三国志 蔡邕 若き日の蔡邕は有能な学者として古文のテキスト校正に活躍 宦官を批判して死刑にされかかるが、宦官の硬骨漢呂強に救われる
出仕した蔡邕は、県長を皮切りに郎中、議郎へと昇進を重ねます。その中で、蔡邕は研究し続けた古文の6つの経書を校訂するよう進言して認められました。焚書坑儒等によって古より伝えられてきた文章は失われ、誤った文章が流布されていると考えられていたため、どのテキストが正しいのか判断する作業です。その成果は彼自身の記した文字として、洛陽の太学門外に石碑として立てられました。石碑とすることで、後世の者も正し…
2020/08/31 12:00