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三毛庵的生活 http://mikea1.blog26.fc2.com/

旅先や骨董市でみつけたやきもの(土もの・色絵・染付などなど)や和ガラスと暮らす時間。絵も少しだけ

市でみつけるチープなものから少し頑張ったものまで、古いものとの暮らしを楽しんでいます。お好きな方、コメントください♪

ミケア
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大阪府
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北海道
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2011/10/07

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  • 梅雨の走り (和ガラスの小瓶)

    明日は本降りの気配である。そろそろ梅雨の走りであろうか。雨であればと、満開となったマダム・ピエール・ユラーを惜しみつつもカットする。お団子みたいでスイマセン、、枝を残したいので、短い枝。暗いバックで撮ればもっといいだろうなぁ。咲き始めは高芯咲きのアーリー・ハイブリッド・ティー。満開になると万華鏡のように花びらが展開し、10cmもの花になる。いつも、こんなにたくさんの花びらが開ききるのかと心配になる...

  • 2023年の春は過ぎゆく (ルネ・ラリック 杯 『VINGEN』)

    『ミセス ジョン レイン』ハイブリッド・パーペチュアルの中では返り咲き性に優れ、ほとんど棘のない細い枝で半蔓になる。大鉢で結構テキトーに育てても咲いてくれる抜かりなさからは想像も及ばない別嬪さんである。つまり、コンパクトなつる薔薇風景にはもってこいなのである。(四季咲きのつる薔薇のほどんどはアスリート並みに巨大化するのでコントロールができない。)胡蝶蘭『サクラン』(たぶん)大抵の胡蝶蘭には香りはない...

  • 『勝見充男大全』 (英吉利のテディベア盃)

    気がつけば、前回記事を上げてから二か月過ぎているという、、最長不倒距離だなぁ、これは。その間に、椿や牡丹や、そして今は薔薇が通り過ぎつつあり、恒例の筍ご飯も画像を放置。。まぁそれなりに日々暮らしているのだが、どうもブログには辿り着けない。久しぶりに街をぶらぶら、本屋さんを覗いてくる。お目当てのものはなかったけれど、こんなものが出ていたんだ!月刊『目の眼』別冊、『勝見充男大全』私が骨董沼にどっぷり嵌...

  • 12年 (高取焼の花入)

    ...

  • 見失わないように (くらわんか団扇文茶碗)

    日が沈もうとする頃、外に出ると椿『指月山』が咲いていた。もう、花粉がこぼれている。空気も温んで、シデコブシももうじき咲くようだ。黄水仙も咲くと本格的な春の始まり。そろそろまずいな、とは分かってはいたけれど、恒例の春の変調の波に吞まれる。滅入っても、いつかは抜け出せるであろうから、ひたすら耐え忍べばよいのであるが、とにかくも、当たり前の、最低限のこともままならなくなるのが、消え入りそうに惨めである。...

  • 梅花祭から桃の節句 (伊万里色絵貝藻文長皿)

    あれれ、ついこの間、梅花祭の天神さんへ行ったと思ったのに、もう桃の節句。三毛庵、激しく日々に追われている。沢山書き留めたいことはあるのになぁ、、久しぶりの休日の天神さん、お天気も良く、梅花祭に梅も綻び、いい賑わいだった。にぎわう市をぶらぶらして、当たり前のようでいて、決して当たり前ではない日常の有難みをかみしめる。知り合いの業者さんとものを介した話をしたり、思いがけず素敵なものに出会ったり、言い値...

  • 愛を運ぶ小鳥 (色絵染付雀形小皿)

    湊晨(そうしん)侘助の咲き残りが地際に咲いて惜しまれるので、切って入れることにする。(この時期になると、可愛い覆輪はあまり出ないのかな?)すっかり葉裏で咲いていたので、どうにも入れるのはむつかしいのであるが、それでも自宅で得た花を入れるというのは得難いことだ。余力がなくて庭仕事も進まない私の一方で、日差しに力が戻って小鳥は忙しい。そんな訳で、小鳥のお皿でチョコを食す。瀬戸の雀形のお皿。あれ?って思...

  • 夜更かししながら (九谷焼子犬置物)

    日が変わって、建国記念の日。昨夜は雨だったが、今日はどうかな。いつもは余力を蓄えるために夜更かしはしない、気象病で眠れない日を除けばね。だけど今日はたまには、、とちょびっと夜更かし。居間でごろごろ。目をやると、のんちゃんが手に入れた、九谷のわんころ。躍動感溢れるが、なんかお尻をがぶっとやってる。これはじゃれてるというのだろうか?隣には、ブログ村の三毛庵印のわんころである。こちらは仲良さげである。も...

  • 花と小鳥 (色絵花鳥文印判角皿)

    去年紆余曲折しつつ手に入れた椿、『秋の山』が咲く。名の通り秋から咲き始めるが、今年はポットから移したばかりのせいか、立春にようやく一番花。早咲きということを除けば、整形花でもない、何気に咲いているような花なのに、何とはなしに惹かれる。古くからあるということは、何か不変の魅力があるのだろうし、事実佳い花だなと思うけれど、言葉が見つからない。一子侘助初音裏へ回ると、メジロが飛び立ち、立春を待っていたか...

