徳川幕臣とお茶の話

徳川幕臣とお茶の話

今年6月に世界文化遺産に登録された富岡製糸場のホームページにのる同製糸場のあらましに、「明治維新後、政府は日本を外国と対等な立場にするため、産業や科学技術の近代化を進めました。そのための 資金を集める方法として、生糸の輸出が一番効果的だと考えました。そこで政府は生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者を育成するため、 洋式 の繰糸器械を備えた模範工場をつくることにしたのです。」と説明されています。日米修好通商条約が締結された翌年の安政六年(1859年)の安政開港から昭和恐慌までの約70年間、生糸輸出による外貨獲得で日本は産業近代化に必要な資材等を欧米列強から輸入できたという事ですね。 ところでこの生糸に次いで開港時より明治30年頃まで日本の輸出品目第2位の地位にあったのはお茶(煎茶)でした!(開港直後の輸出品第1位は海産物でしたが、その後2,3年で生糸、お茶に抜かれます) ちょっと意外な感じ..