夢見月夜曲

合縁奇縁・30

「はい、これ。美味いよ、甘えびの塩辛。頂き物だけど」先生は瓶ごと僕の前に置いた。「ありがとうございます」渡された箸で瓶の中の甘えびを小皿に移し、先生にも一皿渡した。「ありがとう」「いいえ」「なあ、どうして困るわけ？」僕が困るわけを困っている僕から聞きたいのか。「・・・今まで、こういう事がなかったからです」ええ、面白味のない人間ですよ。どうせ！それは先生の所為ではないのだが、無性に腹立たしくなってビ...

2020/02/29 00:02

合縁奇縁・29

タクシーのドアが閉まり走り出す。ボーッとしてそれを見送ったが、店にいた時のような状態ではない。夜風が頬にあたって心地良い。ふわふわとした感じはまだ残っているが、頭ははっきりとしている。「あっ。先生、タクシー」「行こう」「えっ？」腰をしっかりと捉まれた状態で促されてフラフラしながら歩いていても、僕は気付いていた。ここは僕が住むマンションじゃない。「ここ、僕のマンションじゃありませんよね？」「俺のと...

2020/02/28 00:02

合縁奇縁・28

元々酒に強い方じゃない。一人暮らしをして長いが、家で晩酌する習慣もない。山下常務に誘われて食事する機会はあるが、お付き合い程度にワインを一杯とか。頂き物のワインや酒類は、手土産代わりに実家へ持って行く。強い方ではない、と言ってもお猪口一杯で真っ赤になる程弱くもない。ビールなら中ジョッキ1杯程度、軽めのカクテルなら2杯くらい。それなら普通に電車に乗って、誰にも迷惑を掛けずに帰宅する自信もある。それ...

2020/02/27 00:02

合縁奇縁・27

橋本専務は美しい。長身で確かに男性なのだが、白い肌は透明感があって不思議な印象だ。肌の肌理の細かさと滑らかさに関していえば僕の知る限り彼が一番かもしれない。そういう面では男性離れしている。浮世離れしている、というのが正しいか。元はモデルをしていたというだけあって、姿勢が良く歩く姿が美しい。彼が盛装してリズミカルに歩く姿は華やかで、近くにいると誰もが霞んでしまう。そうかと思えば骨太な一面もあって、...

2020/02/26 00:02

合縁奇縁・26

今日の清家先生はスーツだ。ドライブならもっとカジュアルな服の方が運転しやすいと思うが、仕事の打ち合わせも兼ねていたのかもしれない。グレーのスーツに黒いシャツ。シャツは一見するところ黒一色だが、近くで見ると細かいチェック柄だとわかる。ネクタイは黒。ビジネススーツではないから全体的に細身のシルエットで長身の清家先生には似合っている。 《ビストロ・325》に到着すると、すでに僕の名前で予約が入れてあり...

2020/02/25 00:02

合縁奇縁・25

空回りしている。いや、空回りじゃない。周囲の人々が

2020/02/23 00:02

合縁奇縁・24

「あっ」「あの車は？」「清家宗隆先生です」「ああ、昨日は一緒に食事をしたそうだね」「はい」「もしかして今日も約束したのかい？」心なしか、綱本室長の表情が変わった。嬉しそうにしておられる。僕が清家先生に誘われて出掛けるのを好ましいと思っておられるのだ。「いいえ、違います」「そう。今日は何のご用だろうか？」山下常務が持ってこられたキャリーバッグの中の猫が、バッグの透明部分をガシガシと前足で押していた。...

2020/02/22 00:02

合縁奇縁・23

「放してください！」この一言が出るまで、何秒掛かっただろうか。あまりの展開の早さに茫然としてしまった僕は、黒川店長に頭を固定されドアに背中を押し付けられたままの姿勢でいた。何とも言えない奇妙な気分だった。キスは嫌いじゃない。今までしなかったのは機会がなかったからだ。彼のキスは強引だったが、空虚が当たり前となっていた僕の心の隅の方を振動させるには十分だった。黒川店長のタバコの香りが、ついこの前の胸の...

2020/02/21 00:02

合縁奇縁・22

「へえ・・・じゃあ、得意なんだ？キス」「と、得意！？」完全に遊ばれている。黒川店長はネズミをいたぶる猫のような目で僕を見ている。本当に意地の悪い人だ。ここは無視して事務所を出て行くべきだ。三十六計逃げるに如かず、と言うではないか。僕は黒川店長を睨みながら立ち上がった。「戻ります」「あははっ」「失礼します」僕は席を立ち足音を荒げてドアを目指した。 だが、僕がドアノブに手を掛けた途端に敵は矢を射かけて...

