後漢 党錮の禁 李膺らが中常侍の専横を批判したのに対し、宦官たちは「党人が朝廷を誹謗した」として李膺らを訴える
官僚、則ち士大夫層は宦官の腐敗に対し、宦官と宦官に阿る者たちを濁流派、それに対する自分たちを清流派と名づけ、対立していくようになります。宦官の現世利益面の腐敗や堕落に加え、宦官という存在そのものが儒家の教えに反している存在として見下していたことから対立は先鋭化していきます。 翌166年、李膺たちは中常侍の専横を批判し、罪を糾弾します。批判を受けた宦官側は、逆に「党人たちが朝廷を誹謗した」とし…
2020/05/31 12:00