  • 100年の便り (大正末期頃の手彩絵葉書)

    市で見つけた古い手彩の絵葉書、「虹児、F」とあるので蕗谷虹児なのであろうか?とみる。赤い椿に牧羊犬というのも大正頃のイメージ。枚数があったのだが、どれも同じ人が描いているようであり、左上は婦人グラフ、大正13(1924)年9月号の竹久夢二の表紙の「秋」の図柄であるので、誰かが夢二や蕗谷虹児の図案を絵葉書に書いたのであろうか。これなどは、「絵葉書資料館」のサイトに蕗谷虹児「仮面舞踏会の女性」として載...

  • 小正月

    先日のお皿@に走りの菜の花を盛ってみる。春が近づくと食べたくなるもので、オリーブオイルでベーコンとじゃじっと炒め、塩コショウと醤油をひとたらしという簡単なもの。苦みがあるので好き嫌いはありそうだけど、生命力を感じるグリーンがお皿に似合う。添え物、大阪の春は豆ごはんである。うすいえんどうという品種を使うのだが、確か大半は和歌山で生産されるが、消費地は大阪という。昔給食で食べたグリーンピースご飯は冷凍...

  • あんみつたべて (小鹿田焼?の深皿)

    成人とは全く無縁のおトシであるが、成人の日の3連休は三毛庵にとっては大変に重要である。何故なら年末年始に人並みな家事をした反動がこの頃に発動するからである。年末年始は自分の中の予備バッテリーも使っちゃうので、ちょうど今頃は省電力モードなのだよなぁ。。と、そんなときにいただいたのが、榮太樓様のあんみつである。そんなには甘いものを食さない三毛庵であるが、あんみつは好物だ。このようなバッテリー切れには、...

  • 小寒なり (志野釉の兎の火入)

    本年もよろしくお願いいたします。令和5年卯年何かわからんかもしれませぬが、横から見ると耳は長いのです。一応志野釉だったりするのがお洒落さん。鼻の頭に釉薬のかかっていないところがあるのも愛らしく。それにしてもついにこの年末年始、ブログをうやむやのままに年を越してしまった。。実生活においても、大掃除、、いや小掃除さえもうやむやにしようと思い、おせちもみーんなうやむやにしようと思っていたのだが、遅すぎる...

  • 忘却の彼方 (椿『雪灯籠』と白蝶貝のブローチ)

    今日は暖かく穏やかな一日で、久しぶりに真っ当な庭仕事をする。もっといい季節はあったろうに、それほどにまともに体が動くのは久しぶりなのだ。夏場のジャングル化に、のんちゃんに整備を厳命されていたのであるが、先月体調を崩した折には、これからどうやって庭の管理をしようかと途方に暮れた。いつも体調がー、ってオオカミ少年のように言ってるので誰も信じてはくれぬのだが、まずい、終活するヒマもないんじゃ、、と生き散...

  • 師匠の師匠 (武腰善平 色紙香合)

    思うようにからだが動かないせいで気分も滅入りそうになるこの季節、日が傾きかけてから気分転換に椿の蕾の様子など見に出る。気がつけば葉陰で日本水仙が咲いていた。年々早くなるなぁ。水仙というのは、一種で成り立つ得難い花だが、集中力の足りない三毛庵には難しい花だ。部屋の中もお寒くなってきているのだが、どうにか咲いているミニ胡蝶蘭。茶花の対極にある花であるけれども、でも愛らしいものである。先日、なんとなく気...

  • 冬の味覚とお金ちゃん (伊万里線描鳳凰文皿と染付金魚形水滴)

    11月も体調不良との戦いに明け暮れて、よかったのは最後に北陸に行けたことぐらい。この度は本場の香箱ガニにありついて、やはり味は勿論のこと、へたくそな自分の捌き方で食べるのとは違うなあ、と思った次第。肝心なプロの捌いたカニさんの画像がないのであるが、解禁早々に家でいただいた画像を今更載せる。スーパーの香箱はさすがに本場には叶わないけど、解禁の気分を味わうにはそう悪くない。王地山?かな、意外と珍しい長...

  • 立冬なんて (銅花入)

    立冬を待ちかねたように咲く『初嵐』。移り白がよく似合う。地に下したので一年休み、今季もどうにか一枝いただけた具合で気長に待っているのだが、一体どれほどの猶予があるのやら、である。花が咲けばその時を愛でるのであるが、それにしてもなんだか、夢のように現実が移ろうのであるからして。花が咲いて、やがて萎れてゆく様を見、目に映る世界は移ろってゆくのだなぁ、何も残らないのだなぁと思うけれど、それでもやはり、記...

  • 開炉近く (印判の小さな花入)

    11月というのは、北海道では紅葉も終わり、真冬を迎える前のうら寂しい季節である。11月に関西を訪れて、穏やかに暖かく、生垣には紅い花(山茶花だったろう)が咲いていて驚いたものだ。北海道では冬、祖父の温室の中で小さな椿の苗が咲いていて、まさか外で大木になるようなものとは知らなかった。とはいえ椿は、その字の通り本来春先に咲く花であり、暮れから年を越す頃に咲く品種は貴重なものである。「参平椿」は古くから...

