chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
小説試作の下書き
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2014/10/01

小説試作の下書きさんの人気ランキング

  • PV
今日 04/24 04/23 04/22 04/21 04/20 04/19 全参加数
総合ランキング(PV) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,034,325サイト
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
政治ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 4,713サイト
政治評論 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 301サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
  • この国の終わり 何がこの国をだめにしたか? 終章

    この国の終わり 何がこの国をだめにしたか? 終章

    今から77年前、1945年8月6日午前8時15分、米機B29エノラゲイに搭載された原子爆弾リトルボーイが、抜けるように晴れた夏空の下、直下600メートル、広島市細工町(現:広島市中区大手町)の島病院の上ですさまじい光線を放ち炸裂した。焼失面積13.2km2、死者118,661人、負傷者82,807人、全焼全壊計61,820棟の被害をもたらした。昭和20年8月9日(木曜日)午前11時02に、アメリカ合衆国は枢軸国の日本の長崎に対して原子爆弾「ファットマン]」を投下した。この原子爆弾が人類史上において2回目かつ実戦で使用された最後の核兵器である。原爆の投下により、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡、建物は約36%が全焼または全半壊した。人類史上最初で最後?(8月9日の長崎も含め)の大量...この国の終わり何がこの国をだめにしたか?終章

  • この国の終わり コロナ禍第7波その他 その1

    この国の終わり コロナ禍第7波その他 その1

    ここ数か月、筆者自身の病態により浮世を離れて完全看護の病床(コロナ禍で面会禁止)に就いたり、その後ひたすら養生したりしている間に、この世は様々な変容を遂げているわけで、その故にほぼ純粋培養された精神の態様は次のような在り様を示している。心房頻拍という不整脈を発症し、6月3日入院した循環器病棟で2週間経過観察したがその後何も起こらずに6月18日退院。心房頻拍は1分間150回ほどの頻脈が連続して止まらない不整脈(頻脈)で、AED(除細動器)で一度心停止し、電気ショックで回復させるという荒業が施された(通常は薬物で簡単に正常化する)。筆者の場合、3月に3回目のワクチン接種後4日ほどして心筋梗塞を発症、カテーテル手術により梗塞した動脈をステント(金属のチューブ)処理しバルーン(風船)で血流回復という病態を経験して...この国の終わりコロナ禍第7波その他その1

  • 筆者過去記事援用 詩616 宮森小学校米軍機墜落激突児童等殺傷事件 1959年6月30日

    筆者過去記事援用 詩616 宮森小学校米軍機墜落激突児童等殺傷事件 1959年6月30日

    1959年6月30日、沖縄(このとき米国占領下にあり日本国での行政単位が存在しないので県ではなかった)の石川市(現うるま市)にあった宮森小学校に、操縦不能となった米空軍機F100Dジェット戦闘機が民家35棟をなぎ倒した後激突炎上、死者17人(小学生11人、一般住民6人)、重軽傷者210人、校舎3棟を始め民家27棟、公民館1棟が全焼、校舎2棟と民家8棟が半焼する大惨事となった。沖縄宮森小学校への米軍機墜落大惨事(1959年)と沖縄の心(youtube動画)https://www.youtube.com/watch?v=NoVCCKRGdfcこの同型戦闘機が事故前年に起こしたクラスAの重大事故件数は実に168件に上ると言われる。事故原因とされた「操縦ミス」は大嘘で1999年になって「整備不良」が原因だったこと...筆者過去記事援用詩616宮森小学校米軍機墜落激突児童等殺傷事件1959年6月30日

  • この国の終わり 6月23日「慰霊の日」が沖縄にとって意味するところ

    この国の終わり 6月23日「慰霊の日」が沖縄にとって意味するところ

    6月23日、この日は条例で、沖縄県および沖縄県内の市町村の機関の休日となっている。勿論祝日、と言う意味でそうなのでなく、沖縄戦等で没した日本の軍官民と異国人(全戦没者)に対し慰霊の意を全県挙げて体し、併せ追悼の意を表する日とされる(そのあとの永遠平和を祈念するというのは付け足しか?)。当然先の大戦と15年戦争で死没した人々に世界中の国々が関わっているわけで、この慰霊の意には沖縄という日本国における一地域の、特別に限定された含意が込められているというものでもない。これが本土の日本人には誤解されやすいところでもある。しかしながら、歴史的客観に付された「沖縄戦」は戦略的には「無駄な戦争」であり、「本土防衛の捨て石」「本土決戦の時間稼ぎ」と言いながら結局勇ましかるべき大和民族の「本土決戦」自体がなかったし、ポツダ...この国の終わり6月23日「慰霊の日」が沖縄にとって意味するところ

