【掌編】齊藤想『海が休む場所』
第19回坊ちゃん文学賞に応募した作品その1です。 ――――― 『海が休む場所』 齊藤 想 長年漁師を続けてきた祖父には、奇妙な妄想があった。言葉が悪ければ、信念と言い換えても良い。 祖父は小学生だった私を何度も砂浜に連れ出すと、コンビナートや工場が立ち並ぶ岸壁に顔をしかめながら、こう語り掛けてきた。 「海が疲れておる。沖合までよどんでいる。見てごらん。海のため息が漂っておる」 祖父はそう口にするが、私には違いが分からない。目の前にはいつもと同じ藍色の海が広がっている。海は機械のように波を送り出し、砂浜に白線を浮き上がらせ、静かに沖合へと帰っていく。 そのころの私は、祖父の言葉を信じていた。元漁師だから、海のことは何でも知っている。祖父が「海が疲れている」と言うのなら、その通りなのだろう。 私は、祖父に媚びるようにして話す。 「海さんはとっても疲れてい..
2023/04/30 12:00