  • 神嘗の祭り (古画『雨宝童子図』)

    週末は、いつものように倉吉方面へ梨を買いに出掛ける。直売所が開くまで、お土産屋さんをぶらぶらしたところ、のんちゃんが繊細な竹籠を見つけた。このような竹細工というものは人の手がかかるので、現代においてはなかなか高価なものであるが、実はこれは特価になっていて、うれしいことに手の届く範囲だったもの。ちゃんと内側に銅を張った竹の落としもついているのがうれしい。落としなので、形が合えばなんでもよいのかもしれ...

  • お皿の秋 (九谷赤絵輪花山水文小皿)

    十三夜も過ぎたが、今年の収穫はどうであったのだろう。気候的にも波瀾万丈ではあったと思うけれど、それでも全体としてみればなんとかなった1年ではないだろうか。里山のほうへ行って、稲刈りが無事に済んでいる様子や、栗が売られている様子などを見るとやはりほっとする。見かけたときに、ふっくらしたおまんじゅうなど載せていただきたいものだと思ったのん。平日の夜だったので控え目にしたら、ちょっと小さかったけれど、月...

  • 時は過ぎるけれども (プレスガラス輪花皿)

    気がつけば浄水ポットのカートリッジの換え時が来ていて、いつの間に3か月経ったんや!と大変に焦る。次回換えるのは年末だということにも驚愕する。この時間間隔はトシ相応なのか、よくわかんないなぁ。。9月など、ほとんど毎週の台風にやられっ放しだったからしょうがないけれど。スーパーで買った「紅いわて」なるりんごを食す。かりっとして、酸味があり、蜜のような甘みもあってお好みであった。すっきりとしたガラスのお皿...

  • クッキーに織部考 (飴釉織部格子紋中皿)

    14号の台風一過、一気に大陸の秋の空気に入れ替わる。暑さ寒さも彼岸まで、を体感するが、また台風が来るようで、、どうぞお手柔らかに。コマンダンテを買ってから、平日も珈琲を豆から淹れることがなんだか増えた。(豆を挽く負担が少ないという地味な理由が結構ポイント高い。)実際、美味しい珈琲が入るので、気分も癒されるからついつい手が伸びるのであるが。ひんやりしてきたとはいえ、まだ我が家はアイス珈琲である。アイ...

  • 初物 (絵瀬戸クルス文飯茶碗)

    何かのせいにしてはいけないのだけれど、この度の台風のお陰様で虫の居所の悪い三毛庵である。己の未熟さを人のせいにして生きているようなもので、格好悪いなぁ、、と思う。でもそうでも思わないと駄目なヤツだとこれまた自分を卑下してしまう訳で、ややこしい。ダメな日もある、そう素直に反省したら次は頑張る、そのように思えればそれでいいのだ。台風様や人様や、世間様に自分様を責めるのは人生の無駄遣いである。昨日のんち...

  • 夜カフェ (アンカー・ホッキング社の脚付コップ)

    そういえば三毛庵、近ごろカフェなど行っておらぬ。食材が尽き、しかもへとへとな休日の朝、たまに行くぐらいだ。食べるだけでよい待遇は有り難いものであるが、平素は勝手知ったる我が家で自分で淹れる珈琲が美味いのである。(妙なところがせこいので、コスパよく美味いものにありつきたい。)でも若者だった頃は、お小遣いを随分喫茶店代に費やしたけれど。。そんな三毛庵の若かりし頃より、もっと昔のアンカー・ホッキング社の...

  • 処暑 (昭和の和ガラスコップ)

    三毛庵ホームセンターをぶらぶらするのが得意であるが、実は主力商品っぽいもので買うものは知れている。植物はまぁ主力のうちだが、お金ちゃんは違うだろう、しかも大抵は眺めるのだし。。好きなのは処分品漁りで、売れ残りなのでろくなものはないのであるが、中にはこのお値段なら試しにいいかな、というのもたまにはあるのだ。そんなことで以前買い置きにしておいたアレッポの石鹸を引き出しで見つける。ちょうど、100円ショ...

  • どうでもよい鍋の話とか (湯川松堂『遊鮒之図』)

    すごいどうでもよい話なのだが、家で使っている片手鍋を2つ買い替えようと思ったのん。お高いのも色々見て、結局リーズナブルで品質がよさげなのにすることにしたのだけど、三毛庵的にすごい重要なことがあって、それはいつもこれで冷凍うどんを作るということである。だいたい余力のないお昼はお水と加熱するだけの冷凍うどん様のお世話になる。(多少元気なら青ネギを切って追いネギするぐらい。)のんちゃんのとふたり分、別々...