  • この国の終わり 返還後50年、今更ながら沖縄移住者の沖縄観 その2

    この国の終わり 返還後50年、今更ながら沖縄移住者の沖縄観 その2

    明治のころ沖縄学の泰斗伊波普猷(1876年~1947年)は、琉球人について次のように感想を述べている。https://www.aozora.gr.jp/cards/000232/files/60236_73043.html沖縄人の最大欠点は恩を忘れ易やすいという事である....御都合主義はいつしか沖縄人の第二の天性となって深くその潜在意識に潜んでいる....彼らは自分らの利益のためには友も売る、師も売る、場合によっては国も売る、こういう所に志士の出ないのは無理もない....この大欠点をうめあわす事が出来ないとしたら、沖縄人は市民としても人類としても極々ごくごくつまらない者であるこういう批評は、るるぶ系情報しかない現代人にはおおきに首をかしげるようなものとして見えてくるだろう。忘恩、事大主義、ご都合主義、裏切り、...この国の終わり返還後50年、今更ながら沖縄移住者の沖縄観その2

  • 返還後50年、今更ながら沖縄移住者の沖縄観 その1

    返還後50年、今更ながら沖縄移住者の沖縄観 その1

    この5月15日は沖縄への施政権返還50年なのだが、この鳴り物入りの返還は実は「基地付き核つき」のまがい物で決して祝典に値するものなどではないということを、今更ながら沖縄県民は勿論日本国民すべてがはっきりと見極めておく必要がある(復帰も返還も真に当時の県民が望んだものではなく、日本国憲法理念への参加、以外ではなかったはずだ、このことは日流間のここまでの歴史が物語っている)。所謂「構造的差別」という、到底抜きがたい時空の中に否応なく差し置かれた明らかな異民族(対大和民族)としての琉球民族(国連人種差別撤廃委員会勧告--対米・対日--では明確に、沖縄の基地偏在実態を人種差別としている)https://ryukyushimpo.jp/news/entry-794147.html21世紀においてこの差別構造は、勿論時間(...返還後50年、今更ながら沖縄移住者の沖縄観その1

  • この国の終わり コロナ禍という自然界の警告が意味するところ

    この国の終わり コロナ禍という自然界の警告が意味するところ

    オミクロン株の更に変異、ステルスオミクロンBA.2なる変種のコロナウイルスが既に世界60数か国に見られ(3月時点。現在はBA.1とBA.2の組替え体XEが既にみられる)、その現行ワクチン効果の不可測性やら感染力の強さなど明らかに見られ、今後益々複雑なパンデミック状況を予感させる事態(既にオミクロンBA.1系は高止まりし、更に追い打ちをかけるBA.2感染が急拡大するとみられている)へ移りつつある2022年半ば、この期に及んで暫く世は先の北京冬季オリンピック(どうでもいいルールの偏頗な適用やおよそ下らない薬物問題が幅を利かせているが)などにうつつを抜かし、日本国政府、東京都(維新に乗っ取られた大阪の惨状は目も当てられない)などは無為無策の極みに陥っているにも拘らず、白紙委任状を自公系政治へごみを捨てるように!投げか...この国の終わりコロナ禍という自然界の警告が意味するところ

  • この国の終わり 米軍基地由来の第6波 その2

    この国の終わり 米軍基地由来の第6波 その2

    こと沖縄に関しては、日本国及び米国により地域分断策という植民地政策(軍事植民地扱い)が執られているので、実は何が起こってもおかしくない(この度の名護市長選や南城市長選のように)というのが実情で、例えば報道ではそのタイトルに必ず「辺野古移設」(実際は同じ県内に北部ヘリパッドと一体化してより強化された新たな軍事基地を造作すること)というキーワードのもと、此れを巡る国と沖縄の駆け引き乃至攻防、というふうに彩るのだが(名護市長選では自公系候補のその争点外しがこれ見よがしに行われた)、本来(正常な国柄であったなら)あり得ない、国と単一地方自治体のゲーム的対立関係が闡明され、結果市民あるいは県民は奇妙な「(望まざる政治的局面の国家による)押しつけ」としかいいようもない、不可能な二者択一を迫られるわけだ(こんな自治体は他にな...この国の終わり米軍基地由来の第6波その2

