大網白里市金谷郷に正元駐車場があります。この正元って日本酒の看板みたいです。そして駐車場奥には酒蔵跡があります。立派な建物ですが、もう使われていなくて痛みが激しいです。清酒梅一輪とあります。ここが梅一輪の酒蔵だった??今は山武市にあるはず。移転したのか?よく分からないので後で調べれば、千葉県山武市において、昭和59年9月大蔵省の指導を受け、有限会社 若林酒造店(創業明治元年 酒銘「若緑」)と、合資会社 中...
以前に載せた菱田遊水地のすぐ近くで、同じ日に撮ったものです。夏の田んぼです。田んぼの向かい、この写真の左側になにかありました。専心念仏と書かれています。そこにはお地蔵さんがいました。そして龍泉院不動堂の門があったので行ってみました。参道?の途中でお堂があったので中をのぞいてみれば小さい仏像がいました。私の拙すぎる印象では立っているの地蔵で座っていれば仏像と言う事にしています。多分間違っているでしょ...
多古町多古の大宮大神です。階段を登ります。振り返ると丸い建物がありました。これは保育園みたいです。一の鳥居を潜ります。うっそうとした参道です。高台にあるのに見晴らしは良くありませんが、森に囲まれ付近の新興住宅地とは別世界でした。二番目の鳥居です。静かな森とまあ大きい神社で終わるかと思いました。しかし横に回ってみた所、なんと隙間があって、中に入れました。拝殿裏はもちろん本殿のすぐ近くまで見れました。...
神崎町毛成に行ったところ、この看板がありました。と言う事は何か歴史があります。明王山円満寺の大般若経と書かれていて、これはよく分かりません。この下には簡略すると、天台宗のお寺で建立は大同2年(807年)の開山と言われる神崎町で1,2を争う古い寺院とあります。しかし古刹の感じはしませんです。それよりもこの地域のコミュニティセンターの印象が強い気がします。広い敷地にぽつんと電話ボックスがあります。このままでは...
一宮海岸広場の駐車場の傍らになにやら石碑がありました。この時は真冬なので芝生は枯れています。芥川龍之介愛の碑について書かれていました。龍之介は女性に初恋し激しい相愛の仲になったものの、家柄の違いにより許されざる恋となりました。彼の親友堀内利器はそれを見かね堀内の故郷一宮に誘い、大正三年七月中旬からこの地に滞在した。すぐ隣には長南町生まれの小説家上田広の碑があります。このお方が愛の碑の建立に尽力した...
このブログでは市と比べると町と村の掲載数が少ないです。理由は魅力がない。からではなくて一つ目は面積が相対的に小さいからです。平成の大合併によって南房総市は7町村が一つになりました。となれば掲載はどうしても多くなります。成田市も印西市もしかりです。横芝光町を除いては町村で合併したところは無くて、単独で町のまま、村のままです。私の気の向くままの旅では面積って結構影響します。もう一つは住まいからの距離が...
銚子市長塚町の路地裏と言ってもいい場所にある浅黄稲荷をやります。まず普通サイズの鳥居があって、先には赤い鳥居が18本並びます。記憶が確かならば、赤い鳥居は塩化ビニールだったです。赤鳥居は小さいのですけど、木も大きいです。石碑を見ると、天保五(1834年)の文字が見えたので、それなりに昔からある神社だと思います。この辺りはまだ海沿いの古い町っぽい感じでした。話は逸れますけど、長年愛用するペンタックスカメラは...
勝浦市川辺の愛宕権現です。前回の平和観音と同じに撮りました。勝浦灯台の近くに入口があります。見晴らしのいい部分もあります。歩を進めれば何か心細いような山道でした。下りきれば階段がありました。愛宕権現です。小さな神社です。鳥居全体を撮りたいのですけどスペースが無くて無理でした。ひっそりと佇む、かつては地元の方だけが知る神社だったのではないかと思います。境内から見る木々は私が住む千葉県北西とは違って、...
勝浦市川津のここの道は海を望む高台で気分が良くて、ついつい通り過ぎていた平和観音に去年の秋にようやく行ってきました。日本海軍駆逐艦沖風慰殉難と物々しくもあります。沖風とは太平洋戦争中に勝浦沖で米軍の攻撃により沈没した旧日本海軍駆逐艦との事です。心して足を踏み入れます。自分勝手な想像よりも質素な観音様がいました。戦死した方の名前が彫られていましたが載せません。海も見えますが見晴らしがいいとは言えませ...
今ちょうどつつじが満開なようです。と言っても今回の写真も今年のものではないです。何年も前です。坪井近隣公園に行ったのですけど、この公園は人が多く、また子供が多いのでこんな所で写真を撮って変態扱いされるのも嫌です。公園の写真はあきらめて、道に咲くつつじを撮りました。長ーく続くつつじロードです。つつじの見ごろって桜と同じか、やや短い気がするので、偶然にもこの場い居れたのは嬉しいです。ただちょっと時間が...
ガネーシャ神の移転先は佐倉市上勝田の田園地帯でした。以前の場所からかすれば広い敷地です。ガネーシャ神とはヒンズー教の神様の一つだそうです。まさに山崎で見た像がここにいました。同じ像なのに山崎では狭く、暗闇たったのので明るい時間に広い敷地で見るのでは大分印象が違いました。ここなら怖くはないです。かなり協力者もいるようです。所有者は東南アジアの雑貨屋さんを営んでいたようです。ちょっと高台でのどかないい...
2018年にここを訳の分からないものとして載せました。これはその時の写真です。他はこちらて見て下さい。ガネーシャ神のいた建物は無くなり、元からある弁財天社だけ残っていました。この時は2023年晩秋です。弁財天社の右隣には紅白の段がありました。これはなんだろ??で過去の写真を見てみればこれはガネーシャ像ののった台座跡でした。そこには移転先が書いてありました。同日に早速移転先に行って見ました。次回にやります。...
今回はこれ一枚です。今年の桜はいつもよりも長持ちしている気がします。ですので今週の土日は天気もいいようで、ちょっと遅いお花見日和ですね。...
