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シャボン玉の詩 https://blog.goo.ne.jp/getanooto

残り少ない道のりになりましたが、 気持ちをこめて! ありのままを!

大きな病気を三つ抱えてておりますが、自伝小説や詩を書いたり、ネット囲碁、ゴルフなどたまにやったりして日々を過ごしております。

シャボン玉の詩
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住所
久喜市
出身
高知市
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2014/09/27

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  • 思い出の道(14)

    4年生になったころから僕はガキ大将の片鱗を見せ始め、クラスの中ではひょうきん者の「彰ノ介」言われるようになった。これは僕自身がそのDNAを先祖の誰かに頂いたものではないかと思っている。兄もそのような傾向があったようで、大学祭の時漫才をやって喝采を浴びたという話を聞いている。最早覚えているものなど居ないと思うが、音楽の授業の中であっと驚くようなハプニングがあった。先生には叱られ、クラスの大勢の仲間から指さし笑われしばらくは話のネタになった。その日、先生は3拍子の拍子の取り方についてトライアングルという楽器を使って教え始めた。先生は3拍子の音楽をピアノで弾いている。それに合わせてツン、タ、タと打つのである。前端に腰掛けている2,3人の生徒に順に教え始めた。2,3回練習して上手にできるようになった。僕はその時、友とふ...思い出の道(14)

  • 思い出の道(13)

    こうして戦争の激震はこんな片田舎の果てにまでひたひたとその影を落としているのであった。が、小学校低学年の僕らにはそんな事には皆目気付いていない。汚い身なりでイモ食っていてもみんながそうだからこんなものかと気にも留めないのである。むしろ空襲警報や爆撃の恐怖などすっかり忘れてしまったかのように伸びやかに現状を受け入れているのであった。矢張り伸び盛りの子供である。当時田舎にいたのも幸いしたと思う。棲み処、食べ物、親兄弟の消息等悲痛な思いに明け暮れた都会はその数知れず、津波のように悲惨な人々の群であったろうと想像するからである。此処新屋敷は静かである。規模が小さいから何とかやっていたのだろうと想像する。それでも時々進駐軍の兵隊さんの見回りがあった。「来たぞ、来たぞ」と言って皆に知らせ大切なものは取られないように隠したも...思い出の道(13)

  • 思い出の道(12)

    3つ目はあの薬である。錠剤であったか、粉末であったか全く覚えていないのであるがあの薬のことはきっと死ぬまで覚えている。腰を抜かすほどに驚いた事件であった。「回虫が皆さんのお腹の中にたくさんいるかもしれません。それを退治するための薬です。必ず飲んで下さい。明日一人一人に確認しますからね。ズボラは許しませんよ」先生はそんな恐ろしいことを言って脅し、全員がもれなく飲むように指導した。僕は何をそんな馬鹿げたことを言ってるんだと殆ど耳を傾けず、友達とワイワイガヤガヤやりながら然し大切に持ち帰った。母に話しても「そんな物知らないね、ただの虫下しじゃない」と言ってそっけない。然し学校の先生からあれほどきつく言われた薬である。僕は夕食後忘れずそれを飲んで寝た。あくる朝、いつものようにトイレに入ってウンチした。何気なくのぞき込ん...思い出の道(12)

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