尾張西部日蓮宗寺院の檀信徒で作る檀信徒協議会主催の護法大会が清洲の光遠寺でありました。清林山光遠寺。江戸時代初め承応元年(1652年)の開山。旧美濃路の街道沿いにあります。まず、宗祖日蓮大聖人の龍口法難会の法要を営みました。そのあと、東京都中道寺住職、山形教亨(やまがたきょうこう)上人の高座説教。蓮の八徳のお話と蓮にまつわる、ある檀信徒の方のご成長のお話。クリ弁は、小松原の鏡忍寺を建立された日隆上人が、まだ11歳で、日蓮聖人のおそば近くに仕えていらっしゃった頃、日蓮大聖人より、本当の父親について打ち明けられる場面でした。父なし子と思っていた自分が、実は小松原法難で日蓮大聖人をお守りして亡くなった工藤吉隆公の忘れ形見であると知らされます。現在、日蓮宗専任布教師として東奔西走、大活躍中の山形上人、すばらしいお説教で...尾張西部檀信徒協議会護法大会
9月23日彼岸の中日、秋彼岸法要を厳修しました。うちわ太鼓の練習。お題目をたたきました。法要のあとは、手作りおはぎの供養。小豆を煮るところから作ってくださいました。おはぎのあとは、副住職による高座説教。日蓮聖人は、ご両親の恩をとても大切にしていたという話でした。クリ弁は、大聖人が池上でご入滅のとき、ずっと肌身離さず持っていらっしゃったお母様の遺髪を弟子に託す場面でした。お母様の遺髪は、池上本門寺の大聖人像が持っていらっしゃる払子となって、現在まで大切に受け継がれています。心證寺ウエブページ秋彼岸法要を厳修しました。
出雲大社から西へ1kmほど、稲佐の浜に出ます。ここは神無月になると全国から神々が上陸してくるところといわれています。国譲りや国引きの神話の舞台でもあります。浜は西を向いて開けていて、海の向こうは朝鮮半島です。稲佐の浜から北西に5~6km、島根半島の西端が日御碕(ひのみさき)です。真っ白な出雲日御碕灯台。明治36年(1903)に設置されて、高さ43.65m、海面から灯塔の頭上までは63.30mと、日本一の高さを誇るそうです。いまなお現役です。サスペンスドラマで追い詰められた犯人が自供しそうな断崖でした。日御碕のすぐそばに、りっぱな社殿の日御碕神社が建っています。天照大神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神としています。日本の長い歴史の中で、明治以降は太平洋側を中心として近代化、工業化が進み、日本の玄関口は東京を中...出雲大社に行ってきました4
スサノオノミコトが出雲国で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したとき、その尾から剣が出てきました。「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。(写真はイメージです。wikipediaから)天叢雲剣は、天上界の天照大神に献上され、天孫降臨の際、ニニギノミコトに託されて地上に降り、以降代々の天皇のしるしの一つとされました。崇神天皇の時代に形代(かたしろ)が作られ、形代は宮中に、実物は伊勢神宮に納められました。ヤマトタケルが東征の際、伊勢神宮のヤマトヒメから託され、携えて出かけます。駿河国で敵が野に火をかけ焼き殺そうとしましたが、ヤマトタケルは天叢雲剣で草を薙ぎ払い、向い火を放って難を逃れました。そこから草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになったと言います。ヤマトタケルは、尾張国の宮簀媛(ミヤズヒメ)と結婚し、草薙...出雲大社に行ってきました3
出雲大社に祀られているのは、大国主命(おおくにぬしのみこと)。出雲には、弥生時代の中ごろから強力な王国があったと考えられるそうです。たたら製鉄を行い、朝鮮半島とも交流し、九州北部から北陸(越の国)に到る日本海側を中心に、中国地方や信濃を含めた広大な地域を支配する王国だったようです。古事記や日本書紀にある国譲りの神話は有名です。大国主命が、天照大神が遣わした天穂日命(あめのほひのみこと)に出雲の支配権を譲る代わりに、空高く届く立派な宮を造営させて祀らせたのが出雲大社の始まりと言います。天穂日命の子孫は、代々出雲大社の祭祀を行い、出雲国造家として現在まで続いています。天皇家と並んで日本でもっとも長く続く家系だそうです。国譲りは、ヤマト王国が出雲王国を吸収合併したような形だったと想像されますが、すんなり成就したわけで...出雲大社に行ってきました2
出雲大社は、古くから「出雲のおおやしろ」と言われ、まさに、大きな社(やしろ)だったそうです。古文書、絵図などでは、高さ16丈(48m)の巨大神殿がそびえ、千木には雲がたなびいていたと表現されています。大げさな伝説とも思われていましたが、近年、遷宮の工事に伴って太さ1.3mの杉の柱を三本束ねた直径3mもある柱が出土しました。しかも9本も。そして、その配置が出雲大社の宮司千家国造家に古くから伝わる本殿設計図とぴたりと一致したそうです。高さ48mの巨大神殿は実在した、そう言えそうです。48m。現代で言うと15階建てのビルに相当します。それはさておき、現在の出雲大社で巨大と言えば、この大きな注連縄です。でもこれは、本殿ではなく、神楽殿という建物にあります。真下に立って写真を撮っている人と比べてみてください。縄の太さは1...出雲大社に行ってきました1
足立美術館は、島根県出身の実業家、足立全康氏が昭和45年に開館した美術館です。北大路魯山人、竹内栖鳳、上村松園など数多くの日本美術がコレクションされ、特に横山大観のコレクションは日本一です。日本美術も素晴らしいですが、庭園の美しさはこの美術館を世界的に有名にし、私が訪れたときも半分くらいは外国からのお客様でした。カリフォルニアから来たという老夫婦に声を掛けられ、お互いに写真を取り合ったりしました。そのとき、「Wherefrom?どこから来たの?」と聞かれ、「日本人です」と答えましたが、私の英語にはどんななまりがあったのでしょう。庭園をいかに美しく見せるかにさまざまな工夫が凝らされ、上の写真のように衝立として庭園を眺めるようなしつらえもあります。他にも掛け軸、額縁などの趣向もありました。日本庭園の造園技法の一つに...足立美術館に行ってきました。
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