午後からブラインドを取り付けてもらい、その後は照明器具を取り付けに業者がやって来た。間接照明を新たに取り付けたが、黒川店長は音声で全ての家電が操作出来るように設定するそうだ。「稲村くん。ここ、いつからバーになった?」部屋の入り口で、さすがの橋本専務も呆れたように言った。「そうですね、いつからでしょうか?」今朝までは殺風景なオフィスだったのが、まるでバーのような造りに変わってしまった。指定された場...
黒川店長は僕の代わりに山下常務に付いておられる。黒川店長は法人化する《サラダボックス・B》の社長として、挨拶を兼ねて山下常務と共に各所を回っている。事務所には橋本専務がおられるので、感染予防の為に僕は役員室で仕事をしている。パソコン一台あれば仕事は出来るので、場所が違っていても不便はない。橋本専務は監視役がいないからとにかく自由だ。三木社長は「一日中、パソコンで旅行先を探しているよ」と笑っておら...
僕は恋に臆病になっていた。まずはその取っ掛かりの部分に手を出すのでさえも怖かった。だから誘われてもOKはしなかった。まあ、つまらない僕が誘われるなんて事は滅多にない事なんだけれども・・・。『S-five』の華やかな人たちと一緒に居れば僕の地味さは余計に際立ってしまって、ますますつまらない男にしか見えなかっただろうけどね。「こんな僕でいいのですか?」ベッドに正座して真面目に尋ねた僕の頬を両手で優しく包...
「実は明日、藤代未知久に会うんだ」「えっ?では、もしかして?」ドラマの続編の出演依頼をしているが、藤代未知久側からなかなかOKが出ないとぼやいていたのに。「ドラマの出演交渉をしていたんだけど、やっとOKが出たんだ」「良かったじゃないですか!」「やっとだよ」先生はホッとしたような顔で言った。藤代未知久サイドには以前から出演交渉していたが、売れっ子の彼のスケジュールが合わずに話が進まないと言っていた。...
先生から電話が掛かってきたのは、もうすぐ日付が変わろうかという時間だった。『今から出ます』「わかりました」この時間なら20分もあれば着くだろう。清家先生が出した結論を聞くのは怖いが、聞かなければならない。スーツにでも着替えて待つかな。 インターフォンが鳴ってオートロックを解除して、玄関まで走って行き鍵を開けてドアを開ける。エレベーターがここまで上がってくるのが待ち遠しい。 こんな気持ちになったの...
「では、私はこれで」微笑んではいるが彼女の目は笑っていない。先生が今まで僕と一緒にいたのは明白だ。インフルエンザで自宅にいるはずの先生が居なくて、帰ってきたと思ったら男を連れてきた。この状況では言い逃れも出来ないな。彼女は先生の事務所で働くうちに、先生の性癖に気が付いたのだろう。もしくは興信所でも使って調べたか。「先生をお送りくださってありがとうございました」その場で深々と頭を下げた彼女に圧されて...
清家先生と一緒に昼食を食べ、重箱を返さなければならないという好都合な口実を振りかざした僕は、漸く先生を助手席に乗せることが出来た。「お好きなだけここに居ても構いません」先生は不服そうに僕の口真似をした。「そう言ったのに」「居て下さっても構いませんが、締め切りは守りましょう」「・・・締め切り、締め切りって、マジで煩い」いじけたのかプイッと横を向いた。「当たり前です。締め切りは守らないは、インフルエ...
清家先生はソファーに座り優雅にモーニングコーヒーを飲んでおられる。僕は朝食の後、掃除を始めた。モップで床を拭き、掃除機をかけ、普段はしない窓掃除をしている僕を先生は面白そうに見ていた。時々、退屈そうにアクビをして「まだ終わらないの?」と声を掛けてきたが、僕はひたすらどうやったら早々にお帰り頂けるかと考えていた。 トーストと頂き物のスープ、フルーツヨーグルトの簡単な朝食の後、「送ります」と言ったが...
