唯識入門(31)
今日は。中一週あきましたが、前回のつづきを述べてみたいと思います。「了」(りょう)についての説明です。了とは、了別、つまり物事、対象を区別する働きを持つものという意味です。それは認識主体である見分(けんぶん)になります。見分は常に認識対象である相分(そうぶん)と一緒に働いています。私たちが誤解をするのが、相分と共にですから、相分(認識対象)が存在すると錯覚を起こすのですね。これが二分説になるのですが、二分説では認識の在り方が十分に説明がつかないわけです。そこでですね、陳那論師が二分は自体から生ずると見抜かれました。自体分から認識するもの、認識されるものが転じているのだと。このような構造ですと、認識の在り方は、自体分、つまり自分から生まれているんだと、自己責任に於いて認識判断を行っているのが私であるということにな...唯識入門(31)
2020/06/28 12:16