ここは佐倉市坂戸のDIC川村記念美術館です。DICとは大日本インキの新社名であり、川村とは創業者の名前です。この先は閉鎖していました。しかし他の公園部分は無料です。もちろん美術館は有料(結構高い)ですが。とても立派な公園、いや庭園です。そしてここである事に気が付きます。思ったよりも桜が少ない・・・。大体において私の行動はなめている??ところがあって、行けば何かある。特に桜などと言う木はどこに行ってもあるも...
手賀沼へそそぐ大津川のウッドデッキの道があるのですけど、車の止め場所がなくて随分と上流から歩いてやってきました。見ての通りに小さい川です。かば田んぼなるものがありました。地域のボランティアの皆様が管理しているそうです。そしてここは鎌ヶ谷市で唯一の田んぼなのだそうです。えっ??鎌ヶ谷って他に田んぼが無かったっけ??ここは深く考えずにそうなのでしょう。小さい橋を渡ります。下流の方へ行くと木の歩道があります...
東金市上布田からです。この辺は飛び地だらけで東金市の中に山武市があったりします。この看板を下った所に不老山薬王寺があります。下る前に駐車場にあった小さな神社も載せておきます。薬王稲荷大明神です。名前の通りにかつては薬王寺内の神社だったと思います。この時は2017年の桜の咲く前です。中々立派なお寺です。桜は一分咲きと言った所ですが、この後に桜の花らしきものが載っていますけどそれは毎年4月8日、釈迦の誕生日...
今回のいすみ市シリーズは朝の写真からはじめたので、終わりは夜がいいのではないかと思いここにします。ここは神社ですが、城跡でもあります。戦国時代のお城だそうです。切り通しを通ります。この土塁が私の写真では伝わりませんが、結構な高さがあります。登ってみれば大原の町が一望できます。神社へ戻ります。この神社は1145年(久安元年)の創建との事で1000年以上の歴史があります。この場所からは大原漁港が見えます。階段...
大原の海と言うと砂浜や漁港を思い浮かべる人が多いと思いますが、ここは細い路地を下った断崖になります。海に行く手前の密林??がいい感じです。海に向かって右側を見ます。この崖は30m弱位かと目算します。後から思えばこの先も見ておけば良かったです。この日は静かな海でした。次は海から左を見ました。大原の八幡岬が近くに見えます。こちらの崖は段々と低くなり八幡岬下は砂浜になります。八幡岬です。道が途切れていたので...
岬町長者の三差路の角にいい感じのお店があります。菓子とパンと書かれています。立ち寄ろうかと思いましたが、車の止め場所が見つけられず信号待ちの車の中から撮っています。ここで目を見張ったのは電話四六番の文字であります。二けたの電話番号ってけっこう凄いと思いましたので、ちょっと調べてみれば6桁になっのが昭和初期なのだそうで、2桁となるとおそらく明治、遅くとも大正時代の番号だと思います。そんなに早くに電話を...
前回の国吉神社の横にこんな道がありました。天徳院と書かれています。正式名称は大岩山天徳院との事です。歩いてみました。お寺の本堂の大悲殿です。正直に言えばあまり手入れはされていません。ここのホームページがあったので、読んでみれば昭和七年に建立された檀家のない小さなお寺でして、そのためなかなか手が回らず行き届いておりませんが、お近くにお越しの際はどうぞお立ち寄り下さい。との事であります。そして、何もな...
いすみの国吉神社に向かった所、出雲大社上総教会となっていました。後で調べてみれば、国吉神社内にあり、創建は明治24年との事です。そして国吉神社はどうも1500年前からあったようで当初は諏訪神社で明治時代に町名から国吉神社となったそうです。出雲大社です。屋根でかいです。摂社末社もあります。そしてここでは本家??の国吉神社を載せます。社務所です。静かでいい佇まいの神社でした。ご神木の大銀杏です。横に太くなるの...
いすみ市松丸の新田集会所の前に山羊が居ました。屋台につながれています。近くにはお膳がありました。この屋台は山羊の寝床なのでしょうか。山羊がお膳に乗ってくれ、この山羊なりにサービス?をしてくれている気がしました。今回のいすみ市はこれで10回になりました。そろそろ着地点をさぐる頃かとも思いますが、みう少し続けます。...
深堀の中善商店私設公園をやります。場所は塩田川と新田川の分岐点にあります。中善商店とはここの近くにあり、農薬や肥料の製造の会社だそうです。ご自由にご覧くださいとありましたので中に入ってみました。この時は整備が行き届いてなくてあまりいい環境ではありませんでしたって、もう言ってしまってるけど、言ってはいけませんね。私設で公園を作ってくれている事に感謝しなくてはなりません。西洋風であり、南国風の素敵な公...
いすみ学園の入口には電車があります。レトロないい感じの電車です。東急電鉄からの寄贈だそうで、製造は昭和27年で昭和59年まで東急池上線で使われていたそうです。ここを載せようとしてちょっと調べてみたら、車両の維持、修繕のためにクラウドファンディングを実施していたそうで、募集終了日の2024年1月15日までに6,735,000円集まったそうです。維持するにも撤去するのにもお金はかかりますし、車両を未来に残したい!とありま...
今回は古すぎの2015年春の椿公園です。駐車場からの眺めです。入口です。大吊り橋。橋から下を見ると西ノ谷堰です。上にはもう一つの吊り橋があります。山の上には展望台があるようなので歩を進めます。この建物は園内マップによると中心施設となっており、何に使うのか分かりませんがトイレはこの建物の中にあります。椿公園の名の通りに椿の木が沢山植えられているのですけど、この時は時期外れで花は咲いていなかったです。そし...
いすみ鉄道国吉駅から近い場所にある夷隅不動尊に行きました。夷隅不動尊のほうが名が知れているみたいですが、ここは 聖王寺といいます。安土桃山時代からのお寺なようです。お堂を見ましょう。右側の赤い顔は天狗で、左の青い顔は河童に見えました。こちらが本堂ですね。西国三十三観音 お参り下さい と書かれていますが観音様はどこにいるのか分かりませんでした。今回はこれまでです。...