2020/02/20 00:02

合縁奇縁・21

『滝山産業』の関係先に一軒立ち寄り、信吾社長と共に《花宴》に到着した。《花宴》は14時でオーダーストップ。店にはまだ残っているお客さまもおられるが、ランチミーティングの為に個室が準備されていた。部屋に入るとすでに山下常務、綱本室長、黒川店長、佐井寺店長が揃っておられた。「皆、早いね」信吾社長がそうおっしゃると、黒川店長がすかさず「社長が遅いんですよ」と気安く返す。「俺、遅れた？稲村くん」「いいえ...

2020/02/19 00:02

合縁奇縁・20

信吾社長は星望学園の創立記念行事の会合に出席中だ。星望学園大学内にある同窓会本部会館の駐車場には高級車がズラリと並んでいる。助手席に座った僕は信吾社長を待つ間、清家先生の本を開いた。大学生探偵シリーズもあるが、まずは新刊本だ。タイトルは『深く蒼い水底の歌』。「新境地を開いたサスペンスの傑作」というネットショップの紹介文を目にしていたが、序盤から『大学生探偵シリーズ』とは違った雰囲気を醸す本編に惹...

2020/02/17 00:02

チョコレート大作戦を完遂せよ。

★最強ミッション・チョコレート大作戦を回避せよ。の【後編】後書きで、後日談がありますと書いておりましたが、それです。後日談ではないか（笑）「あっ」「どうしたの？」まあちゃんの口がポカンと開いている。テーブルの上には散乱したココアパウダー。出来上がったトリュフにココアパウダーをまぶしていて手元が狂ったようだ。「ココアパウダー、こぼしちゃった」「いいよ。大丈夫、多目に買ってきてるから」全ての材料は、必...

2020/02/15 00:02

最強ミッション・チョコレート大作戦を回避せよ。【後編】

俺は今、《インカローズ》の裏口に立っている。インターフォンを鳴らすべきか、鳴らさざるべきか。ここは思案のしどころだ。そして、俺にはまだ選択肢が残されている。第1案は《インカローズ》に行ったことにして、このままテルの顔を見に行く。完全にサボリだが、俺を追い出した山下くんが悪い。そういう展開を考えた上で俺を追い出したものとみなす。第2案は《白夜》へ行き、《インカローズ》で何が行われるのかを高田くんに...

2020/02/14 00:02

最強ミッション・チョコレート大作戦を回避せよ。【前編】

『💛招待状💛2月11日午後18時💛《インカローズ》集合💛』「なんだ、これ？」ピンク色の封筒の中身はピンク色のカード。そしてカードには羽が生えたハートが全面に描かれている。山下くんに渡された封筒は見ただけで、誰からかわかるんだけど・・・。「さあ？中身は知らないよ。俺は圭介くんに渡してくれって頼まれただけだから」「まあちゃん、何をやる気だろう？」「どれどれ」山下くんの指がカードを奪っていく。「18時？」「...

2020/02/13 00:02

合縁奇縁・19

《有明の月》の店長・天川健司は《SUZAKU》のバーテンダーだった。当時から彼のフレアバーテンディングの実力は折り紙付きだ。《SUZAKU》を改修した折に、ショーを行えるようにカウンターを広くしたが、天川店長は数年前にここへ異動になった。 派手な音楽が流れ、店全体が大きく呼吸を繰り返しているような躍動感に包まれながらフレアショーが始まった。肩や肘、時には頭まで使いながらフレアボトルやシェーカーを...

2020/02/12 00:02

合縁奇縁・18

エレベーターの中で胸元のネクタイを見下ろして、僕は落ち着かない。原因は僕に不釣り合いな派手なネクタイだ。素敵なネクタイなのに、僕のような冴えない人間の下へきて残念な事だ。橋本専務や山下常務にとっては派手ではない色と柄。一口にオレンジとはいえ、細かいチェーンが連なった柄は上品だ。さすがの手触りと締め心地は、僕が普段購入する品とは格が違う。これを締めているだけで自分自身がワンランクアップしたような気...

2020/02/10 00:02

合縁奇縁・17

「稲村くん、デートなんだよね？」18時になり、帰り支度を始めた僕を見つめる橋本専務の瞳はキラキラと輝いている。彼の瞳は好奇心に満ち満ちた子どものそれだ。「デートではありませんから。誤解なさいませんように」「黒川はいいの？」「デートではない」と言ったが、彼は聞いてはいない。「黒川店長とも食事しただけですから」「先生とはデートじゃないのか？」「違います」橋本専務は子どものようだ。何度否定しても「デート...

