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  • 4月30日 御言葉をあなたへ

    「ヤコブは眠りからさめて言った、『まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった』」。創世記28:16弟ヤコブは家族に別れて一人で見ず知らずの遠い親戚のところへ旅立っていきます。荒野を旅して、一夜野宿します。その時、神様は彼を励まし、将来、この地に帰ることを約束して下さったのです。孤独だと思ったのですが、実は神様が共におられることを知ったのです。その時の喜び、平安と望みはどんなに大きなものだったでしょうか。ヤコブと共におられた神様は、今日もあなたの家庭に、学校に、職場に、常におられることを信じてください。(KE)宇治田原郷之口4月30日御言葉をあなたへ

  • 4月29日 御言葉をあなたへ

    「わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである」。ヨハネ6:38イエス様は神の位に居られた方ですが、父なる神様の御心によって、この世に下ってこられました。十字架の死に至るまで、遣わされた方のみこころに徹底して歩んだ生涯でした。私達も今はイエス様によってこの世に派遣されたのです。ですから、当然、主のごとくつかわされた方のみこころを行わなければ使命を果たしえません。(KE)宇治田原湯屋谷4月29日御言葉をあなたへ

  • 4月28日 御言葉をあなたへ

    「すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう」。マタイ6:6b神様は人の目に見えるものではありません。だから、多くの人々は、神様などは存在しないと言います。しかし、もし神様が人の目に見えるようなら、いささか頼りない気がします。見えないゆえに神様です。しかも、報いてくださるのです。それは生きて働いてくださる方だということです。神様は私たちの「隠れた事」を見ておられるのです。たとい人には隠せても神様には隠しようがありません。(KE)宇治田原湯屋谷4月28日御言葉をあなたへ

  • 4月27日 御言葉をあなたへ

    しがもし死なねばならないのなら、死にます」。エステル4:16bイスラエルの民は主に背いた結果、多くの人々がバビロンへ捕囚として移されました。その中から、エステルは王妃として召されました。しかし、ユダヤ人が迫害を受け、民族滅亡の危機に瀕したのです。王妃エステルに王様に嘆願するよう求めます。しかし、たとえ王妃たりとも王の招きがなければ会うことができず、死罪になる定めでした。悩んだ末、エステルは決断します。「死にます」と。あなたの覚悟はいかに。(KE)比叡山頂上公園4月27日御言葉をあなたへ

  • 4月26日 御言葉をあなたへ

    「王の心は、主の手のうちにあって、水の流れのようだ、主はみこころのままにこれを導かれる」。箴言21:1最近はあまりいないようですが、昔の王様は専制君主であって、横暴に振る舞う暴君だと恐れられたものです。どんなことも、思い通りにしようとします。他人の意見や忠告を聞くような人ではありません。しかし、どんなに頑迷固陋な人であっても、神様が握られると、ホースで水を意のままに動かすように、その心を自在に操ることが出来ます。(KE)軽井沢白糸の滝4月26日御言葉をあなたへ

  • 4月25日 御言葉をあなたへ

    「あすのことを誇ってはならない、一日のうちに何がおこるかを知ることができないからだ」。箴言27:1親鸞聖人は「明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは」と詠いました。いずれにしても、明日のことは誰にも分らないということですね。しかし、私たちは主のみ手に明日は握られていると知っています。しかも、神様は私たちを愛してやまない方ですから、最善の道を備えておられると信じます。とはいえ、私達が生きるのは今のときしかありません。明日のことを忘れ、今日を十分に楽しんで生きてください。(KE)ゴルフ場大津市4月25日御言葉をあなたへ

  • 4月23日 御言葉をあなたへ

    「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」。詩篇119:105私達の生活は次々と革新的な便利さ、快適さを受けて、明るい未来を期待させますが、現実の世相を見ると、どこにも慰めや望みとなるものはありません。古来から言われているように、「一寸先は闇」です。否、足元すら見えない漆黒の闇の中を手探りで進んでいるようです。このような暗やみの中で、何を頼りに生きればいいのでしょうか。その回答がこのみ言葉です。聖書の言葉こそが私達の道を照らし、歩みを導いてくれます。(KE)祇園界隈4月23日御言葉をあなたへ