前回のトンボの沼の写真を撮っていたら、ここが見えてどうしても気になったので行ってきました。見えづらいですが、この写真の右側がトンボの沼です。台河堰とは変わった名称だなと思いまして、調べてみれば、ここの地名がいすみ市.高谷字台河と言うそうです。ここであそばないとは書いてありますが、決して立入禁止とは書かれていないので、勇気を出して?階段を登ります。上まで来て、振り返れば高い山のない千葉県らしい田園風景...
いすみ市高谷からです。とんぼの沼なのですけど、高田堰とも言います。この建物は休憩所とトイレみたいです。堰の中にいくつか島があってあるいては行けない島があります。立ち入り禁止と出ていましたが、どうも本当に禁止したいようには見えないロープの貼り方なので、入ってしまいました。怒られたら謝ろう。そしてどうもすみませんでした。デッキは少しグラグラしていたけど普通に歩けました。湿地帯のようですが、水のある部分...
前回の八幡神社の前の田んぼに塚のようなものがありました。気になった所に行くのが私の自由な旅の楽しみです。ガイドを見て旅をしたら、大したことはないのに人ばかり多くて、なんて事はない、いわばがっかりスポットだった。と言った経験はないでしょうか。私はただ己の興味だけで行動しますので、そんな事はないです。そして観光地や名所がほとんど載っていない変態的ブログを続けています。なんか話が脱線しました。塚の後ろ側...
いすみ市岬町押日の八幡神社をやります。写真は2022年の真冬ですので田んぼは枯れていますがのどかな田園風景です。そして外房線が通ります。木々で覆われた中に神社があります。板張りで中が見えない拝殿です。この神社では毎年9月25日に中根六社祭りが行われ、かなり盛り上がるようです。そして私が気になったのは左側にあるこの茅葺の建物です。〇〇堂とか書いてないので何に使われているのか分かりません。いい感じでくたびれ...
最初に余計な前置きを。ほぼ千葉県全域を載せている我がブログですが、逆三角の形の千葉県において、外房川側が著しく弱い事をずっと気にしていて、解消のために優先して載せてはいましたが、それ位では追いつかないです。現時点で内房側が市川67,船橋73,千葉市177,市原59,館山54に対して、外房側は鴨川のみ76と50回を超えるのはこの市だけになり、次はいすみの43となります。逆に少ない方では20回未満は内房側は袖ヶ浦19、鋸南18...
今年もよろしくお願いします。...
皆々様今年も一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。...
市原市八幡の満徳寺の墓地に足利義明の墓地があるとグーグルマップで知り、ちょっと頭が混乱しました。室町幕府最後の将軍の墓がここにあるのか!!と少し驚きがあり、そしてまたこの手の話はただの言い伝えが多いので、ちょいと調べてみたら何のことは無し、将軍は義昭でここは足利義明のお墓のようです。その足利義明とは小弓公方としてかなりの勢力を誇ったそうです。詳しくはこちらに詳しく書かれています。小弓公方 そしてとに...
奥四万湖から下ったところに四万の甌穴群なるものがあったので立ち寄ってみました。甌穴(おうけつ)とは知らなかったので興味津々です。ここに甌穴の成り立ちが書いてありましたけど、まずは実際に見る方が先だと思いました。四万温泉は国民保養温泉地第一号だそうです。昭和29年に厚生省によって、酸ヶ湯温泉(青森県)、奥日光湯元温泉(栃木県)、昭和29年に厚生省(当時)によって、酸ヶ湯温泉(青森県)、奥日光湯元温泉(栃木...
群馬県中之条の奥四万湖をやります。四万湖が下流にあり、上流に奥四万湖があります。ここは人造湖でダムがあります。ここに来たのはネットで見たら、本当にきれいな青い湖でして、なんとか車で行けそうな所だと思い行ってまいりました。しかし私の写真では色が強く出てしまい、まるで千葉県によくある溜池の藻みたくなってしまいました。実際には透明感のある青です。湖の周りにはトイレも何か所もあり、このように整備された展望...
鴨川富士(標高208m)の麓を車で走っていたらこんな碑がありました。宗門史跡 蓮華寺と書いてあります。宗門史跡史跡ってなに? そして碑のそばには何もありません。脇道を少し入った所にこのようなものがあり、多分これがそうなんだろう。と写真を撮りました。日蓮聖人御疵洗之井戸と書かれています。なんでも日蓮が斬られ、この井戸で疵を洗ったそうです。それと2年ほど蓮華寺に住んだそうです。そしてどうも釈然としないのは、こ...
茂原市渋谷、国道128号沿いにある伊弉子神社です。伊弉子はいさごと読みます。この鳥居は銅で出来ていました。これによると創建は天慶八年(945年)と伝えられているそうで、平安時代から続く神社です。狛犬も銅で出来ていました。これって珍しいのではないかと思います。一見簡素なようですが、彫刻は見事です。この本殿は慶応元年(1865)に作り替えられたそうです。後ろはこんな感じでした。山を削って造ったみたいです。次に大もみ...
グーグルマップで見た、松部ダムの景観にこれは見てみたいと思い行きました。松部ダムグーグルマップより。そしてダムを見るべく右往左往してやっとなんとか行けそうな道を発見しました。すると・・・。完全に立ち入り禁止でダムは全く見えませんでした。ではグーグルマップの写真はどこで撮ったんだろって、これはドローンですよね。いつものように浅はかで行けば見れるだろ。位にしか考えてないので、結構ショックでした。ここま...
匝瑳市飯塚のふれあいパーク八日市場からです。ここって道の駅だと思っていたら違うようです。道の駅は国土交通省の管轄で、ここは農林水産省の管轄のようです。そして都市と農村の総合交流ターミナルとの事であります。今回は公園部分は無しでこの木一本を載せます。部分的には見事に赤くなっていました。アメリカフウと言う木です。アメリカ風ではありません。フウなる木です。かつてとんでもない勘違いをしていた木で、思い出す...
いすみ市釈迦谷の田園地域からです。ここに車を止めてもいいものか?と思いましたが、案内があったので失礼させてもらいました。石造釈迦立像とあり、個人的にこれはそそります。看板を読むと、自然石に彫られている磨崖仏で、像高176㎝、肩ばり53㎝で釈迦説法像なのだそうです。磨損しているけど、細部の彫刻が残っている部分もあるそうで、そしてなんと藤原期のものと推定されるそうです。ちなみに藤原期とは平安時代中期・後期を...