  • この国の終わり 米軍基地由来の第6波 その1

    この国の終わり 米軍基地由来の第6波 その1

    沖縄返還は50年目になる。今更言うまでもないが、これまでの本土のメデア・マスコミ・ジャーナリズムが流布する、どう見ても誤解に満ちた沖縄情報など、金輪際全く信用ならないデマゴーグ垂れ流しと断じてやまないものだ。一方、メデア・マスコミ・ジャーナリズムの功罪とはその責任度合いが全く異なる、この国の戦後政治のことは「この国の終わり」と題して余すところなく論じ切らないとどうにも収まりがつかない。第一に米軍基地(米軍専用施設)の事だが、戦前戦後通じここまで、沖縄側からこれを誘致したことは一度もない。どういうことか?旧日本軍が強制接収した土地を米軍が接収した・沖縄戦下と占領下で米軍が接収した・戦後の米軍統治下で米軍が強制的に接収した・日本政府による埋め立て以上がその内容であり真相だ。最後(日本政府による埋め立て)は現行辺野古...この国の終わり米軍基地由来の第6波その1

  • この国の終わり 暫定「何もわかってないコロナ禍と自公政権を選ぶ日本人」

    この国の終わり 暫定「何もわかってないコロナ禍と自公政権を選ぶ日本人」

    現況、今のところ日本も含め世界中の医学者、専門家らの、日本の急激な感染者数減衰傾向や、現今世界の状況に対する明瞭で明確な状況分析はほぼゼロだということが言える。というより、彼らの科学的推論の多くは素人でもそうだと考えるところのものと大差ない。つまりは「どういうわけか?」日本の第5波は、解析不能の収束傾向に向かった、あるいはワクチン接種が唯一の決め手だがどうもそれも一筋縄ではいかないということになろう。自然界の趨勢に人間の知が追い付いていないわけだ。その故に言わばこのコロナ禍は、誰にも正確には実証的に、殆ど解明されてないということ。それは、敢えてここで素人が結論を急ぐと、人間対自然ほか外界の関係上、人知が及ぶ狭い世界での「ああでもないこうでもない」に比すれば、自然及び外界は途轍もなく「不可解」で謎に満ち、それの前...この国の終わり暫定「何もわかってないコロナ禍と自公政権を選ぶ日本人」

  • この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その6

    この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その6

    東京都の新規感染者数がここにきて激減(9月6日968人、7日1629人、8日1834人、9日1674人、10日1242人、11日1273人、12日1067人、13日611人、14日1004人、15日1052人、16日831人、17日782人、18日862人)している。沖縄では9月6日167人(死亡2人)、米軍関係7人、8日413人(死亡2人)、10日301人、11日270人(死亡3人)、12日273人、13日140人と、こちらも減少傾向にある。しかし14日284人、15日255人(死亡3人)、16日229人(死亡2人)、17日185人(死亡4人)、18日176人(死亡4人)と決して急減ではない。但し全国的にも減少傾向がはっきりしていて、「波」の振幅が「谷」に向かっていることは間違いない。あるいは下げ止まり?一方...この国の終わり何がこの国をだめにしたか?その6

  • この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その5

    この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その5

    アルファ株(英国)、デルタ株(インド)、ラムダ株、など、変異株の種類はこれ以外にもいくつかある。この3種の際立って感染力の強い変異株は現在ワクチン対応で捕捉される感がある(ワクチン頼みの菅はこれを絶対視するが異論はあるようだ)が、いずれも完全とは言えず、特にこれから最も危険視されているのがラムダ株と言われる、ぺルー発のそれだ。変異とは進化かと言われれば感染力や重症化リスクからすると如何にもウイルス的進化過程というしかないのだろう。つまりより強力な感染力と抗体破壊の威力が増進する形質だ。彼らも生き残るためには様々な変貌を遂げねばならないわけで。ワクチンの有効性は現時点では種類によって6~8割程度の重症化(感染予防ではない)防御率を示しているが、変異株の進化は当然に確率に過ぎないこうした有効性の間隙を縫って出来する...この国の終わり何がこの国をだめにしたか?その5

