何も刺激がない退屈な生活だが、それは平和である証拠だ
皆さまこんにちは。6割主夫です。 セミリタイアをして4年目が終わろうとしていますが、最近はサラリーマン時代に味わった嫌な月曜の朝の気分を味わうことなく、平和に過ごしています。 今は確かに刺激も何もない一見味気ない生活ですが、何もないということはある意味平和だとも言えるでしょう。退屈であることにある意味感謝しないといけないのです。 「退屈=苦痛」ではない 世間ではよく「退屈=苦痛」だと感じる人も多いことでしょう。 だけどワタクシにはそういった概念は一切ございません。退屈ということは何事もなく平和である証拠。言い換えれば何かが起これば、場合によってはメンタルに大きく影響を与えることにもなりかねません。 退屈であればネットサーフィンでもゲームでも読書でもウォーキングでも昼寝でも何でもすればいいのです。別に無理に趣味を作ろうとしなくても自分のしたいことをすればいいだけです。 ワタクシであればネットサーフィンか昼寝、もしくは掃除をするでしょう。せっかく自分の時間を確保するために仕事をやめてセミリタイア生活をしているのですから、それを退屈で苦痛だと言っていると非常に損をします。 時間は有限です。であれば退屈だと言っている間に何でもいいので何かをするべきです。 平和が一番 生きていく上でトラブルはやはり避けたいものです。自分一人ならまだしも、家族や仕事上で何かあれば精神的にもよろしくありません。 今のワタクシ個人でいえば、やはり子どもに何かトラブルがあるのが一番嫌です。病気やケガなどをされるのはもってのほかです。 とはいえ、子どもは今2歳半。ちょうどイヤイヤ期真っ盛りでとにかく無茶ぶりがひどく、時にはケガをするのではないかといったことばかりします。 何も無ければいいのですが、何かが起こると大変です。それだけでも精神に良くないです。 そういうのを考えると本当に平和な日常が非常にありがたいと感じる今日この頃です。 最後に 繰り返しになりますが、退屈だなあと思えば何かをすればいいだけです。 個人的におススメするのは掃除でしょうか?普段から掃除はしていても、普段どうしてもできないというところは必ず存在します。サッシの隙間やレンジフード、台所のシンクや浴室周りなどなど…。
2019/03/04 09:59