いまにこれが日本でっという現実感はないのはもう長い歴史の中で日本には血肉になっているからだろう。
2019/3/31(敬称略)明日、元号が変わる。なんの昂揚感も感じない。それはそれでいいんだと思う。しかしマスコミなどはお祭りに似た皇室行事の一環として懸命に盛り上げようとするだろう。とくに今日は日曜日だから大抵の人は静かに見守るかもしれない。そもそも考えてみるに、もう日本以外に一世一代に限る元号はもう世界にはないという。合理主義が蔓延る今の世にそれだからこそとの意見もある。ただその制度をみるに本来は元祖中国から離れた日本にその残滓がいまも残っているのは興味のあるところである。いろいろその理由はその筋の国学者や碩学が語っている。しかしいまにこれが日本でっという現実感はないのはもう長い歴史の中で日本には血肉になっているからだろう。古来、時刻・時間と暦を制する者は時の最高権威について回った権威であった。その権威から...いまにこれが日本でっという現実感はないのはもう長い歴史の中で日本には血肉になっているからだろう。
2019/03/31 12:36