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2014/10/01

  • この国の終わり 何がこの国をだめにしたか? 終章

    今から77年前、1945年8月6日午前8時15分、米機B29エノラゲイに搭載された原子爆弾リトルボーイが、抜けるように晴れた夏空の下、直下600メートル、広島市細工町(現:広島市中区大手町)の島病院の上ですさまじい光線を放ち炸裂した。焼失面積13.2km2、死者118,661人、負傷者82,807人、全焼全壊計61,820棟の被害をもたらした。昭和20年8月9日(木曜日)午前11時02に、アメリカ合衆国は枢軸国の日本の長崎に対して原子爆弾「ファットマン]」を投下した。この原子爆弾が人類史上において2回目かつ実戦で使用された最後の核兵器である。原爆の投下により、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡、建物は約36%が全焼または全半壊した。人類史上最初で最後?(8月9日の長崎も含め)の大量...この国の終わり何がこの国をだめにしたか?終章

  • この国の終わり コロナ禍第7波その他 その1

    ここ数か月、筆者自身の病態により浮世を離れて完全看護の病床(コロナ禍で面会禁止)に就いたり、その後ひたすら養生したりしている間に、この世は様々な変容を遂げているわけで、その故にほぼ純粋培養された精神の態様は次のような在り様を示している。心房頻拍という不整脈を発症し、6月3日入院した循環器病棟で2週間経過観察したがその後何も起こらずに6月18日退院。心房頻拍は1分間150回ほどの頻脈が連続して止まらない不整脈(頻脈)で、AED(除細動器)で一度心停止し、電気ショックで回復させるという荒業が施された(通常は薬物で簡単に正常化する)。筆者の場合、3月に3回目のワクチン接種後4日ほどして心筋梗塞を発症、カテーテル手術により梗塞した動脈をステント(金属のチューブ)処理しバルーン(風船)で血流回復という病態を経験して...この国の終わりコロナ禍第7波その他その1

  • 筆者過去記事援用 詩616 宮森小学校米軍機墜落激突児童等殺傷事件 1959年6月30日

    1959年6月30日、沖縄(このとき米国占領下にあり日本国での行政単位が存在しないので県ではなかった)の石川市(現うるま市)にあった宮森小学校に、操縦不能となった米空軍機F100Dジェット戦闘機が民家35棟をなぎ倒した後激突炎上、死者17人(小学生11人、一般住民6人)、重軽傷者210人、校舎3棟を始め民家27棟、公民館1棟が全焼、校舎2棟と民家8棟が半焼する大惨事となった。沖縄宮森小学校への米軍機墜落大惨事(1959年)と沖縄の心(youtube動画)https://www.youtube.com/watch?v=NoVCCKRGdfcこの同型戦闘機が事故前年に起こしたクラスAの重大事故件数は実に168件に上ると言われる。事故原因とされた「操縦ミス」は大嘘で1999年になって「整備不良」が原因だったこと...筆者過去記事援用詩616宮森小学校米軍機墜落激突児童等殺傷事件1959年6月30日

  • この国の終わり 6月23日「慰霊の日」が沖縄にとって意味するところ

    6月23日、この日は条例で、沖縄県および沖縄県内の市町村の機関の休日となっている。勿論祝日、と言う意味でそうなのでなく、沖縄戦等で没した日本の軍官民と異国人(全戦没者)に対し慰霊の意を全県挙げて体し、併せ追悼の意を表する日とされる(そのあとの永遠平和を祈念するというのは付け足しか?)。当然先の大戦と15年戦争で死没した人々に世界中の国々が関わっているわけで、この慰霊の意には沖縄という日本国における一地域の、特別に限定された含意が込められているというものでもない。これが本土の日本人には誤解されやすいところでもある。しかしながら、歴史的客観に付された「沖縄戦」は戦略的には「無駄な戦争」であり、「本土防衛の捨て石」「本土決戦の時間稼ぎ」と言いながら結局勇ましかるべき大和民族の「本土決戦」自体がなかったし、ポツダ...この国の終わり6月23日「慰霊の日」が沖縄にとって意味するところ

  • この国の終わり 返還後50年、今更ながら沖縄移住者の沖縄観 その2

    明治のころ沖縄学の泰斗伊波普猷(1876年~1947年)は、琉球人について次のように感想を述べている。https://www.aozora.gr.jp/cards/000232/files/60236_73043.html沖縄人の最大欠点は恩を忘れ易やすいという事である....御都合主義はいつしか沖縄人の第二の天性となって深くその潜在意識に潜んでいる....彼らは自分らの利益のためには友も売る、師も売る、場合によっては国も売る、こういう所に志士の出ないのは無理もない....この大欠点をうめあわす事が出来ないとしたら、沖縄人は市民としても人類としても極々ごくごくつまらない者であるこういう批評は、るるぶ系情報しかない現代人にはおおきに首をかしげるようなものとして見えてくるだろう。忘恩、事大主義、ご都合主義、裏切り、...この国の終わり返還後50年、今更ながら沖縄移住者の沖縄観その2

  • 返還後50年、今更ながら沖縄移住者の沖縄観 その1

    この5月15日は沖縄への施政権返還50年なのだが、この鳴り物入りの返還は実は「基地付き核つき」のまがい物で決して祝典に値するものなどではないということを、今更ながら沖縄県民は勿論日本国民すべてがはっきりと見極めておく必要がある(復帰も返還も真に当時の県民が望んだものではなく、日本国憲法理念への参加、以外ではなかったはずだ、このことは日流間のここまでの歴史が物語っている)。所謂「構造的差別」という、到底抜きがたい時空の中に否応なく差し置かれた明らかな異民族(対大和民族)としての琉球民族(国連人種差別撤廃委員会勧告--対米・対日--では明確に、沖縄の基地偏在実態を人種差別としている)https://ryukyushimpo.jp/news/entry-794147.html21世紀においてこの差別構造は、勿論時間(...返還後50年、今更ながら沖縄移住者の沖縄観その1

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