  • 終戦の日、そして送り火 (秦テルヲ『蓮図』短冊ほか)

    お盆なので、秦テルヲの蓮の短冊を飾る。秦テルヲは終戦の年のその暮れに亡くなったのだと、終戦の日を迎えて思う。原因不明の病で、戦争病と云われたらしい。終戦の混乱期では思うような診療も治療も受けられなかっただろう。だけど、今のところは平和で、お医者にかかれるのも当たり前のようなこの時代においても、何やら分らぬ病やら診療を受けられぬ事態やらが起こっているわけだ。歴史の渦中にいる当事者は、案外茹でガエルに...

  • 暑いので負けず考えたりする (再興九谷若杉窯青手輪花花紋小皿)

    感性というものは歳を取るほどにすり減ってゆく、そのような刷り込みが若かりし頃にあったように思うのであるが、気のせいだろうか?当時の大人は、今よりずっと大人だったように思うし、若者と大人の区別もあった気がするので、そういうところからの思い込みか、或いは負け惜しみだったのかもしれない。まぁ、今実際、若者の文化にはついてゆけぬので、すり減って見えたりしてるかな(笑)。しかし、いいおトシになって思うのは、自...

  • 夏過ぎて (和ガラスグラヴュールボウル)

    なんだか、一年が3倍速ぐらいで過ぎている気がするこの頃、、立秋も過ぎて、何とはなしに夜明けが少し遅くなり、夕闇も少し寂しく感じられる。この辺りは酷暑であるが、8月に台風でもないのに国じゅう水害である。海外のニュースを知れば日本の比ではないので、もう謙虚に過ごすほかないが、これはいよいよ末法の世なのかもしれぬ。でも、そうだとしても、悲観せず淡々と過ごすほかないけどね。軟弱者の三毛庵なので、ことが起き...

  • 葉月前 (色絵古九谷片)

    あぁ、気がつけばもう八月はすぐそこである。夏越を過ぎれば激動の七月であった。先週は星野画廊さんへの帰り途、久しぶりに桂の中村軒さんへ。のんちゃんは紫蘇もち、三毛庵は葛桜と、涼しげな葉っぱのお菓子をいただく。星野さんへは、ツバつけていた絵をいただきに。。ステーションギャラリーでの展示で、まだ星野さんの手許にあって手が届きそうなイイ感じのやつを密かにチェックしていた欲どしい三毛庵とのんちゃん。言い訳を...

  • 晴れ間に (初期伊万里染付バッタ文輪花豆皿)

    連休中日、この辺りは晴れ上がったので、シーツを洗い、絵を掛け替える。シーツと絵が同列は可笑しいけれど、絵も矢張り晴れた日に替えたいものだ。替えているうちに遅くなっちゃって、晩御飯は冷凍餃子のお世話になる。昨日は美味しいホタテがきて、枝豆やトウモロコシとかき揚げで食べたので今日はそんなん。だけど、冷凍庫から出して焼くだけでいいのだからありがたいなー。3連休なのでいろいろしたいのであるが、ぐうたら半分...

  • 澄んだ水を泳ぐ (染付金魚文船形皿)

    見た瞬間、お金ちゃん好きのこころを鷲掴みにしたお皿ちゃん。わぁ、と思って見せてもらうとき、落としてはならじとがっつり握っていたらのんちゃんに、あーあ、指紋ベタベタにしちゃって、と云われる始末。なーんて上品なお金ちゃんなのぉ、と思ってみると・・・きゃっ、これはもしや鍋島ではないですか!なーんて可愛い鍋島なのぉ。2日目の催事にこれがあるなんてついてるなぁ、と思ったらお店の方が仰るに初日だーれも目に留め...

  • 星に願いを (肉筆浮世絵『糸繰婦人図』)

    スーパーに笹があったので、七夕飾りを作る。今朝は初蝉の声。明日の夜は星空になるだろうか。七夕飾りの画像を撮ったものの、よくよく考えるとこれは恥ずかしいので、部屋飾りをちょこっと。織姫に因んで、糸繰の図。肉筆浮世絵と云ってよければ、時代も上がるほうかと思う。(そのぶん、なかなかの古色ではあるが。。)三毛庵は子供の頃、全くと言っていいほど社会性がなく、ひとり黙々とお裁縫を趣味とするような暮らしぶりであ...

  • 脳ミソもふもふ (昭和のうさぎの貯金箱)

    台風が戻り梅雨を連れてくる。十分に注意が必要だけれど、日照りを思えば恵みの雨である。例によって三毛庵はお天気に揺さぶられて右往左往しているけれど、それでもこの雨は有難いと思う。ヨワっているので癒し系を。レトロ貯金箱のうさちゃんであるが、もふもふの毛並みが残っていいコンディションらしい。(と、姪に言うと苦笑していた。。)台風にやられて動けないのが悔しいので、なんか考えようとしてなかなか機が熟さない。...

  • 熱帯夜のはじまり (道八色絵豆皿)

    最速で梅雨が明け、電力不足と云われる夏へ突入。お水を無駄には使わず、電気も真に必要なことに使いなさい、ということか。先日北海道より定置網の時シラズを送ってもらったが、その後は全くと言っていいほど不漁なのだそうだ。いつものように季節が巡るのは当たり前のことではなく、稀有なことであったのだ。日々、ちゃんと暮らせているだろうか、と自分に問うたりするのだが。東京に行った折、珍しく道八のお皿を見かけて、持ち...