  • 4月22日 御言葉をあなたへ

    「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである」。ローマ4:17bアブラハムの信仰について語られた一節です。信仰の父と呼ばれるアブラハムも、最初からそうだったのではありません。いろんな失敗や間違いを犯しながら、主の忍耐の故に憐れみを受けつつ、ついには愛するイサクを捧げる者となります。今、私達も彼と同じく信仰の完成に向かって進んでいます。失望しないで、全能の神様を信じる揺るがない信仰に立ち得るよう、耐え忍びましょう。(KE)比叡山頂上公園4月22日御言葉をあなたへ

  • 4月21日 御言葉をあなたへ

    「真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた」。使徒16:25パウロとシラスは初めてピリピの町にきました。そこで伝道して救われる人も与えられましたが、占いをする女奴隷に付きまとわれ、争いごとに巻き込まれて、牢に入れられました。初めての地で、理不尽にも囚われの身となり、不安のなかに置かれたことでしょう。しかし、その中で彼らは祈りと讃美によって力を得たのです。今日、あなたが恐れに捕らわれていますか、不安の中にいますか。だったら、祈りましょう。賛美しましょう。(KE)比叡山頂公園(京都と滋賀の境界)4月21日御言葉をあなたへ

  • 4月20日 御言葉をあなたへ

    「主よ、あなたはみわざをもってわたしを楽しませられました。わたしはあなたのみ手のわざを喜び歌います」。詩篇92:4神様は私たちが悲しんだり、嘆いたり、苦しむ姿を喜ばれる方ではありません。人を造られた目的は、神様の栄光を輝かす者にすることでした。しかし、人が罪の故に神様の栄光を受けられなくなった結果、不幸と言われる事態が人を苦しめるのです。もう一度、神様の見えない愛の手を信じて、一切を主にゆだねる信仰に立とうではありませんか。世の浮き沈みをも楽しめる者になってください。(KE)宇治田原高尾高原4月20日御言葉をあなたへ

  • 4月19日 御言葉をあなたへ

    「主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である」。詩篇100:3私たちは神様によって造られたものです。そうでありながら、造り主を忘れてしまったのはどこからでしょうか。その結果、迷える子羊となり、飢え渇き、寒さに震え、不安と恐れに力を失ってしまったのです。もう一度、原点に帰って、誰に造られ、誰のものであるか、誰が養ってくださるのかしっかり確認してください。(KE)自宅の薔薇のアーチ4月19日御言葉をあなたへ

  • 4月18日 御言葉をあなたへ

    「わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから」。イザヤ44:22雨の後には水たまりが出来、風が吹けば枯葉やごみが吹き溜まります。必ず、結果である痕跡は残ります。私達の罪や咎もどんなにしてもきれいさっぱり消してしまうことは出来ません。しかし、神様の赦しはそのような不完全なものではなく、雲や霧のように跡形もなく消し去ってくださるのです。神様の赦しをいただく人は、なんと幸いなことでしょう。(KE)京都府八幡市4月18日御言葉をあなたへ

  • 4月17日 御言葉をあなたへ

    「見よ、わたしはあなたを練った。しかし銀のようにではなくて、苦しみの炉をもってあなたを試みた」。イザヤ48:10貴金属と言われる金や銀も、本来土くれの中にあった鉱石です。そこから貴重な金銀を取り出すには様々な加工が加えられます。また、取り出した金属が貴重なものとなるには、更なる精錬が必要です。高熱の炉に入れて不純物を取り除きます。同様に、私達も神様の性質にまで清められるため、「苦しみの炉」を通らなければならないのです。それは厳しい試練ですが、耐え忍んで通り抜けた時、貴金属にも勝る貴重な、朽ちることのないものとなります。(KE)宇治田原湯屋谷4月17日御言葉をあなたへ

  • 4月16日 御言葉をあなたへ

    「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える」。エレミヤ33:3a私たちの信じる神様は、生ける神です。その意味は、打てば響き、呼べば応える方と言うことです。呼んでも叩いてもウンともスンとも言わない、死んだ方ではありません。あなたの今日の一日を創造し、生きる者として下さるのです。だから、ことごとく、どんなことでも祈り、願い、求めればいいのです。必ず応答してくださいます。(KE)鈴鹿山脈4月16日御言葉をあなたへ

  • 4月15日 御言葉をあなたへ

    「おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」。ピリピ2:8イエス様は神の位に居られた方、神ご自身と言っても間違いない方です。そのような方がこの汚れた人の世に下って、人となって住んでくださったのです。そればかりか、私達罪人の身代りとなり、十字架に父なる神様の怒りと裁きを受けてくださったのです。この方のことを思うなら、どんなに苦しく、つらくても耐え忍ぶことができます。主の受けられた苦しみを深く感謝して、今日も耐え忍んで生きようではありませんか。(KE)宇治田原湯屋谷4月15日御言葉をあなたへ

