純粋経験論について
前々回の記事「全てが私であるなら、私というものは存在しない」において私は次のように述べた。≪ただ素朴に山があるという原事実、それが「純粋な実在論」の意味である。≫ここで私は「原事実」という言葉を使っているが、このことについて少し説明をしたい。今、目の前のテーブルにリンゴが置かれているとする。すると、科学教育を受けた現代人は、「リンゴから反射された可視光線が、私の目に入ることによってそのリンゴが私に見える。」と考える。つまり、「リンゴが有るから、赤くて丸いものが見えている。」と考えている。しかし、哲学者に言わせれば、これは実は逆で「赤くて丸いものが見えているから、そこにリンゴが有ると(推論によって)想定している。」ということになる。このことについて、西田幾多郎の「善の研究」を参照してみたい。≪我々は意識現象と物体...純粋経験論について
2021/11/18 11:43