  • 夏越の祓 (伊万里染付唐子雪遊文皿)

    水無月もあと僅か、久しぶりにお休みに重なったので天神さんへ。茅の輪をくぐってお参り。市のほうは、アンティークフェアと被ったこともありお店は少な目だったけれど、ぶらぶら雰囲気を楽しむ。あ、雪遊文かぁ、、とふと目を留めて手に取ったところ、おっちゃんが怒涛の勢いで売り捌かんとするのでなんだか押し負けてしまった。三毛庵そんなに古伊万里にこだわりもないし、これ甘手だからなぁ、、とは思ったが、まぁそういうご縁...

  • 同行二人Part2 (アンドレ・ボーシャン+藤田龍児展)

    令和元年(2019年)の秋に星野画廊さんが藤田龍児の2度目の遺作展を開いた時、私は少しばかり、、というか、こっぴどく落ち込んでいた。みかんちゃんを失って、それがどうしようもなく自分の責任であることを思い知ったからだ。みかんちゃんとはオランダ獅子頭という種類の金魚の名で、なあんだ、と思われるかもしれない。当時、金魚を飼うようになって2匹目の金魚であったが、大変に可愛らしかっただけでなく、とても人にな...

  • 在宅のとも (ストーンウェアのマグカップと胡蝶蘭「チョコ・ビッツ」)

    月初めにまたまた東京ステーションギャラリー行ったりで、ご多忙だったりお疲れだったり・・・どんだけさぼるんだ。ステーションギャラリーはボーシャン&藤田龍児の展覧会の後期。さぼっている間に、日曜美術館のアートシーンで展覧会の紹介も済んじゃったし。。あ、でも再放送が明日6/19(日)の夜8:45からだった。ご興味のあるお方は是非ご覧を。(三毛庵が保存に失敗した展覧会の感想で書いたはずの『林間都市』が映ってい...

  • ちいさい王女様 (無色のプレスガラスコンポート)

    さぼっている間に薔薇の季節は紫陽花の頃へ移り変わらんとす。平穏とは言えぬ人の世であるが、庭は今のところ平穏。久しぶりによい無色の硝子のコンポートを見つける。小ぶりなのもよいが、地味だけに拍子抜けしそうなお値段だったりするのもよい。高くても安くても、佳いと思えるものに出会える仕合せ。さくらんぼが出たらちょびっと盛ってみたいな。極く淡く、ピンクの発色。(と言い張れるのも硝子好きの特権。)ティアラみたい...

  • カーネーション (プレスガラス花文八角鉢)

    展覧会を見に東京へ行ってきたのでせっせとブログを書いていたら、保存ボタンを押した途端にログアウトされてしまって、虚脱感が半端ない(笑)。FC2さんなんで?いろいろ探ったけど最近そんな話題上がってないし。。ということで、仕方ないのでテスト記事など書いている。(下書き保存してみたが、大丈夫なようだ、、巷に流れる対策らしきことをしたから?)今日は世間は母の日だそうで、スーパーに宮崎のマンゴーが入っていた。種...

  • 雨のち晴れ (丹波黒釉徳利)

    雨の日と晴れの日が交互にやってきて、ますます鬱蒼とする庭である。いつも薔薇の頃は、暑いことはあってもカラッとしたよい季節だが、今年はもう蚊がいて、なんだか季節がひとつ何処かへ行ってしまったようである。『つるジュリア』が咲き始める。ジュリアは元々木立性の品種で、なのでつる種と気づかず買ってしまったやつだ。ハイリッド・ティーのつる種は巨大化するので困るのだが、今のところ何とか大鉢で好きなように育ってい...

  • 緑の渦と昭和の日 (会津本郷の鉢)

    連休初日、雨なので溜まった春の疲れを解消せんとぐうたらすることに。気になっていた用事も済み、ひと段落してぐっすり眠った朝の画像・・・いつの間にか芽出しの季節も過ぎ、気がつけば庭は緑の渦である。(というか最早薔薇の季節であるが。)早春の花が一通り咲き終わり、アヤメ科の花の中でこと好きな花、イチハツが咲く。(といっても、他所で見てイチハツと識別出来るほどの自信はないが・・)ひとつの花は3日ほど咲いてい...

  • 台風1号 (和ガラスグラヴュール盃)

    台風1号は熱帯低気圧が発生するときと、小笠原諸島を通過のとき、そして低気圧となって北海道から遠ざかる今日と3タテをくらった、、とほほ。まぁ、しんどいだけで3月みたいにメンタルまでやられることはないからいいけど、平衡感覚がおかしなことに。。なので何かしたいけれどあんまりできなくて、仕方なしに寝ながらブログを書く。先日お箸箱@を手に入れたので、思い出してアイヌ盆を引っ張り出してお酒をいただく。げんこつ...

