愛知郡愛荘町上蚊野古墳群 宇曽川右岸沿いにある金剛寺野古墳群の中のひとつ かつて102基あったが、ほとんどが消滅しました。 依智秦氏(えちはたうじ)の古墳…
愛知郡愛荘町上蚊野古墳群 宇曽川右岸沿いにある金剛寺野古墳群の中のひとつ かつて102基あったが、ほとんどが消滅しました。 依智秦氏(えちはたうじ)の古墳…
建部神社 孝安天皇の御代に、近江国神崎郡千種嶽に大己貴命、事代主神を祀る 日本武尊が東征の帰路、近江国造の租意布多牟和気の女、布多遅能伊理比売を娶り稲依別王…
勝堂古墳群江戸時代には48基の古墳があったと記録されている現在は6基の古墳が残っており、愛知川中流域の右岸で最もっとも規模の大きな古墳群 まずは、赤坂古墳か…
安土瓢箪山古墳 全長約162mの前方後円墳 後円部:径約90m・高さ約18m 前方部:幅約70m・高さ約14m 段築や葺石などは確認されていない 4世紀中頃…
大中の湖南遺跡 かつて琵琶湖の周辺には多くの内湖が存在していたが、干拓事業により次々と姿を消していった その中のひとつである大中の湖からは、弥生時代中期初頭…
琵琶湖の東にある荒神山(標高284m)。この山頂近くにある荒神山古墳へ向かいます。 荒神山古墳 全長124mの前方後円墳 3段構築 葺石 埴輪 …
上田市生島足島神社へ。東の鳥居から入ります。 東御門 神池 御神橋 屋根がついています。 御本社 御祭神生島大神足…
千曲市”さらしなの里 古代体験パーク”には、円光房遺跡の縄文時代の様子を復元してあります。 円光房遺跡 縄文時代中~後期から中世にいたる遺跡 縄…
長野市森将軍塚古墳館のお隣にある長野県立歴史館へ。 後ろに見えるのは有明山。鉄塔のあたりに有明山将軍塚古墳があります。森将軍塚古墳はもっと左の方ですね。 …
森将軍塚古墳の周辺からは、直径3~20mほどの小さな円墳が13基見つかっている これらの古墳は5世紀初めから7世紀後半の間に次々と造られたもの 砕石で削ら…
森将軍塚古墳館へ。 竪穴式石室 内寸で長さ7.6m・幅2.0m・高さ2.6m 長さ15m、幅9.3m、深さ2.8mの大きな穴の中に二重の石垣を築き…
有明山の尾根上(標高490m)に築かれた森将軍塚古墳。見学バスに乗ったので、楽して古墳まで行けました~。 森将軍塚古墳 墳丘長:約100mの前方後…
加曽利貝塚の”縄文春祭り”へ行ってきました。 3~5日開催されましたが、最終日の今日は”加曽利貝塚E地点・B地点発掘100周年記念式典”も行われました。 …
丸山古墳群第4号墳 薬師山の麓にある円墳 丸山古墳群の中では最も低い標高400mに位置する 福祉施設の敷地内に、石室が保存されていいます。 …
川柳将軍塚古墳のすぐ近くにある姫塚古墳へ。 川柳将軍塚古墳までは結構な坂道でしたが、ここはもう少しだけ上ります。 姫塚古墳 全長31mの前…
川柳将軍塚自然探勝園 長野市の南西端近くにある川柳将軍塚古墳・姫塚古墳へ。 川柳将軍塚古墳にかけて遊歩道になっています。 滝があったりしま…
ほ 小宅古墳群のガイドさんに見せていただいた西坪古墳群の出土品。 西坪古墳群 小宅古墳群の東にある古墳群。前方後円墳1基(3号墳)、円墳3基から…
次は、小宅古墳群へ。亀岡八幡宮を通っていきます。 源義家が奥州への戦勝祈願の際、芦橿沼上に大亀が現れ奇端を示したことにちなみ、古殿地(参道中程)に自…
栃木県立益子芳星高等学校の敷地内にある浅間塚古墳。背中はまりこふんさんです この日(4月6日)は学校がお休みにもかかわらず、事務員さんが校門を開けて待…
次は、神宮寺塚古墳へ。 とその前に”こんもり”発見!兜塚古墳です。 森ノ木古墳群といって、かつては小貝川の右岸の低い段丘上に大きな古墳群を形成し…
