加古川町旧鳩里村探検(37) 粟津(10) 豊沢団平(4)・千賀女との再婚
団平、妻・八重を亡くす安政四年(1857)31才の時、高砂清水町に住んでいた佐藤市次郎の二女八重を娶りました。愛情は細やかで、常徳寺におさめられている位牌によれば、6人の子供をなしています。六人目に生れた女児の出産のために八重は31才で落命して母子ともなくなりました。団平は、芝居の出勤にも、弟子達の指導にも困って、贔屓の旦那衆より種々すすめもあったのですが、京都祇園の茶屋の女主人・沢田「ちか」を迎えて後妻としています。千賀女との再婚千賀女(ちか)は、西陣の染物業沢田安兵衛の二女で備中松山の城主板倉周防守につかえ、一人の男子をもうけたが、周囲の妬みがきびしいので、暇を乞うて京都に帰り、茶屋家業を初めていたといわれています。しっかりした、真の強い人であったことは間違いなさそうです。当時、大坂義太夫弾の名人といわれる...加古川町旧鳩里村探検(37)粟津(10)豊沢団平(4)・千賀女との再婚
2021/09/30 08:52