  • この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その4

    この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その4

    沖縄、過去2番目に多い638人感染累計3万人超える【8月11日昼】https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/802521東京オリパラなど、(どう見ても)政治的に画策された時代的雰囲気や印象操作で如何に糊塗し、どうごまかしても、この21世紀という歴史的時代の中で決定的な時代表徴となっているのは、明らかに新型コロナウイルスの世界的パンデミックという事件なのだが(殊更実情にそぐわないような脅威を煽るわけでなく)、人間の中の様々な「煩悩」(欲望には、資本主義社会の成り立ちそのものに関わる本質がある)は時としてこの現実から抜け出し(科学的根拠を度外視してーーこの政権では特徴的な性格ですらある)、むしろ通常世界でこそ行われ許されるべき案件を敢えて「やってしまおう」という、一種の衝動...この国の終わり何がこの国をだめにしたか?その4

  • この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その3

    この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その3

    急激な感染拡大に至ったコロナ禍は、いよいよ東京オリパラなど津波の猛襲並みに根こそぎ粉砕し、それどころでない様相をはっきりと呈し始めた(7月31日感染状況、東京4058人、神奈川1518人、埼玉1036人、千葉県792人、大阪1040人、福岡502人など)。しかし、この菅政権は木を見て森を見ない発言や根拠のない楽観論に終始し、現実の森のすさまじい在り様を全く顧みないでいる。この宰相はその物事に対する認識力が決定的に欠けている(馬鹿なのか頭が悪いのか)か、あるいは自己保身に汲々としていて国家の代表のような自身の立場を全然閑却してしまっているとしか言えない(つまりは宰相の器でない)。そういう宰相の言動から出てくる極めて不適切で有効でない、むしろ事実に対する真逆のメッセージを、国民の一定の階層はほぼそのまま、コロナ禍な...この国の終わり何がこの国をだめにしたか?その3

  • この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その2

    この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その2

    この国の国民的なムーブメントは、結局この、「普通ではない」コロナ禍の国際運動会実施の離岸流(民意からの乖離、科学的知見、医学的見地からの離反)をやはり止めることができず、あらゆる負の要素(嘘と差別主義と無神経さ、残虐さ)を満載兼備しながら、ある意味猛然と強行開催しようという菅政権、自公系保守政治集団、当然にIOC(元凶はバッハ会長というアングロサクソン的強圧媒体だった)、JOC、組織委員会、東京都小池百合子(この女史は女流政治家としては鋭敏な方だが都民にとってはどうやらいなくてもいい存在だ)らの「なんだかよくわからない」意思(我々はそこに金権主義やエゴイズム、いじましいほどの自己保存本能などを見る)に従って、7月23日、「水晶の夜」並みのきな臭いような不気味などす黒い光の中で開催されたようだ。NHKの実況を見る...この国の終わり何がこの国をだめにしたか?その2

  • この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その1

    この国の終わり 何がこの国をだめにしたか?その1

    ひと頃は東京オリパラ中止・延期、国民世論8割強というはっきりとした形勢だったのが、菅はじめIOC、JOC、組織委員会、東京都(小池百合子は40万反対署名を黙殺したらしい)がほぼ全く世論を顧みずに開催へ突き進んだ(この事実は否が応でも人類の負の歴史として残るだろう)結果、開催まであと数日という段階で、メデア・マスコミ・ジャーナリズム形勢が、東京オリパラ開催決定の方向で何となく染められ始め、何やら突き上げムードも一部を除いて意気消沈の体で、結局は「どうしてもやるんでしょう」程度の諦めで全ては既定事実と言わんばかりの液状現象だ。東京都の感染爆発(数千人規模)は開催をまえにして既に始まっていて、いかにこのオリパラ関連国家政府方針が、コロナ撲滅に対する反対キャンペーンに加担しているかをまざまざと証拠立てている(この事実も...この国の終わり何がこの国をだめにしたか?その1

  • この国の終わり 沖縄県民だけが平和を希求しているのか?

    この国の終わり 沖縄県民だけが平和を希求しているのか?

