宮崎奕保さんのこと(10) 小塩師匠亡くなる
小塩師匠の死大学を中退した宮崎禅師は、再び京都の大徳寺に行きました。27歳の時のことでした。この時、宮崎禅師は、以前に大徳寺で修行をした時よりも、さらに一生懸命修行を行いました。また、歴史ある大徳寺には、古い文献が数多く残されています。宮崎禅師は、連日、書庫を訪ねては、それらの古い文献を読みあさりました。昭和4年5月23日、京都で修行を行う青年のもとに電報が届きました。加古川からでした。修行の身である青年のもとに電報が送られてくることなどめったにありません。嫌な予感が的中しました。「シショゥ、キトク」青年はあわてて住職の部屋へと向かいました。「師匠が危篤との知らせが届きました。これから加古川へ帰ってもよろしいでしょうか」「すぐに行きなさい」京都駅に到着した青年は、駅舎にかかげられた大時計に目をやりました。11時...宮崎奕保さんのこと(10)小塩師匠亡くなる
2018/11/30 08:53