愛宕神社 1694年、壬生城主松平輝定が壬生城の鬼門除けとして建立。壬生城の南西(裏鬼門)にも愛宕神社があります。 こちらの愛宕神社は、愛宕塚古墳の…
吾妻古墳 長さ約127mの栃木県内最大の前方後円墳 古墳時代後期(6世紀後半頃) 吾妻古墳 墳丘は2段築成で、墳丘第一段の平坦面が幅広く造られるという…
風土記の丘資料館リニューアル展示解説の続き、”第2部:第1展示室について”です。 第1展示室「龍角寺古墳群と龍角寺」 新しい展示では、風土記の丘…
リニューアルされた千葉県風土記の丘資料館。 リニューアルオープンは4月29日だったのですが、”風土記の丘資料館リニューアル展示解説”に合わせて5月12日に行…
摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館 古墳見学よりも資料館が先の方がよかったかなとは思うのですが、雨が心配だったので古墳見学を先に済ませました。 飯塚古墳…
青空に映える琵琶塚古墳です。 実は、雨の降った前日に琵琶塚古墳にのぼっています。次の日にまたこの近くを通ったので、車道から撮りました。 ちなみに前…
摩利支天塚古墳 長さ約120mの前方後円墳 後円部:直径約70m、高さ10m 前方部:幅約70m、高さ6m 墳丘の東側から北側にかけて、幅約25mの空濠古代…
雨がひどかったので、先に下野国庁跡資料館へ。 下野国庁模型(東から) 全体の発掘調査はされてませんが、東西540m、南北648m程度の規模と考えられ…
下野薬師寺 創建は天武天皇白鳳8(680)年 皇后(後の持統天皇)がご病気になられたため、薬師如来のご威徳をもって病気平癒を祈念するために勅願により建…
丸塚古墳 丸塚古墳 二段に築成された円墳 基壇の直径が58m、墳丘二段目の直径が38m、第一段目からの高さが約6m 周溝を含めた直径…
国分寺愛宕神社 聖武天皇の御代天平十三年(741)勅命により国分寺が創建されたとき、天下泰平・国家安康・火伏の守護神として丑寅の方向に勧請された。 …
天平の丘公園の一角にある、とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センターへ。 縄文土器(三輪仲町遺跡) 縄文土器把手(浄法寺遺跡・御霊前遺跡) 縄文…
天平の丘公園 甲塚古墳から次の古墳へ・・・といっても、これは古墳ではありません。”国見山”といって古墳の形をしたオブジェのようです。 なんでもここで古銭が出土…
下野国分寺跡から甲塚古墳です。 甲塚古墳 全長が約85mの帆立貝形前方後円墳 後円部径63m、高さ7.5m 6世紀後半 左:前方部、右:後円部 …
下野国分寺跡 寺院地の規模が東西413m、南北457m 堀や溝の作り替えから、伽藍地とその外側を区別する寺院地の範囲や変遷がほぼ明らかにされ、1~5期に時…
しもつけ風土記の丘資料館です。 ハニワンくんがお出迎え いきなり古墳時代から始まります。 「その前の時代の遺跡もあることはあるんだけどね…
下野国分尼寺跡です。現在、主要伽藍の基壇と礎石が復元表示されています。 把手もお天気がよくて、絶好の古墳日和です!(ここは古墳じゃないけどね) 歌碑…
八丁鎧塚古墳群 鮎川古墳群を構成する鮎川の段丘上にある6基の古墳群からなる最大の特徴は、人頭大の河原石のみを積み上げて造られた「積石塚古墳」 積石塚古墳…
ムジナゴーロ単位支群から鳶岩単位支群へ。 昨日の続きになります。 『大室古墳群2』 ムジナゴーロ単位支群へ。 昨日の続きです。『長野市大室古墳群1』 …
ムジナゴーロ単位支群へ。 昨日の続きです。『長野市大室古墳群1』 大室古墳館で、大室古墳群の情報収集 大室古墳群 5~8世紀の約250年にわたり…