    6月23日、沖縄県は「慰霊の日」として、特別に条例で定めるところ、沖縄戦等の戦没者を慰霊する記念日とし、その日は専ら市町村機関の休日とされる。沖縄戦の、苛烈な地上戦による無差別の、軍民共生共死を強いられた地獄のような体験に依拠しているとはいえ、同じような思いは東京大空襲やその他の悲惨な戦争体験にもみられるわけで、その意味では時を分かたず国民等し並みに、何らかの慰霊の思いはその都度各自に湧き上がっているものであろう。しかしながら平和を希求する思い(戦争など二度とごめんだという思い)は本土とこことで何故かくも相違するのか不思議としか言えない。1945年6月23日から数えて76年、慰霊の日は、沖縄戦で4人に一人が犠牲となった沖縄の県民ばかりでなく、この戦争での国籍軍民問わず全ての戦没者を慰霊する日であり、沖縄県が県民...この国の終わり沖縄県民だけが平和を希求しているのか?

  • この国の終わり 東京オリパラに関するスガノミクスの超絶ハイリスク

    この国の終わり 東京オリパラに関するスガノミクスの超絶ハイリスク

    安倍・菅路線においてはアベノミクスならぬスガノミクスがこの「嘘と金権にまみれた」東京オリパラ強行開催の単純なモチーフ(トリクルダウン)だが、コロナ禍で明らかに沈下低迷している国内国民情況に対し、ヒトラーの、「天の上」からまるで神のように降り立つ風情でbyオリパラ陽動作戦を実行しようという話だ。勿論国民を篭絡するためには美辞麗句、甘言、「安心安全」神話作りに余念がない。この国の安全保障、危機管理は国民を「幻想的に」安眠枕で眠らせ、有事には責任を取るべき連中が明らかな「敵前逃亡」も辞さない劣悪な組み立てになっている。内部留保等アベノミクスのトリクルダウンは事実上失敗している(富裕層厚遇は彼らの非倫理的なエゴにより、完全に貧困層を困窮のどん底に突き落として止まない)が、オリパラに関するスガノミクスは外国人記者の質問に...この国の終わり東京オリパラに関するスガノミクスの超絶ハイリスク

  • この国の終わり 死活問題でも拱手傍観する日本国民

    この国の終わり 死活問題でも拱手傍観する日本国民

    先ず、コロナワクチンのことだが、厚労省の発表によれば令和3年2月17日から6月4日までで、コロナワクチン接種後に死亡した例は196件とされる。ワクチンは、そのものが予防効果や症状改善力を持つのでなく、人間に自然に備わっている免疫力を高め活性化させ「抗体」という新機能媒体を生じさせて病因に対し人体自身が抵抗力を持つという内容だ。従って人により何らかの原因で免疫力が極度に弱体化している(その他持病があるなど)ならば、ワクチン接種によってもこの改善が見られず、逆に体そのものが打ち負かされて急激に衰弱死亡するということも十分考えられる。厚労省は死亡例につきワクチンとの相関関係としては明確な判定を下してないが、少なくともワクチンが掛け値なく万人に有効なわけではなく、人によっては逆効果になるかもしれないという想定はしておく...この国の終わり死活問題でも拱手傍観する日本国民

  • この国の終わり 五輪問題では人間として当然のことを素直に実行すること

    この国の終わり 五輪問題では人間として当然のことを素直に実行すること

    既にこの東京オリパラに関する表・裏両面の真相は、硬軟織り交ぜ白日の下にさらされているといえるのだろう(世界各国から聞こえてくるのは中止を促すものばかりだ)。今世界の大前提は、人類史上稀有な、しかし絶えず起こりがちなこのパンデミック感染症コロナ禍が、世界中の人々を恐怖と不安の中に放り込み、これとの相克にいやが上にも総力を挙げなければならない、という状況にある(戦争中だ)という事実こそ、疑いなく誰の目にも明らかだ、ということだ。つまり今人類が第一に取り組み集中すべきは、可能な限り人流を抑制し濃厚接触を回避して感染拡大を阻止し、取り合えずワクチン接種を第一義として集団免疫状況を作り出し、現在の人間的通常営み疎外の現実を改変して、活動交流の自由を可及的早急に回復することだ。しかも自助努力だけでは決して可能とならない、通...この国の終わり五輪問題では人間として当然のことを素直に実行すること

ブログリーダー」を活用して、小説試作の下書きさんをフォローしませんか?

ハンドル名
小説試作の下書きさん
ブログタイトル
小説試作の下書き
フォロー
小説試作の下書き

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用