。萩の花はもう終わり。ホトトギスが盛りです。秋明菊、紫式部、薄、秋ですねえ。と思うと椿や朝顔も咲いています。もっとも、朝顔は秋の季語ですが。とてもきれいな橙色がかった椿と薄青い朝顔を見つけました。大和の秋の野辺

  • なっちゃんの犬生2

    4年前、10歳のころ、まだ茶色の毛が艶々でした。レインコートを着せるとフリーズしていたのを思い出します。娘となっちゃんの絵もかきました。去年ぐらいから、顔の毛も白髪になり、寝ていることが多くなりました。ちっちゃい、かわいい、おばあちゃん犬になりました。犬猿の仲だったふゆくんとも喧嘩をしなくなり。お気に入りのピンクのブランケットの上で逝きました。いまだに悲しい。なっちゃんの犬生2

  • 長岳寺 山の辺の道

    纏向の古い宮跡や古墳を巡ったのち、山の辺の道沿いの長岳寺に立ち寄りました。長岳寺は天理と桜井を結ぶ山の辺の道の南コースの中間ぐらいにあります。北コースは天理の石上神宮から奈良の新薬師寺までですが、今では、山の辺の道と言うと、大体南コースを思い浮かべる人が多いようです。9世紀初め、弘法大師が建立したと言いますから、なかなかの古刹。数度目の訪問でしたが、いつも猫がたくさんいます。今回も門のところに番人(番猫?)のように、でんと坐っていました。江戸時代に猫の子を譲ったとか譲られたとか、謂れがあるようです。猫を目当てに来る観光客も多いそうです。今は庫裏として使われている旧地蔵院。建物もお庭も素敵です。ご本尊は平安時代の作の阿弥陀三尊。堂々とした美しいみ仏たちです。境内には、萩や秋海棠の花が咲いていました。秋です。長岳寺山の辺の道

  • 纏向で古代を偲ぶ3 檜原神社

    相撲神社から少し桜井寄りの山の辺の道沿いに、檜原神社があります。垂仁天皇の先代の崇神天皇の時代創建というから、何しろ古い。宮中でお祀りしていた天照大神を伊勢にお連れする際に、ここで一時お祀りしたというので元伊勢とも呼ばれます。知る人そ知るパワースポットで、大神神社を遥拝する場所にあるとか。以降の神社とは形の違う本殿が、変な言い方ですが、ちょっとしゃれています。後の時代の悲劇の皇子、大津の皇子の眠る二上山を遥かに望むことができ、感動的です。纏向で古代を偲ぶ3檜原神社

  • 纏向で古代を偲ぶ2 古代の宮跡

    纏向には4世紀ごろの垂仁天皇の珠城の宮と次の景行天皇の日代の宮と伝えられるの二つの宮跡があります。景行天皇は日本武尊のお父さんです。4世紀というから天智天皇などの飛鳥時代よりさらに2世紀も古い古墳時代、神話の時代です。飛鳥に比べると丘陵地です。今はただ田んぼが広がっているばかり。すぐそばに、景行天皇陵があります。纏向日代の宮跡から少し上ると、ほんとに小さな相撲神社というのがあります。穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうず神社)という古い由緒ある神社の摂社です。垂仁天皇の御代、ここで野見宿祢と当麻蹴速が初めて天覧相撲を行なったとか。それにしても、古代の名前は難しいですね。人の名前も、神社や宮の名前も、漢字だけでは読めません。纏向で古代を偲ぶ2古代の宮跡

  • 纏向で古代を偲ぶ1 箸墓古墳

    山の辺の道の桜井寄りの一部に纏向(まきむく)と言う地域があります。その中でひときわ大きいのが、卑弥呼の墓ではないかと言われる箸墓古墳です。3世紀後半から4世紀ごろの前方後円墳です。宮内庁では第7代孝霊天皇の皇女倭迹迹稚屋姫命(やまとととひひももそひめのみこと)という舌を噛みそうなお名前の姫皇子さまのご陵ということになっていて、内部の発掘調査はできないようです。できれば色々分かるかもしれませんね。天皇のご陵ではないからか、有名な割にそれほど手入れもされず、木々がうっそうと生い茂り、ひっそりと素朴な佇まいです。かたわらに咲く真っ赤な彼岸花が唯一の色どりでした。纏向で古代を偲ぶ1箸墓古墳

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