刈り取り直前の稲です。この写真のポイントは稲に負けじと咲く朝顔なのですけど、この小さい写真では何も分かりませんね。やる気が出ないとか言ってないで、次回からちゃんとします。...
数年前の8月に撮った花です。いつものように縮小ソフトにかけたら、赤い花は色かぶりになってしまいました。この白い花の名前は、いつものように分かりません・・・・。そろそろやる気が出ないなどと、だだをこねていないで、本線である千葉県漫遊を載せる時かもしれませんが、ここ最近の更新は楽でいいと思い始めています。そしてすべては気の向くまま、風のふくままでいいだろうと思いながら、もう酔ったので寝ます。...
相も変わらずやる気が出ないので、楽に更新をできるものはないものかと探してみたらこれにたどり着きました。もみじかかえでか分かりません。そして春に撮ったものです。それにしても色が出過ぎですね。実際にはここまで派手ではありません。しかしながらせっかく派手色が出るペンタックスのカメラを使っているのだから、地味に撮る事もないです。明日の事は明日考えよう。今日は大好きな宝ハイボールドライを飲んで眠ります。...
つい最近、とある神社に行きましたところ、栗が落ちていました。ここの地域の人はこんな美味しいものを取らないで放置しているんですね。かくいう私も取りませんでしたけど。写真のためにちょいと配置換えです。ファイル縮小ソフトによりとょっと色が濃くなりました。何かやる気の出ない、秋の夜です。それでは。...
たまには季節にあったものをやります。柿です。よく使うF値11のものです。一眼レフでは重要とされるボケをつくるべく、半分のF5,6にしてみて撮ってみましたが、私の使う安レンズ??、それとも腕??ではボケは足りないですね。もう仕方ないのでこれで良しとしました。なにかやる気が出ない今年の秋です。もしかしたら糖尿が頭に回ってしまった??のでしょうか。しかし糖尿病じゃないのに頭に回るはずではないのかなと、考えるとただの...
jr酒々井駅です。撮ったのは数年前の晩秋です。なんとなくこのオブジェが気になりました。スチールの部分が平仮名のつに見えて、どうして酒々井の、しにしないんだろ?と思いましたが、逆から見れば、しですね。大あほでした。井戸から酒が湧いて出てくる、酒々井の名の元になった造りです。足元には詳しく説明が書かれています。公園風の駅前でした。今回はこんな所で終わります。...
南房総市増間にある農村公園です。どうやら公園と言うよりは地域のコミュニティセンターみたいですが、農村公園と書いてあるのだからここではそうします。これはスクールバスの停留所です。増間コミュニティセンターです。簡素ながらちょっとしゃれた造りになっています。この時は日が沈む夕方です。ですが時計は10時16分で、止まっているようです。二葉分校跡の碑がありました。防災倉庫です。水の流れる音がしました。公園の下に...
前回の切割のすぐ近くにある大日山舎那院をやります。真言宗智山派のお寺だそうです。多くの方は館山市大網の寺院としていますが、地図で見るとどうも南条にあります。切割は大網です。ゆるゆると登って行くと磨崖仏の説明書きがありました。見晴らしはいいです。大房岬が見えました。天気が悪くなければ富士山も見えそうです。磨崖仏の前に舎那院を見ます。いたってシンプルなお寺でした。崖には穴がありました。何のために掘った...
館山市大網の辺りは歴史のある寺や神社が多く、国道410号線の高架橋を通る度に気になっていたので今年2023年の春に行ってきました。そこでネタを探してウロウロしていたら、舎那院山磨崖仏の看板を見つけました。これは行きたくなります。摩崖仏とは以前にこのブログで触れていますので良かったら見てください。ここ舎那院に向かっていたら、気になるものを発見しました。真ん中の木の右側に黒くなった部分があります。中を見てみ...
長生村本郷の住吉神社をやります。この時は真冬で、以前に載せた大関堰と同じ日に撮っています。この神社は天喜3年5月、八幡大神が高根郷の氏神として奉斎されたのがはじまりのようです。天喜3年と言えば西暦1053年で、平安時代です。970年もの歴史があるはずですが、そこまで古くは感じられません。高橋三吉謹書と書かれていました。ちょっと調べてみたら書家ではなくて大正・昭和期の偉い海軍の軍人のようです。ここで目に付いた...
大網白里市四天木の四天木沼をやります。本当の所は沼のすぐ隣にあるこの建物が目につき立ち寄りました。多分揚水機場だと思いますが、両端のぎざぎざが印象的でした。どうしてこうなっているんだろ??と考えましたがおおよそただのデザインでありましょう。せっかく来たのだから沼も撮っておきます。桜の散った頃の写真です。そうこうしているうちに日が沈みます。普通に撮ればこんな色です。そこから少し赤色を強くします。更にカ...
この時は2021年の晩秋です。利根川沿いの国道356号を走っていたところ、雲が良かったので急遽道の駅発酵の里こうざきの裏の田んぼ道に行きました。とにかく自然の雲とか、夕焼けなどは短い時間であっと言う間に様変わりしますので、撮れる時に撮っておかねばなりません。しかし場所を探しているともう見所は終わっている事があります。そんな中で国道365号線は高い建物がなくて撮りやすい場所が多いです。そして偉そうにふかしてい...
匝瑳市飯塚にちょっと土が盛り上がった所がありました。このような場所ですと、自動的に古墳かと思いますがそれは違っていて 知善堂塾跡となっていました。どうやら江戸時代後期から明治初期の寺子屋の跡らしいです。、石碑がいくつかありましたがねうまく撮れていないので割愛します。所で今回の写真は2020年の11月のもので、すでに柿が色づいています。季節も年月もまるで無視しているのがいつもの事であります。平にご両所下さ...
ここはいすみ市行川です。勝浦の行川アイランドの浜行川とは違います。県道465号線といすみ鉄道が並走している場所です。近くには上総中川駅があります。いすみ鉄道です。上総中川駅。駅とは主張せずに完全に周辺に埋もれて?しまうのはいすみ鉄道の特徴の一つです。正式には興栄山妙泉寺と言います。江戸時代初期には初代大多喜藩主・本多家より外護を承けており、慶安2年(1649年)には3代将軍・徳川家光より21石の朱印状が下付さ...