2020/02/09 00:02

合縁奇縁・16

静かな午後だった。店長会議の資料も出来上がり、後はコピーするだけ。橋本専務は珍しく集中して業務をこなしておられる。山下常務はいつもと変わらない。落ち着かないのは僕だけだ。 休憩時間に、今朝受け取った茶封筒の中から文庫本の第1巻を手に取った。読んだ記憶はあるが、内容をはっきりとは覚えていない。ドラマを観たがクラブにでも行くようなド派手な服装のミッチーを中心にした3人組がキャンパス内で起こった女子大...

2020/02/08 00:02

合縁奇縁・15

役員室の中央に置かれた大きな会議用のテーブルで仕事をしている橋本専務は眠そうにしている。アクビを何度か繰り返していたが、大きく背伸びをするとコーヒーを片手にご自分の役員室へと入ってしまった。「お昼寝かな？」「お声を掛けてまいりましょうか？」「いや、いい。眠いのに無理矢理座らせておいても効率が悪いだけだ。一眠りしたら出てくるさ」「はい」果たして一眠りで済むのだろうか。僕は山下常務の判断を甘いと感じ...

2020/02/07 00:02

合縁奇縁・14

黒川店長は食事が終わると店へと帰っていく。「お待ち下さい！」「どうした？」車に乗る寸前に呼び止めた僕を見て、黒川店長は「タバコ、吸うけど？」と言った。「どうぞ」「ここは禁煙だからな。山下店長は厳しいんだ」「当然のことです。決まりですから」黒川店長は「ふん」と鼻で笑う。「お堅いな」「全面禁煙と決定した時はあなたも会議に出席しておられたではありませんか」「そうだったかなあ？」「しらばっくれないで下さ...

2020/02/06 00:02

合縁奇縁・13

「あれっ！噂の2人が揃ってるじゃん！」わかっていたクセに。ドアを開けた瞬間の橋本専務は怠そうだったが、黒川店長と僕の顔を見て急に生き生きとしはじめた。

2020/02/05 00:02

合縁奇縁・12

社長と綱本室長は打ち合わせの後、すぐに出て行かれた。綱本室長を意識すまいと思えば思うほど目に入り、僕の視線に気付いた綱本室長の笑みに更にドキリとさせられる。その度に心臓は大きく跳ね、ドクン、ドクンと音を立てて騒がしくなる。いけない。これでは聡い山下常務に気付かれてしまう。だが、そう思えば思うほど、僕は焦るばかり。次第に山下常務とも顔を合わせ難くなり、目が合うとドギマギしてしまって慌てて目を逸らし...

2020/02/04 00:02

合縁奇縁・11

服部くんまでが勘違いしていて気分はドーンと落ち込んだが、僕には落ち込む暇はなかった。服部くんの勘違いを正している間に、綱本室長の車が到着してしまったのだ。時計を見たが、いつもより30分早い。車の動きを横目で追いながら必死で服部くんの勘違いを訂正しようとしたが、それは逆効果だったようだ。「服部くん、本当に勘違いだからね？」「はい！わかってますから！」絶対にわかってないな。幹部が本社に来ると、必ずこ...

2020/02/03 00:02

合縁奇縁・10

店を出てタクシーを拾うと、僕だけを乗せて黒川店長は「おやすみ」を言われた。そこから先を期待していたわけではないが、ただの『おやすみ』が少なくとも僕の自尊心を傷付けたのは言うまでもない。山下常務は手が早い黒川店長にはくれぐれも注意するように、と心配してくださったがそれは杞憂に終わった。僕は黒川店長の眼中にはなかった、という事だ。だが、もしもだ。もし今夜誘われたとしても、僕には気の利いた受け答えは出...

2020/02/02 00:02

合縁奇縁・9

食事が終わり、酒はシャンパンからバーボンに変わった。丸い大きな氷が入ったロックグラスにバーボンを注ぎ、香りを楽しみながら飲む。氷が解けるからストレートよりは飲み易いが、最初の一口はかなりストレートに近い。空きっ腹ではないがすでにシャンパンを2杯飲んでいて、濃いバーボンは沁みる。「無理をしないでいいぞ。ウーロン茶でも頼んだらどうだ？」「大丈夫です」黒川店長はクククッと笑う。《花宴》から店まで移動し...

2020/02/01 00:02