祥一郎が旅立って8年が過ぎました。あれから8年、もう8年、やっと8年・・・・・・・どれも違うような気がします。私にとってはやはり、ああ長かったなあ、8年・・・・というのが正直な気持ちです。毎年暮れに思うのですが、一年に三年くらい歳をとったような、そんな感覚もあ
私は2015年末、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎と突然死別しました。これは彼の生きた証です。
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祥一郎が旅立って8年が過ぎました。あれから8年、もう8年、やっと8年・・・・・・・どれも違うような気がします。私にとってはやはり、ああ長かったなあ、8年・・・・というのが正直な気持ちです。毎年暮れに思うのですが、一年に三年くらい歳をとったような、そんな感覚もあ
今年もまたこの季節がやってきた。そしてあれからもうまる8年になろうとしている。悲しみや孤独は、手を変え品を変え私の周囲に蟠る。しかしここまで生きてきた現実がある。まがりなりにも生きてきた現実が。まだ終わりは見えない。私にはまだこの世での課題があるのかもしれ
かなり日記を書くのが空いてしまった。ごめんね、祥一郎。おっちゃんは何とか生きているよ。この酷暑に喘ぎながらも、何とか生きているよ。体調を2回も崩してしまって大変な思いをしたよ。後に罹ったコロナの後遺症で、今も体調が悪い。疲れやすくなったし、髪も薄くなった。
私は別に野球というスポーツには、まったく興味が無い。いや、寧ろ積極的に嫌いと言っていい。それには色々な理由があるけれど、まあそれはまた別の機会に。けれども、やはりどうしても国際試合になると結果が気になる。矛盾した小市民の私。今回のWBCも日本の下馬評が高かっ
私は東京生まれではあるけれど。物心ついてから30代半ばまで、大阪で暮らしていた。しかし、私はいつかまた東京へ戻るんだという確信めいた気持ちがあったようだ。高校時代の友人も、なにかにつけて私が東京へ行くんだと呟いていたことを言っていた。別に何か夢があったわけ
去年も押し詰まったある日。(あ、カレンダー買いわすれた・・・・)と思ったが、別に大した予定もない独り身のこと、別にいつでもいいや、というのがいつものことだった。しかし、その日は違った。風呂に入り飯を食って、さあ早めに寝ようと思ったのだが、どうしてもカレン
7年・・・・・・・・私は甘く見ていた。6年も7年も経てば、私はもう・・・・・しかし現実は違っていた。祥一郎への想いは、何一つ変わっていない。悪戯に時は流れ、私はどっぷりと歳をとり、あの素晴らしかった祥一郎との20数年を想い、大きな闇の穴の淵に座っている。その闇
嗚呼、クリスマスになるとやはり想い出す。あの年のクリスマス。私はいつものクリスマスのように、鶏モモのローストとなにがしかのオードブルを作って二人で食べようとしていた。しかし、祥一郎はそんな重いものはもう食べられなくなっていた。亡くなった後、冷蔵庫で見つけ
今年もこの時期がやってきた。あの年のきょう、もう祥一郎の命があと一週間も無いのに、私はいつも通り年を越せるものだと思い、新しい家具などを揃え、知人まで家に招こうとしていた。祥一郎は、「うち、しんどいから寝てるで。」と言っていたのに。私の後悔は未だ尽きない
祥一郎。2度目の美女と野獣は楽しんでくれたかい?10月30日、お前の誕生日当日。抜けるような青空。あの時の赤坂とは違って、今回はディズニーリゾート内だ。そう、あの時・・・・・1995年、「美女と野獣」が日本での初演の年。お前は行きたいと言って、おっちゃんがしり込
この喪失感は何だろう。・・・・。覚悟はしていたはずなのに。できるだけのことはしたつもりなのに。クロの死は、私の喪失感を更に大きくしている。勿論、祥一郎を喪ったときとは比較にはならないけれど。それでも、決して小さくはない、さらに大きくなった心の穴。これは単
祥一郎・・・・・・クロが虹の橋を渡って、そちらへ逝ったよ。今頃、お前の足にまとわりついて、甘えているだろうか。再会に、二人で喜んでいるだろうか。これからは何の心配もなく、一緒に過ごせるね。二人でおっちゃんの行く末を見守っておくれ。クロと出逢ったのは、いつ