  • 筍とアイヌ文、満徳寺椿 (アイヌ彫箸箱)

    春は筍。のんちゃんといつものように買いにゆき、早速筍ご飯と若竹汁でいただく。(炊いてすぐに味見をするの図、、なので木の芽が載ってない!!)くりぬきのお箸箱はアイヌ文様。義父母がはじめに私たちに用意してくれたのは、対のお箸とお箸箱であった。今もどうにか食いっぱぐれずにいるのは、きっとそのおかげである。ただずっと前からお箸箱が痛んでいて、なんとなく気になっていたなか、見つける。アイヌ文様にはそれぞれ意...

  • 清明の候、妄想を垂れる (朝鮮唐津花入)

    桜咲き、世は清明も過ぎる。三毛庵の庭では代わりにジューンベリーが花開く。椿は『寒丹花』。名の通り寒中咲き続ける椀咲の一重で、いただけそうな枝にようやく咲いた、名残の花。ジューンベリー・・・も少し短い枝がよかったけれど、切ってもよい枝というのはそう都合の良い枝ではないのだ。涙ぐましくスキマに植えたアスパラが、今年ようやく太い芽を伸ばす。1本を恭しくふたりでいただく。ハウチワカエデが緩み始めた春の空気...

  • 古典園芸な日々 (平凡社『日本椿集』)

    過日、のんちゃんと市をぶらぶらしていたら春蘭があって、まぁそこらで売られている春蘭など花には大差ないのであるが、見ていたら、「ふたつあるから、買っていけ。育ったら沢山花も着くんやで。」とおっちゃん。知ってるっちゅうに、こんなんやろ。(我が家でもりもり咲いて佳い香りを漂わせる春蘭。)とは思ったが、結局押し切られて買う羽目になる三毛庵、、おっちゃん的に、春蘭は開花してる時しか売りようがないであろうから...

  • メチエ (アンドレ・ボーシャン+藤田龍児展図録)

    2022/04/16~2022/07/10 於東京ステーションギャラリー『牧歌礼讃/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児』展の図録が書籍として出た。画像左(裏面の藤田龍児側)、右はチラシ。残念ながらボーシャンについては、展覧会で実見するしかなく、三毛庵が何か書けることはないのであるが、以前こちら@に書いた、藤田龍児についてちょっと書いておく。(詳しくは展覧会見てからだけれど!)本にはステーションギャラリー、冨田章...

  • 紅い椿と黄硝子 (吹きガラス瓢形徳利)

    『出雲大社赤ヤブ椿』咲く。出雲大社周辺で採集された藪椿の選抜種で、小さくて綺麗な紅い一重。成長ものんびりしていて、どうにかひと枝いただく。茶花向けの椿だけれど、連れ帰った瓢形の硝子徳利に、と思い立つ。開きかけの頃。冷酒用にとガラスの盃を手にしたところ、陳列棚の陰にこれがあって、聞くと口を欠いているのだという。参考品でよければ、ということで分けていただいたのだが、確かにガラスというのは傷物を使うとい...

  • 春蘭の咲く (織部振出)

    昔骨董市で春蘭を買ったことがあって(何でも市で買う女)、余りまじめにお世話もしていないのだが、気づけば毎年咲いている。今年も沢山花がついたので、たまにはこれも入れてみようかな、と思い立つ。でも入れるとなるとやはり葉っぱは泣く泣く3枚頂かねばならぬ。日頃放任していても葉っぱを減らすのは勇気が要る。。普通の春蘭、だけれど密やかに春を告げるお使いなのだ。切るのも惜しいけれど、庭の片隅で咲かせるだけも矢張...

  • 捧げものの春 (椿『月照』とシデコブシ『アップライト』)

    『月照』開花。同じ白の椿でも加茂本阿弥はおおらか、月照は凛とした姿。佳い花が咲いたけれど、短い枝であるのでそのままにする。徒長して、葉っぱも虫にやられた頼りない枝も開花して、これをどうしたものかなと思案する。そうだ、きっとあれ・・・と思いついた、お気に入りのミカン水の瓶。月照は茶花然とした入れ方が相応しい花だけど、このひょろひょろの枝はするりとした透明な瓶がお似合い。ハートの花びら。シデコブシ『ア...

  • 木の芽どき (郷土玩具のふく笛)

    いよいよいろんな芽の動く季節というのに、まだ庭仕事が終わらずじたばたする。きっともう、すこしずついろんなことができなくなってゆくのであろうけど、それ故に、名残惜しく思うことが多すぎる、諦め悪き三毛庵である。先日の加茂本阿弥の固い蕾は開かなかったけれど、雨降る前に膨らんだ蕾をいただく。この度は三葉とはゆかず、なかなかいい感じには入れられないので、ぷっくり膨らんだ蕾のような、郷土玩具のふく笛ちゃんを一...

  • 「古い」って (備前砧形花入)

    3月には途端に落ちる三毛庵なので、先週はくったりしていて市にもゆかれへんかも、、そう思ったのに奇跡的に目覚めるゲンキンな奴。そんなに野望もないから無理して行かんとこ、とは思ったけれど、こんなときこそ意外や素敵な花入になるやつが転がってたりしてー、と閃いた。何しろ近ごろ椿に浮かれまくってた。決して欲しがったわけではないのだけど、気まぐれなふるものの神さまはこのようなときにチャンスの尻尾を掴ませてくれ...