「おはようございます、稲村くん」ドアを開けると三木社長の精悍な顔があった。朝からモヤモヤを抱えている僕とは真逆の爽やか過ぎる笑顔だ。「おはようございます」「あれ?何かあった?」鋭い。ここは冷静に対処しなければ彼にはバレてしまうぞ。「何もございませんが」「そう?朝から色っぽいよ?」「そんな事はございません」マスクをしていてもイイ男だし勘はやたらと良い。「そうかなあ。君がインフルエンザでなかったらハグ...
「さあ!起きてください!」「まだ眠い」先生は子どものように毛布にしがみ付いた。「早過ぎるよ。今、何時?」「もう8時半です」「まだ8時半じゃないか」「
「ダメです!」「ここでいいって」「いけません!僕がそこで寝ますから、先生はどうぞベッドをお使い下さい」「大丈夫だって。熱もないし」ソファーに寝転がった清家先生にベッドを使うように言うが、先生は動かない。僕の方が治りが早いのだから先生が安静にしていた方がいいに決まってる。「しかし」「なあ」「はい」「いつになったら敬語じゃなくなるんだ?」「知りませんよ!私は自分が話し易いから敬語なんです!」「ふーん」...
「なあ、マスク、外してもいいか?」「構いませんが」どうせ2人ともインフルエンザだし。「じゃ、外す」清家先生はマスクを外してテーブルに放った。「実のところ、僕はあなたをどう思っているのか、まだよくわからないんですよ」先生は呆れたような顔で僕を見た。「まだ言ってる」「しかし」「あのさ、マッチングアプリを使う70%の人の目的は恋人を探す為なんだぞ」「マッチングアプリ、ですか?」「そう。そして40%はアプ...
インターフォンが鳴る。清家先生との電話を切って約1時間だ。今、インターフォンを鳴らしているのは誰か、予想は付く。出た方がいいのか、それとも無視した方がいいのか。僕が迷っている間も、インターフォンは鳴り続けている。「このままでは寝られないな」渋々を装ってカーディガンを肩に掛けてベッドから出た。本当は走って行きたいような気分なのにな。僕の中に残っているつまらない感情は、僕に精一杯の虚勢を張らせるのだ...
心ここに在らず、だ。僕という人間は現金なもので、お手軽なキス一つでホロリと騙されてしまう。 自分の部屋に戻る途中も、戻ってからも、僕の頭の中は先生で一杯だった。このままではいけない。過去の失敗を戒めとして、僕は気持ちを落ち着けなければならない。浮ついた気持ちのままでは、また失敗する。そして忘れてはいけない
「何をしてるんですか!」勝手にドアを開けて助手席に収まった清家先生。「早く出してよ」「降りてください」「早く出ないとゲート閉まっちゃうよ?」「えっ?」慌てて前を見たが、ゲートはまだ上がったままだ。「お金は払いましたから!」「知らないのか?金を払っても一定時間が経つと、車が出なくてもゲートは閉まっちゃうんだぞ」「えっ?そんな!」そんな理不尽な話しは聞いた事がない。これまでも都内の駐車場を何百回と利用...
怜二くんは電車通勤だ。彼が自分の車を運転するのは滝山本家を訪れる時くらいだ。三木社長はいつも車庫の中で眠っている怜二くんの車を借りてくれた。信吾社長から電話でいきなり「消毒してから返してくれよ」と言われて面食らったが、
先生の熱は38度5分前後をウロウロしている。雑炊のおかげなのか、少しは気分が良いようだ。「汗を掻いてませんか?」「うん。着替えたかったけど、寒くて脱ぐ気がしなかったんだ」「今はどうですか?」「雑炊で温まったから、今なら」「では着替えを持ってまいりましょう。どこにありますか?」「下着とパジャマは脱衣所の引き出しの中」「わかりました」エアコンの設定温度を2度上げてから僕は洗面所に向かった。顔だけでも...
三木社長のレシピは、あまり料理をしない僕にも必ず作りあげられるように簡潔にわかり易く書かれていた。炊飯器の中には思ったとおりご飯はなく、まずは米を洗う事から始めなければならなかった。三木社長が準備してくださった袋の中にエプロンも入っていて、秘書よりも気が利く社長に呆れながらも感謝した。「まずはご飯を炊いて、出汁を取って」出汁の素があるからここまでは簡単だ。「稲村さーん」ベッドルームから弱々しい声...
「ブログリーダー」を活用して、日高千湖さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。