飼い猫のクロの様子を見に行ってきた。点滴に繋がれて、意識も朦朧とした状態。医者の話によると、あずけたその日の夜に、私に「明日までもたないかもしれない。」と電話するつもりだったらしい。しかし、クロはまだ生きようとしているようだ。点滴を打って尿をしている。そ
飼い猫のクロが、とうとう入院の運びになった。15歳もとっくに過ぎた老猫。血液検査をし、色々な数値がもう駄目だそうだ。酷い脱水症状もおこしている。できるだけのことはやってみると言われた。一日目が一つの山、3日目4日目が二つ目の山、一週間がもう一つの山らしい。餌
梅雨真っ盛り。あっというまに、私のマンションの近所は、アジサイが花盛りだ。祥一郎は、アジサイの花が好きだと言っていた。正確には、自分のブログでそう書いていたのだけれど。「アジサイは、鉢植えなんかじゃなく、路傍に逞しく咲いている方が好きやなあ。」あいつはそ
その日、私は上野の街をあてもなくぶらぶらしていた。もう帰ろうと思い、駅の階段を降りたとき、突然私の目の前に、線路脇の看板が目に入った。「美女と野獣」。もう日本では再公演は無いのかなとずっと思いつつ、再演したらいいのになあと思っていた。祥一郎の声が心の中で
祥一郎・・・・・・・。おっちゃんね、少し体調が悪くて大学病院で検査してきたよ。そう、あの日お前が倒れて運び込まれたあの大学病院だ。あれから初めて訪れることになった。大きい病院だから、この街のどこからでも見えるんだけど、あの建物を見るたびに悲しくなってしま
6年前のきょう。祥一郎の命が、あと一週間だと知っていたなら・・・・・私は、仕事もなにも全部放り出して、祥一郎を抱きしめ続けただろう。そして、「祥一郎、あの時はごめんね。あの時はあんなこと言ってごめんね、あんなことしてごめんね。」と、ただひたすら自分の犯した
夜勤明けの朝。私はあの頃のとある朝を想い出した。あれは祥一郎と私が一緒に暮らし始めて、それほど経っていない頃。谷中という街で暮らしていたころだ。私は祥一郎を家において、ひとりで二丁目に飲みに行き、朝帰りした。酔いどれの私が家に向かって歩いていると、向こう
今年もこの季節がやってきた。街はクリスマスや年末年始に向かって浮足立ち、その中で私は、不安定になっていく自分の気持ちと戦っている。6年前のこの時期。祥一郎の体調は急激に悪くなっていき、それでも私は(きっと何とかなる。今までもそうだったように、乗り越えられる
私は別に野球というスポーツには、まったく興味が無い。いや、寧ろ積極的に嫌いと言っていい。それには色々な理由があるけれど、まあそれはまた別の機会に。けれども、やはりどうしても国際試合になると結果が気になる。矛盾した小市民の私。今回のWBCも日本の下馬評が高かっ
私は東京生まれではあるけれど。物心ついてから30代半ばまで、大阪で暮らしていた。しかし、私はいつかまた東京へ戻るんだという確信めいた気持ちがあったようだ。高校時代の友人も、なにかにつけて私が東京へ行くんだと呟いていたことを言っていた。別に何か夢があったわけ
去年も押し詰まったある日。(あ、カレンダー買いわすれた・・・・)と思ったが、別に大した予定もない独り身のこと、別にいつでもいいや、というのがいつものことだった。しかし、その日は違った。風呂に入り飯を食って、さあ早めに寝ようと思ったのだが、どうしてもカレン
7年・・・・・・・・私は甘く見ていた。6年も7年も経てば、私はもう・・・・・しかし現実は違っていた。祥一郎への想いは、何一つ変わっていない。悪戯に時は流れ、私はどっぷりと歳をとり、あの素晴らしかった祥一郎との20数年を想い、大きな闇の穴の淵に座っている。その闇
嗚呼、クリスマスになるとやはり想い出す。あの年のクリスマス。私はいつものクリスマスのように、鶏モモのローストとなにがしかのオードブルを作って二人で食べようとしていた。しかし、祥一郎はそんな重いものはもう食べられなくなっていた。亡くなった後、冷蔵庫で見つけ
今年もこの時期がやってきた。あの年のきょう、もう祥一郎の命があと一週間も無いのに、私はいつも通り年を越せるものだと思い、新しい家具などを揃え、知人まで家に招こうとしていた。祥一郎は、「うち、しんどいから寝てるで。」と言っていたのに。私の後悔は未だ尽きない
祥一郎。2度目の美女と野獣は楽しんでくれたかい?10月30日、お前の誕生日当日。抜けるような青空。あの時の赤坂とは違って、今回はディズニーリゾート内だ。そう、あの時・・・・・1995年、「美女と野獣」が日本での初演の年。お前は行きたいと言って、おっちゃんがしり込