  • 葉裏の西王母 (茶花の古本色々)

    開花を始める秋に逃した西王母を、一年待てずに手に入れる。花の少ない暮れから咲き続ける、金沢の茶花椿の銘花。届いたときに長めの枝に蕾が膨らんでいたので、惜しみつつ鋏を入れた。自分で育てた蕾ではないけれど、、初花を一輪としたかったけれど、短い枝の支えのために、寒さで枝が紅く染まったマダム・サンシード・パラベールを添える。(薔薇だけど、棘がないのをいいことに。)花が葉裏についていて思案する。こちらを向か...

  • 蕎麦猪口の春 (古伊万里氷裂撫子文猪口ほか)

    それにしても豪雪の年である。ということで氷裂撫子文の猪口など取り出す。氷の女王。世間では「残念もの」と呼ばれる、ちょびっとニューのあるやつ。そりゃあ無傷に越したことはないけれど、ふるいもののニューというのは使用に不安のないものも多く、なんだか惜しく思われる。ごはんのお供をちょこっと入れて卓上に出し、贅沢を味わう。なのでごはんが美味しく見える猪口があると、ついつい連れ帰っちゃうのだよなぁ、ごはん好き...

  • 雨水に雨 (九谷庄三手色絵花文小皿)

    有楽の蕾がひとつまたひとつと膨らみ、梅の蕾も綻んでいる。庭仕事の合間に膨らんだ有楽を入れて、後で撮影しようと見るともう開いていた。今日は用事が済んだころには雨が降り始め、作業はお休み。去年の今頃、どういうわけかめまいというのかな、そんなんであまり剪定ができなくて、そのぶん今年は難航しちゃって、うっかり大事なシロモジの枝を折っちゃった。なので、それも有楽と一緒に。いつもは勿体ないので不要な枝を切るば...

  • ゴキゲンな水仙 (昭和レトロなプレスガラスの花瓶)

    蕾があるのを発見して、楽しみに待っていた水仙『ペーパーホワイト』開花。植えたのは3年前@のことらしく、日陰の狭いところに植えたのでなかなか咲けなかったのだろう。純白で、これもやはり寒咲のほうに入ると考える。黄水仙のフェブラリーゴールドが芽を伸ばし始めていて、これが咲くと春の合図。云われることだが、水仙は簡単なようで難しいなぁ、と思う。なるたけ手を加えずに入れたい、とか、葉っぱを切るのは惜しい、とか...

  • 雪に捧ぐ (備前花入)

    眠いけれど寝るのは悔しく、意味もなく睡魔と戦う祝日前夜。騒がしいご時世にも、水仙が咲き、梅が綻び、椿の花が開くのを見る。早春の花はなぜにこのよに胸を打つのであろうか。そのわけを知りたく、花を入れ、本を漁り、やっぱり飽き足らずに椿の品種なぞネットであれこれ探したりするのである。最後のひとつは余計な所業で、あらゆる椿を植えたところで花の不思議に辿り着くことなどないと知ってはいるのだが、哀しいかな、自分...

  • ふるもの好きの泣きどころ (絵瀬戸花鳥文豆角皿)

    先日、Sさんのブログを見て、あ・・・と思ったのは、これにそっくりなお品が載っていたからだ。正確にはこちらは鳥ちゃんが一羽だが、Sさんのには2羽いて、こちらは豆皿だが、Sさんのはもっと大きいお皿のように見える。(工芸青花のブログにもSさんのと同手と思しきお品があって、普通のお皿のサイズだった。)(約7 × 9cm)ということで、このお皿についてちょこっと聞いてみよう♪とSさんをつかまえると、、「わ、いいな、...

  • 小皿に埋もれて (九谷旭山色絵角小皿)

    久しぶりに出勤を暫く続けたところ、どどっとお疲れが。。流行り病より先に体力失くして行き倒れる心配をせざるを得ない三毛庵である。立春寒波がやってきたこともあり、外の作業は諦めて家でぼちぼちすることに。そうだ、お正月からの宿題を片付けるのだ!市で見かけ、のんちゃんが参考にどぉ?と仰って連れ帰った小キズの小皿である。丸山焼の小皿かな、、と思っていたのだけれど、、(というのはもっと若かりし頃、丸山焼と刷り...

  • 蕾膨らむ (九谷色絵松竹梅文小皿)

    すこし、陽射しに力が戻り、すこし、日の暮れが長くなった。大寒から立春まで、寒いけれど希望の膨らむ季節だ。桜はよいものだが、寒の中密やかに膨らむ梅の蕾こそ、その姿。疫病が流行り始めた2年前、梅の実は凶作ともいえる状況であったが、今年はどうだろう。よい実がたくさんなるとよいのだけれど。週末は人に会ったりしてよい時間を過ごした。コロナ渦と呼ばれる状況下で、人との会話も随分制限されるわけだが、それだけに、...