  • 4月14日 御言葉をあなたへ

    「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」。ガラテヤ6:7厳粛な言葉です。確かに、コメを播いて、麦を刈り取ることは決してありません。人はその播いたものしか、刈り取ることができません。私達の日々のわざには、必ず刈り取る時が備わっています。その収穫が明日であるか、十年先であるか、これは分かりませんが、しかし、播いたものは必ず結果となります。なぜなら、万物を支配される神様がすべての事を持ち運んでおられるからです。(KE)京都市城南宮4月14日御言葉をあなたへ

  • 4月13日 御言葉をあなたへ 庭は花さかり

    「すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである」。第一コリント1:28イエス様による救いはすべての人に開かれています。ところが、主を求めてくる人の何と少ない事か。今、あなたがイエス様を神の御子、救い主と信じて、平安と望み、感謝と喜び、力と知恵に満たされておられるなら、なんと幸いなことでしょうか。このような恵みを受けたのは自分の努力や力によってではなく、神様の憐れみによって選ばれたのです。しかも、選ばれる理由は、無きに等しい者だからです。感謝。(KE)自宅目が悪くピントが合わず、往生します。何とかキャッチ。私が作ったわけではなく、夫の手入れの作品なのですが余りに美しく皆さんに送りました。今が最も美しいですね。この花々が長く続けばどんなに楽しいでしょう。花は人と違い清く美しいです。4月13日御言葉をあなたへ庭は花さかり

  • 4月12日 御言葉をあなたへ

    「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」。ローマ1:20a残念ながら、人と人とが相対するように、神様と正面切って向き合うことは出来ません。神様の全体を見ることはできません。なぜなら、私達は被造物、造られたものであり、神様は造物主です。ただ、神様の存在は結果に見ることが出来ます。森羅万象、被造物をつぶさに見るとき、神様のわざというほかありません。身近な自分の体を見ても、不思議が詰まっています。(KE)宇治田原4月12日御言葉をあなたへ

  • 4月11日 御言葉をあなたへ

    「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。マタイ28:20イエス様はよみがえられた後、40日にわたって、多くの人々にご自分が生きておられることを証しました。その後、弟子たちが見守る中、天に引き上げられて人の目には見えなくなりました。地上での終りのとき、主が語られたことがこの言葉です。物質的な存在としては消えましたが、霊的な存在としていつでも、どこにでも、共にいてくださるとの約束です。今も、あなたのそばに主がおられ、しかも、あなたのことをすべて知っています。(KE)宇治田原犬打川4月11日御言葉をあなたへ

  • 4月10日 御言葉をあなたへ

    「イエスは彼に言われた、『あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである』」。ヨハネ20:29人は自分の目で見、手で触り、体験しなければ信じようとしません。客観的に実証可能な事だけが真実だと思っていますが、そのような捉え方はごく最近の傾向です。見えない霊的な世界、証明不可能な事象がある事を忘れてはなりません。見えるものの背後に、見えないもののあることを取り敢えず受けいれましょう。あなたの世界が広がります。(KE)宇治田原奥山田4月10日御言葉をあなたへ

  • 4月9日 御言葉をあなたへ

    「イエスは彼女に言われた、『わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる』」。ヨハネ11:25今日は主のご復活の記念の日、イースターです。弟子たちは主がよみがえって生きておられることを知って、大変喜びました。その喜びはイエス様を信じる私たちの喜びでもあります。もし主が甦らなかったら、私達の信仰はないに等しい、無意味なものです。しかし、肉体が死滅することは当然ですが、よみがえりを信じるとき、あなたの魂が命に満たされます。キリストの霊があなたを包んでくださるから。(KE)京都市城南宮4月9日御言葉をあなたへ

  • 4月8日 御言葉をあなたへ

    「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ」。ルカ24:5-6主は十字架に掛けられ、命を絶たれました。死の闇に沈んでしまわれたのです。もし、そのままに陰府におかれているならば、神様の力は無に等しい。神様の力より人の罪の力が強いはずはありません。陰府(よみ)の力を撃ち砕いて、よみがえって生きておられることこそ、私達の望みです。今、あなたがどんなに深い失望の中にあろうと、甦りの神の力ははるかに強いからです。(KE)宇治田原犬打川4月8日御言葉をあなたへ

