「あゝ岸壁の母」③生きていた息子
「あゝ岸壁の母」③生きていた息子前回までのあらすじ〇岸壁の母・端野いせいせは、戦地から戻らぬ一人息子の新二を桟橋で待ち続けた。東京から舞鶴までの距離は遠く経済的にも苦しく、体にも負担だったに違いない。いせが舞鶴引揚桟橋に出向いたのは、昭和25年1月だった。昭和29年3月20日にも端野いせの「新二を知りませんか」と、幾度も我が子の名を呼び岸壁に立ついせの姿があった。いせが書いたノートには「金があったらここに小屋を建てて待っていたい。…(略)…待つことのこの辛さ。この苦しみから早く逃れたい」と。〇2通の死亡通知昭和29年9月、一人息子新二の死亡の厚生省からの死亡認定理由書を受け取る。『昭和20年8月15日未明…(略)…突然のロシア軍の進行に応戦。力尽きて「お母さんによろしく」と言い残して倒れたのを目撃した』昭...「あゝ岸壁の母」③生きていた息子
2024/11/21 06:30