鴨川市上小原にある白絹の滝をやのます。車を止めて少し歩きます。(5分もかからず滝全体が見えました。千葉県の滝では当たり前??の水量の少なさです。しかし高さは30mあるそうです。全体ではうまく撮れないので、部分撮りにします。こんな感じの滝でした。ここの所、多古の古井戸の滝、我孫子滝前不動、市川奥之院と滝のようなものが続いていたので、その流れで一応は本当の滝を載せたく思い、ここをやりました。...
前回の奥之院では流れていない滝の方を載せましたが、今回は入口左手の常修堂です。門を潜りちょっと行くと、こんな感じで八角形の建物があります。常修堂です。これは日常上人御廟所との事です。日常上人とはこの建物自体は古いものではありませんが、造形がいいと思いました。こんなで奥之院を終わりです。...
市川市若宮にある奥之院です。中山法華経寺の奥之院なのですが、ただ奥之院と書かれてあったのでそれに倣います。ここは日蓮聖人がはじめて説法をした地なのだそうです。もちろん色々な伝承や謂れがありますが、今回は割愛します。当然日蓮がいます。しかし日蓮様の銅像はどこのものでも太っています。これは立派な造りです。右隣にはやや地味な建物があります。そして気になるはこれです。うまく撮れていなく、見えずらいですが、...
前回の滝前不動に鳥居がありました。竹林の中の小道でこれは行くしかありません。するとぽつんと石碑が一つ。八十八は読めますが、下は分からず。そして人差し指が印象的でした。坂道の途中には右に分かれる道があり、鳥居はここを祀っているのだと思います。これは多分稲荷神社だと思います。更に上へ行きます。すると畑に石碑がありました。草むらだし、農作業をしている人もいたのであまり近づけませんでした。新四国大師までは...
前回からの続きで滝前不動をやります。まず新四国大師道と書かれた碑があります。正式には新四国相馬霊場八十八ヶ所と言い、大師道とは八十八ヶ所をつなぐ道だと解釈しました。 四国八十八カ所を模したものです。江戸時代に開設されたもので、ここは三十六番札所ですね。では階段を登ります。お堂です。このお堂は江戸時代の文久13年(1816年)の建立で茅葺屋根だったそうですが、昭和63年に銅板にふき替えられたようです。中々立派...
我孫子市岡発戸(おかほっと)の滝前不動尊にある滝をやります。しおりも置いてあって親切です。滝前不動の階段右手に滝とは言っても完全に人口のものです。前回の多古町古井戸の滝を載せたらここもあったじゃないかと思い出しました。龍の口から少ないながらも水が流れ落ちていました。この滝のすぐ横にある芭蕉の句碑です。所でこの水はどこから来ているのか気になり上へ行ってみたら、この小さい池から来ているようです。ではこの...
多古町染井に小さな滝があるらしい事を知りましたので行ってまいりました。入口はこの簡素な看板があるだけで、気が付かないで素通りしそうでした。小井戸の滝 古来旱にも涸れる事はなく、かつてこの清水を飲み、この水で炊く飯を戴くと母乳が豊富に出ると言われておりました。との事です。それでは行ってみましょう。明るく撮っていますが、実際はもっと暗い所だった気がします。高さは1m50㎝位でこれを滝と言えるのか? と思い...
山武市蓮沼イの五所神社をやります。蓮沼イとは我がブログでよくある誤字ではなくてちゃんとした地名です。そうそう言えば香取市にも佐原イの地名があったな、八街にもあったような気がする。って調べてみれば他にも旭市、匝瑳市、東庄町にもあるそうです。ただのイではないですよ。イロハニと各地で一文字地名があります。これは全国でも千葉県に特有な例だそうです。千葉県の北東部の名物??と言ってもいいでしょう。話は五所神社...
犬吠埼灯台です。ここには白いポストがあります。灯台の外周には遊歩道があります。犬吠埼の崖地植物群落の説明看板です。強い潮風に乏しい土壌により、特殊な形や性質をもった植物しか生息できないそうです。その植物群なのですが、なにが特殊なのか私には分かりません。今回の写真は真冬に撮ったものなので草は刈れています。話は変わりますが、我がブログの銚子市を見ていたら、とうに載せているつもりでいた犬吠埼灯台が無い事...
jr中山駅から続く法華経寺の参道の途中にある、清華園と言う、庭園風の公園をやります。この看板によると、平成4年石井はな氏より寄贈。石井家が江戸時代の中頃(享保年間(1716~1736)この地に居住され、近代に入って文房具店を開き、その後店名を清華堂と名付けて書店を併設し、中山町の発展に寄与された場所との事です。門を潜ると管理棟があります。市川まち案内所でもあるそうですが、立派な個人宅にも見えて、私には入りづらい...
長南町のおとなの道楽場です。ここは随分前から知ってはいたのですが、やっているようなやっていないような。でも夜には明かりが点いているので近ずかなかった所です。でもしかしながらどうも空き家になっているようで興味が勝り立ち寄ってみました。とは言っても何年も前の写真です。手造り感のする施設です。後で調べてみれば、ここはスケートの施設だったようです。そして現在は閉鎖されていとの事です。簡素なはしごを登って見...
一宮町綱田の浅間神社をやります。この時は真冬なので草は刈れています。長い階段に鳥居が二つあっていい感じです。この看板を読むと創建は平安時代で西暦では807年です。それと江戸時代寛永(1626)に再建とあります。再建と言うからには一旦は閉じられていたのだと思います。その理由は私の調べ方では分かりませんでした。階段途中で振り返ってみました。地面の砂は海の砂でした。海からは結構離れているし、ここはもう山なのにこ...
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大網白里市金谷郷に正元駐車場があります。この正元って日本酒の看板みたいです。そして駐車場奥には酒蔵跡があります。立派な建物ですが、もう使われていなくて痛みが激しいです。清酒梅一輪とあります。ここが梅一輪の酒蔵だった??今は山武市にあるはず。移転したのか?よく分からないので後で調べれば、千葉県山武市において、昭和59年9月大蔵省の指導を受け、有限会社 若林酒造店(創業明治元年 酒銘「若緑」)と、合資会社 中...