  • 4月7日 御言葉をあなたへ

    「そのとき、イエスは言われた、『父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです』」。ルカ23:34十字架に掛けられたとき、最初に語った主の言葉です。ご自分の使命、十字架の目的などを端的な言葉で語っています。主は罪にまみれたこの世の人々を永遠の滅びから救うために、神の位を捨て、人の世に住んでくださいました。そして、罪の代償としてご自分を十字架の祭壇に捧げてくださいました。この故に、御子を信じる者は罪なき者とされ、永遠の御国を継ぐ者となるのです。感謝。(KE)宇治川大津市側4月7日御言葉をあなたへ

  • 4月6日 御言葉をあなたへ

    「イエスを裏切ったユダが答えて言った、『先生、まさか、わたしではないでしょう』。イエスは言われた、『いや、あなただ』」。マタイ26:25最後の晩餐の席で、主はご自分を裏切ろうとする者がいると言われます。弟子たちはいったい誰だろうとざわめき、口々に「わたしではない」と言い募ります。ユダも直接主に問います。主ははっきりと「いや、あなただ」と言われました。あなたがユダであったら、何と答えますか。残念ながら、彼は悔い改めの時を逃し、サタンの手に振り回され、自死へと落ちていきます。厳粛な思いがします。(KE)宇治川大津側4月6日御言葉をあなたへ

  • 4月5日 御言葉をあなたへ

    「イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、『恐れることはない。ただ信じなさい』」。マルコ5:36会堂司の娘が瀕死の状態でした。イエス様は求めに応じて出かけましたが、間に合わずに娘は死んだ。これ以上イエス様でも何もできない、と不信仰に囚われる。そのとき、イエス様は周囲の人々の言葉を「聞き流して」、イエス様に徹底して信頼することを勧めます。信仰と不信仰との間にたって、心が割かれる思いになります。まさにそこが勝負どころです。誰のことばを聞き流して、誰の言葉を信じるのですか。(KE)宇治田原田原川4月5日御言葉をあなたへ

  • 4月4日 御言葉をあなたへ

    「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る」。詩篇121:1-2長い人生の旅路にあって、しばしば試練や患難に遭い、失望・落胆することがあります。お先真っ暗と思える時、あなたはどうしますか。その時こそ、万物の創造者、全能の神様を親しく知る時です。孤立無援、出口のない袋小路にはまった時こそ、うつむいた頭を上に向けようではありませんか。天地を自在に操る神様に心が定まるとき、明るい将来が開けます。(KE)琵琶湖今津4月4日御言葉をあなたへ

  • 4月3日 御言葉をあなたへ

    「昼は雲をもって彼らを導き、夜は、よもすがら火の光をもって彼らを導かれた」。詩篇78:14エジプトの地で奴隷の生活を強いられたイスラエルの民は、長年の祈りに応えて、神様はモーセを指導者として選び、ついにエジプトからカナンの地を目指して旅立ちます。当時はコンパスも、地図もない時代。彼らが迷わないように、昼は雲の柱、夜は火の柱を置いて、導かれたのです。40年に及ぶ旅路に同行してくださったのです。その主は、ご聖霊によって、今も私たちを永遠の命の住まいへと導いておられます。(KE)琵琶湖今津4月3日御言葉をあなたへ

  • 4月2日 御言葉をあなたへ

    「彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた」。マタイ27;32クレネ人シモンはイエス様の連行される場に偶然いました。力尽きて倒れ込む主の代わりに、彼が十字架を負うたのです。図らずも引き受けざるを得なかった彼にとって、迷惑千万だったと思います。しかし、主が担って下さる十字架は、本来私たちが負うべきものでした。今与えられた事態が気に入らなくても、自分が引き受けざるを得なくなったとき、それが主に従う時です。なぜなら、私達が負うべき十字架を主は担って下さったのですから。(KE)自宅の庭4月2日御言葉をあなたへ

  • 4月1日 御言葉をあなたへ

    「あなたがたの切り出された岩と、あなたがたの掘り出された穴とを思いみよ」。イザヤ51:1bいよいよ今日から新しい年度が始まります。学生たちは進級、進学、就職など、会社員などは新しい部署や責任者への昇進昇格など、春の新緑に包まれ初々しい気風がみなぎっています。この時に「初心忘るべからず」と世間では言います。何事も初めの謙遜・感謝、初々しい気持ちを忘れるなと言うことです。神様もどんな境遇から救い出されたかを決して忘れるな、また神様のご愛と恵みに感謝することを忘れないようにと諭されます。(KE)琵琶湖今津4月1日御言葉をあなたへ

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