信仰
同じ昭和2年11月と12月生の両親は、平成23年時、満83歳。 母、平成23年2月、転倒左大腿部骨折、杖歩行状態、要支援判定1。 平成24年、診断パーキンソン症候群。同年12月、右大腿部肉離れ。 平成25年7月、正式診断指定難病パーキンソン病。要介護判定3。 同年9月、肉離れ部位状態再悪化、以後約1年間歩行困難状態継続。 転倒骨折で杖歩行状態となった母にパーキンソン病の診断が下され要介護判定3に、 更に右足の肉離れなども続いてしまう。そうなると、老人性難聴の進行した父では 母の介助は務まらす、経年、両親と居を別にしてきた私が実家に戻ることになった。 そんな有様の一端を 「老老夫婦」「父の生活~」 でも記してきたが、父に関しては、 他にも母から持ち掛けられていた相談事があった。それまでは精を出し般若心経を 詠んでいたはずの父がこの頃、どんな心境の変化か神道に傾倒。自室に持ち込んだ 神棚を前に朝な夕な詔を唱えるようになっていた。 そんな父を尻目に、天台宗の旧家を実家に持つ母などは「私は般若心経がしっくりくる」と 冷ややかだったし、今更父も家族を巻き込んだりもせず、心安らかに日々を過ごせるのなら、 こちらとしても特に取り立て何も言うこともない。が、問題は神棚に灯される蝋燭。これが 何とも危なっかしいと母は言うのだ。 何せ父は、すぐ横で鳴る電話の着信にさえ気づけない程、難聴が進行している。 にも拘らず、詔を唱える際は、必ず真っ新な小さな蝋燭が神棚に二本灯される。 そして、詔終了後もそれは消されず、完全に燃え尽きるまで放置されてしまう。
2023/04/01 23:45