今年2025年の春は長南町に行ったのですけど、向かっている途中になにやら歴史がありそうな山門のお寺がありましたので立ち寄ってみました。大東明山 成菩提院 行徳寺です。天台宗のお寺だそうです。そして山門の建立時期は分からず・・・。お寺周辺は田園と里山でいい感じだと思えばこの山の上はゴルフ場です。見えないけど。左の仁王様です。右です。この階段?梯子?で上にも行けるようです。茂原市の文化財の念仏供養塔があります...
銚子市川口町の銚子ポートタワーです。高さは57.7mと大した事はなさそうですが、周辺には高い建物が無いためとても大きく見えます。この時は午後9時です。あともう何年も前の冬の写真です。ここは写真を撮るのが難しかったです。上の緑に光る展望室は明るくて、それに合わせると暗いタワーはほとんど写りません。なんとかここらへんで折り合いをつけました。これが私の腕とカメラの限界です。冬のせいか誰もいなくて、タワーは異...
長南町水沼を車で走っていた所、マネキン?郡がありました。これは人目を引くには十分なものです。婦警さんは電動で手を振っています。それとこのようなものがくるくると回っていてひもにぶら下がっている金具がこのお釜をひっくり返したような金属に当たって音がしました。この細身の青年??消防団員は長生郡市消防団の服を着ていました。これは多分本物だと思われます。ここを何と呼ぶのかと考えましたが、唯一表記があったので花...
jr成田線沿いの酒々井町上岩橋の小さな集落にある長福寺をやります。入口には読みづらい案内があるのみです。すると赤い屋根が少しだけ見えます。その前に右下に写っている六面地蔵尊も載せておきます。そぼくな六体のお地蔵さんです。文化四年の文字が読めたので西暦で言えば1807年のものです。それでは長福寺にまいりましょう。藪に隠れるように建っているこのお寺はそそります。上まで来ました。長福寺と書いてあるらいしです。...
テレビでやっているポツンと一軒家に感化されて私も。ここは当然千葉県です。ですが個人宅だと思いますので、場所は言いません。春の森に囲まれた素晴らし環境の家です。てすが猪とか普通にいそうです。熊が居ない千葉県では猪が一番怖い動物です。今回は軽めにここまでです。...
白井市富塚の鳥見神社です。創建は不明なれど慶安三年(1650年)の棟札が残っているそうなので1650年創建と言ってもいい??かもしれません。周囲は住宅街ですが、ここは緑が多いです。石碑の多い神社ですが、ここではこの庚申塔群を載せます。見所は一番奥の庚申塔です。宝永3年(1706年)のものです。三猿が彫られています。そして脇には斬られたような跡があります。この庚申塔は江戸時代に我孫子から白井を経て松戸へと続いていた「...
南房総市大井からです。バス停大井橋と待合所です。時刻表を見たら一日に千歳駅に2本、大井細田へ2本となっていました。隣にはお堂がありました。名称などは書いていなかったので、後で調べればいいやとしましたが、グーグルマップでもお堂としか書いてなかった・・・。その隣には本郷川が流れます。これは丸山川の支流です。水はきれいだったと記憶しています。すぐ近くに商店があります。コンビニすら近場に無い山間のこの場所で...
田島オリンピックオークは船橋市習志野霊園にあります。習志野市ではなく、船橋市の習志野です。霊園中央部に丸く刈られた木と縦長の木があります。オリンピックオークはこちらの木です。ドイツカシワの木です。安らぎの木 田島オリンピックオークと書かれています。この田島直人とは1936年のベルリンオリンピックに三段跳びで世界新記録で金メダルを取った人です。更に走幅跳でも銅メダルを獲得した凄い人です。今の時代ならいざ...
匝瑳市栢田の田んぼ道にあった看板です。創造!緑の大地と豊かな自然。道正内の里に入口の矢印。絵は仁組の獅子舞と描かれています。これは行ってみたくなります。なのですが何も無いまま(見逃しただけかも)大通りに出ました。まっ後で調べればいいや、との場を離れました。しかーし後で調べても何も出てきません。知らなくとも生きてはいけますが、せっかくですので知りたいです。そこで知っている方がいれば教えていただけると大...
東金の八鶴湖畔にある八鶴亭は明治期創業の老舗旅館でした。この中の五つの建物が国の登録文化財です。。素晴らしい建物で、いつかは行ってみたい憧れの場所でした。2006年に旅館は廃業で日本料亭八鶴亭として営業を続けていましたが新型コロナウイルスの感染拡大の影響で2021年3月に料亭も廃業となりました。2021年からは建物の一部でレイクサイドレストラン八鶴亭なるフレンチレストランとして営業していましたがそれも、2023年7...
館山市の国道410号線で下にjrが通り、高架になっている部分で気になるお堂が見えるので行ってみました。まずは下のお寺です。蓮幸寺です。このお寺は550年の歴史があるそうです。この時はお堂にしか興味が出なかったので、お寺の写真はこれだけしか撮りませんでした。右手に折れて階段を登ります。山には穴がいくつかあって、中には石碑がありました。どうやらこの穴は古墳時代の横穴墓のようです。一番上まで行くと看板があります...
四街道市大日桜ケ丘の桜ケ丘神社です。創建は昭和22年と新しい神社です。この辺りは元は陸軍下志津原陸軍演習場だった所で、戦後に開拓地として日本各地から入植者が来て開けた街だそうです。故に古い神社やお屋敷はないです。社務所です。屋根があります。これが拝殿でしょうか。変わった造りです。屋根の天井には寄付者の名前がびっしりと書かれています。本殿入口ですが中には入れません。地続きの隣には参集殿なる建物がありま...
もうすぐ千葉県でも桜が咲きますね。その前にはこぶしの花が咲きますね。今が盛りと咲いているようなので載せます。とはいっても今年の花ではありませんよ。もう何年も前の写真です。ペンタックスカメラとシグマレンズの組み合わせで時に青が強く出る事があります。それに縮小ソフトにかけるとさらに強調されて実物とはかけ離れた写真になる事がままあります。私の使っているシグマレンズではいわゆるボケがきれいには中々撮れませ...
