九州の小京都 飫肥「おび」城下町を訪ねて(日南市)
飫肥城大手門一般開放していました明治40年頃、飫肥杉などを取り扱う本町の豪商山本猪平が建築した.ものです。土間や玄関に美しい模様のタイルを貼るなど、当時としてはハイカラな商人屋敷だったそうです。小村寿太郎生誕地小村寿太郎生家小村寿太郎記念館豫章館、樹齢数百年の大楠にちなんで豫章館と名付けられ、飫肥に現存する武家屋敷の中で最も江戸時代の面影を残しています。旧藩主伊東家の庭園豫章館の説明版武家屋敷通り四半的(しはんまと)は的までの距離が四間半(約8.2m)、矢の長さが四尺半(約1.36m)、的の大きさが四寸半(約13.6cm)ある事から「四半的」と言われているそうです。座って矢をいるのも珍しいそうです。飫肥(おび)は天正16年(1588)から明治初期までの280年間飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町と...九州の小京都飫肥「おび」城下町を訪ねて(日南市)
2023/06/28 08:29