いきなりですが、福田村事件をご存じでしょうか。詳しくは書きませんが大変いたましい事件です。その慰霊碑が野田市三ツ堀 の円福寺にあるのを知り、千葉県ブログをやっているのなら載せるべきかと思い昨年2024年の夏に行きました。そして円福寺に着いた所、事務所に声をかけずに立ち入る事を禁ずの看板が出ていて、どうもこれは私の立ち入る場所ではない気がして車で通り過ぎたらこんな所に来てしまいました。これは参った。隣は...
前回からの続きです。もう帰ろうかと思えば展望台の案内があるので行ってみました。この城の面積は千葉県にしては大きいです。水仙が咲いていました。展望台に着きました。天神曲輪跡です。前回の展望台の八幡曲輪跡の方が見晴らしはいいです。東京湾観音です。佐貫城跡からでした。...
富津市の佐貫城跡をやります。この時はもう何年も前の梅の咲く時期でした。この案内によりますと、佐貫城(亀城)は室町時代に築城されたようで長尾氏、武田氏の築城説がありその後、里見、武田、朝倉、加藤、大河内の諸氏の城だったそうです。では行ってみましょう。歩いて行けば二の丸はあっちなので歩を進めます。山道には違いないですが、思ったよりも勾配は緩やかで歩きやすかったです。城跡ですから色々と複雑な構造をしていま...
前回の四街道のツリーハウスを載せた時にふと思い出した、はて他にもこのような建物があったな・・・。どこだっけ?うーん・・。そうだ!成田ゆめ牧場のすぐ近くにあったよ。と言う事で古い写真を引っ張り出してきました。これは中々凝った造りです。しかし、成田ゆめ牧場のものなのか、神崎町のツリーハウスの仲間?なのか、個人の邸宅あるいは別荘的なものなのか、さっぱり分かりません。家からのびる通路はかなりがたがきています...
四街道市吉岡で面白そうなものがありました。このような建物は楽しそうで好きです。撮ったのは昨年2024年末で木の葉が落ちていたので発見出来たけど、葉がある季節だったら気が付かなかったかもしれません。そしてこれまた楽し気な遊戯物があります。ロープが張られていたのでこれ以上は入れませんで外側から撮っています。あとはコンテナにボーイスカウトの文字が。コンテナなのに蔵の図書館??これは後で調べようと帰路につきまし...
神崎町毛成からです。何の変哲もない山に石碑がポツンと二つ。なんだろこれは。この小さい写真では見えずらいですが、一番右側に子供達乃詩と書かれています。円満寺住職書とあります。円満寺は以前に載せていて、同じ日に撮ったものです。もう一つは昭八乃詩です。昭八と何の事か分かりません。すぐ近くに山を登って行く道があり、円満寺まで直通で行けるのか?でもそんなには近くはないのでこれは違うだろうと途中までしか行きま...
以前に載せた菱田遊水地のすぐ近くで、同じ日に撮ったものです。夏の田んぼです。田んぼの向かい、この写真の左側になにかありました。専心念仏と書かれています。そこにはお地蔵さんがいました。そして龍泉院不動堂の門があったので行ってみました。参道?の途中でお堂があったので中をのぞいてみれば小さい仏像がいました。私の拙すぎる印象では立っているの地蔵で座っていれば仏像と言う事にしています。多分間違っているでしょ...
多古町多古の大宮大神です。階段を登ります。振り返ると丸い建物がありました。これは保育園みたいです。一の鳥居を潜ります。うっそうとした参道です。高台にあるのに見晴らしは良くありませんが、森に囲まれ付近の新興住宅地とは別世界でした。二番目の鳥居です。静かな森とまあ大きい神社で終わるかと思いました。しかし横に回ってみた所、なんと隙間があって、中に入れました。拝殿裏はもちろん本殿のすぐ近くまで見れました。...
神崎町毛成に行ったところ、この看板がありました。と言う事は何か歴史があります。明王山円満寺の大般若経と書かれていて、これはよく分かりません。この下には簡略すると、天台宗のお寺で建立は大同2年(807年)の開山と言われる神崎町で1,2を争う古い寺院とあります。しかし古刹の感じはしませんです。それよりもこの地域のコミュニティセンターの印象が強い気がします。広い敷地にぽつんと電話ボックスがあります。このままでは...
一宮海岸広場の駐車場の傍らになにやら石碑がありました。この時は真冬なので芝生は枯れています。芥川龍之介愛の碑について書かれていました。龍之介は女性に初恋し激しい相愛の仲になったものの、家柄の違いにより許されざる恋となりました。彼の親友堀内利器はそれを見かね堀内の故郷一宮に誘い、大正三年七月中旬からこの地に滞在した。すぐ隣には長南町生まれの小説家上田広の碑があります。このお方が愛の碑の建立に尽力した...
このブログでは市と比べると町と村の掲載数が少ないです。理由は魅力がない。からではなくて一つ目は面積が相対的に小さいからです。平成の大合併によって南房総市は7町村が一つになりました。となれば掲載はどうしても多くなります。成田市も印西市もしかりです。横芝光町を除いては町村で合併したところは無くて、単独で町のまま、村のままです。私の気の向くままの旅では面積って結構影響します。もう一つは住まいからの距離が...
銚子市長塚町の路地裏と言ってもいい場所にある浅黄稲荷をやります。まず普通サイズの鳥居があって、先には赤い鳥居が18本並びます。記憶が確かならば、赤い鳥居は塩化ビニールだったです。赤鳥居は小さいのですけど、木も大きいです。石碑を見ると、天保五(1834年)の文字が見えたので、それなりに昔からある神社だと思います。この辺りはまだ海沿いの古い町っぽい感じでした。話は逸れますけど、長年愛用するペンタックスカメラは...
勝浦市川辺の愛宕権現です。前回の平和観音と同じに撮りました。勝浦灯台の近くに入口があります。見晴らしのいい部分もあります。歩を進めれば何か心細いような山道でした。下りきれば階段がありました。愛宕権現です。小さな神社です。鳥居全体を撮りたいのですけどスペースが無くて無理でした。ひっそりと佇む、かつては地元の方だけが知る神社だったのではないかと思います。境内から見る木々は私が住む千葉県北西とは違って、...
勝浦市川津のここの道は海を望む高台で気分が良くて、ついつい通り過ぎていた平和観音に去年の秋にようやく行ってきました。日本海軍駆逐艦沖風慰殉難と物々しくもあります。沖風とは太平洋戦争中に勝浦沖で米軍の攻撃により沈没した旧日本海軍駆逐艦との事です。心して足を踏み入れます。自分勝手な想像よりも質素な観音様がいました。戦死した方の名前が彫られていましたが載せません。海も見えますが見晴らしがいいとは言えませ...
今ちょうどつつじが満開なようです。と言っても今回の写真も今年のものではないです。何年も前です。坪井近隣公園に行ったのですけど、この公園は人が多く、また子供が多いのでこんな所で写真を撮って変態扱いされるのも嫌です。公園の写真はあきらめて、道に咲くつつじを撮りました。長ーく続くつつじロードです。つつじの見ごろって桜と同じか、やや短い気がするので、偶然にもこの場い居れたのは嬉しいです。ただちょっと時間が...
ガネーシャ神の移転先は佐倉市上勝田の田園地帯でした。以前の場所からかすれば広い敷地です。ガネーシャ神とはヒンズー教の神様の一つだそうです。まさに山崎で見た像がここにいました。同じ像なのに山崎では狭く、暗闇たったのので明るい時間に広い敷地で見るのでは大分印象が違いました。ここなら怖くはないです。かなり協力者もいるようです。所有者は東南アジアの雑貨屋さんを営んでいたようです。ちょっと高台でのどかないい...
2018年にここを訳の分からないものとして載せました。これはその時の写真です。他はこちらて見て下さい。ガネーシャ神のいた建物は無くなり、元からある弁財天社だけ残っていました。この時は2023年晩秋です。弁財天社の右隣には紅白の段がありました。これはなんだろ??で過去の写真を見てみればこれはガネーシャ像ののった台座跡でした。そこには移転先が書いてありました。同日に早速移転先に行って見ました。次回にやります。...
今回はこれ一枚です。今年の桜はいつもよりも長持ちしている気がします。ですので今週の土日は天気もいいようで、ちょっと遅いお花見日和ですね。...
ここは佐倉市坂戸のDIC川村記念美術館です。DICとは大日本インキの新社名であり、川村とは創業者の名前です。この先は閉鎖していました。しかし他の公園部分は無料です。もちろん美術館は有料(結構高い)ですが。とても立派な公園、いや庭園です。そしてここである事に気が付きます。思ったよりも桜が少ない・・・。大体において私の行動はなめている??ところがあって、行けば何かある。特に桜などと言う木はどこに行ってもあるも...
手賀沼へそそぐ大津川のウッドデッキの道があるのですけど、車の止め場所がなくて随分と上流から歩いてやってきました。見ての通りに小さい川です。かば田んぼなるものがありました。地域のボランティアの皆様が管理しているそうです。そしてここは鎌ヶ谷市で唯一の田んぼなのだそうです。えっ??鎌ヶ谷って他に田んぼが無かったっけ??ここは深く考えずにそうなのでしょう。小さい橋を渡ります。下流の方へ行くと木の歩道があります...
東金市上布田からです。この辺は飛び地だらけで東金市の中に山武市があったりします。この看板を下った所に不老山薬王寺があります。下る前に駐車場にあった小さな神社も載せておきます。薬王稲荷大明神です。名前の通りにかつては薬王寺内の神社だったと思います。この時は2017年の桜の咲く前です。中々立派なお寺です。桜は一分咲きと言った所ですが、この後に桜の花らしきものが載っていますけどそれは毎年4月8日、釈迦の誕生日...
今回のいすみ市シリーズは朝の写真からはじめたので、終わりは夜がいいのではないかと思いここにします。ここは神社ですが、城跡でもあります。戦国時代のお城だそうです。切り通しを通ります。この土塁が私の写真では伝わりませんが、結構な高さがあります。登ってみれば大原の町が一望できます。神社へ戻ります。この神社は1145年(久安元年)の創建との事で1000年以上の歴史があります。この場所からは大原漁港が見えます。階段...
大原の海と言うと砂浜や漁港を思い浮かべる人が多いと思いますが、ここは細い路地を下った断崖になります。海に行く手前の密林??がいい感じです。海に向かって右側を見ます。この崖は30m弱位かと目算します。後から思えばこの先も見ておけば良かったです。この日は静かな海でした。次は海から左を見ました。大原の八幡岬が近くに見えます。こちらの崖は段々と低くなり八幡岬下は砂浜になります。八幡岬です。道が途切れていたので...
岬町長者の三差路の角にいい感じのお店があります。菓子とパンと書かれています。立ち寄ろうかと思いましたが、車の止め場所が見つけられず信号待ちの車の中から撮っています。ここで目を見張ったのは電話四六番の文字であります。二けたの電話番号ってけっこう凄いと思いましたので、ちょっと調べてみれば6桁になっのが昭和初期なのだそうで、2桁となるとおそらく明治、遅くとも大正時代の番号だと思います。そんなに早くに電話を...
前回の国吉神社の横にこんな道がありました。天徳院と書かれています。正式名称は大岩山天徳院との事です。歩いてみました。お寺の本堂の大悲殿です。正直に言えばあまり手入れはされていません。ここのホームページがあったので、読んでみれば昭和七年に建立された檀家のない小さなお寺でして、そのためなかなか手が回らず行き届いておりませんが、お近くにお越しの際はどうぞお立ち寄り下さい。との事であります。そして、何もな...
いすみの国吉神社に向かった所、出雲大社上総教会となっていました。後で調べてみれば、国吉神社内にあり、創建は明治24年との事です。そして国吉神社はどうも1500年前からあったようで当初は諏訪神社で明治時代に町名から国吉神社となったそうです。出雲大社です。屋根でかいです。摂社末社もあります。そしてここでは本家??の国吉神社を載せます。社務所です。静かでいい佇まいの神社でした。ご神木の大銀杏です。横に太くなるの...