  • 庭駆け回りたし (犬文水滴)

    大寒波がやってきて、雪国のお方はさぞ大変なことと思う。仕事があろうが、老いていようが、そのような都合など容赦はない。容赦ないことがあれば謙虚にもなる、、それはほんとうは悪いことではないのだという気はするけれど。滅多に雪の積もらない街では、さして見たことなどない雪の歌に浮かれたり、交通マヒに不満を垂れたりはあっても、そのような謙虚さには無縁であるからして。あぁでも三毛庵はちょびっとだけ謙虚になるよ。...

  • ぽちっとな (九谷青手椿文小皿)

    庭に出ると加茂本阿弥がほころびかけていて、あぁ、またも蕾を逃してしまった。。平日はなかなか目が行き届かないからなぁ、やはり。それでも覗いた黄身餡のような蕊が可愛いのでお家で愛でることにする。葉裏に咲いてしまって、、ほんものの花だから、その時その時である。艶やかな葉も愛でられたら、尚佳しだけれどね。新年にふらっとお出かけ、佳い画など見た後、ぽちっとな。そういえば九谷は椿文がお好き。お茶が盛んなお土地...

  • 地味正月 (王地山焼染付鹿文長皿)

    年の瀬に寒空の中ようやく綻んだ冬薔薇『ジュリア』。せっかくなのでお正月のお花にと。赤絵の鉢のナゾについて続きを書こうかなぁ、、と思いつつも、お正月ののんびり気分が日に日に増してゆくので、また今度、、ということで(笑)。暮れに見かけたこのような長皿、ありそうであまり見ない感じ、伊万里じゃなさげ、古染付っぽいけれど違うだろうなぁ、、聞くと王地山なのだと云う。今まであまり見たことがないので、わりに珍しいも...

  • ハレの御馳走 (九谷?赤絵虎文八角台鉢)

    本年もよろしくお願いいたします。(要樹平『寅図』)暮れに届いた荷物に入っていた飯寿司。東北から北海道の沿岸部で作られる郷土料理、それぞれに家庭の味を自慢しあうものである。とはいえ、忙しい今の世では家庭で作られることは少なくなりつつあるようだけれど。届いたら、お正月にこれでいただこうと思ってたのん。飯寿司ってきっと赤絵に映えるよなぁ、、と。赤玉の八角台鉢は九谷???の赤絵である。もちろん九谷として買...

  • 除夜 (伊藤柏台『白衣観音図』)

    三毛庵が一年で一番働く大晦日が過ぎようとしている。といっても、至ってフツーの掃除をしたりしてるうちに一日が過ぎるのであるが。。今年はお節は作らない、といいつつもつまむ分をちょびっとだけ、、プレスガラスの小さな段重に。ほんとうは四段あったのでは、ということであったが、そうだったら、まだ冷蔵庫に入れている数の子も一緒にできたなぁ。いつものように年越し蕎麦を作って食べたら、本年の営業終了!何とか一年が過...

  • ウォームピンク (王地山線香立)

    去年は休んでしまった湊晨(そうしん)侘助が咲いている。やっぱり可愛い花だなぁ♪覆輪の名花、『玉の浦』と侘助椿の交配である。椿の育種のことには詳しくはないのだが、作出された平井湊晨さんという方は『玉の浦』を使った交配を得意とされるようで、『友の浦』という、『玉の浦』を八重咲にした花もこの方の作出なのだそうである。(玉の浦交配の八重咲は外国産も含め多々あるが、この花は覆輪の安定性がよく、また樹形もよい...

  • 早咲と寒波 (染付鹿文膾皿)

    最強?寒波到来で外に出る勇気もなく、ぬくぬくしながらシュトーレンをいただく。クリスマスを過ぎれば、一気に年末ムード到来だけれど、エンジンかからないなぁ。。マドンナを食べ終わっちゃったので、今度はりんご。お皿はほんとうは膾皿なのだけど、ぽってりつるんとした可愛らしい形で、こんな風におかず以外もいける感じ。トナカイぢゃないですよ。牡鹿と女鹿が印刻されているのです。線描のように見えるのは、串のようなもの...

  • 再会

    Merry Xmas♪植えて以来、珍しくたわわにに実った実葛を見つけた朝、そろそろ仕舞いの白侘助、月桂樹の剪定枝と。。これを茶花と云ふかは知らんけどー。どうぞすべてに聖なる夜が訪れますように。...

  • 聖夜前 (銅花入)

    寒波到来、のんちゃんと行った小さな日帰り温泉でクリスマス飾りを買う。ほんものの枝葉で出来ていて、飾りながら乾いてゆくのだという。特に何がということもないのだが、その日帰り温泉は何となく心地のよいところで、置いてあるお土産も地味なものだが、よいものを扱っている。この飾りも気持ちのよいものであったからか、のんちゃんがふと目を留めたのだ。崩さないようそっと持ち帰り、玄関に飾る。滅入っていくような、冬至ま...

  • 私を励ますもの (再興九谷若杉窯木瓜形染付山水文小皿)

    白侘助が次々に咲いて、あぁ師走だなぁ、、と感じ入る。まだ苗木だから次々咲くというほどの蕾ではないのだが、それでもひと枝をいただく。作為のある西尾彦四郎の蹲に作為のない白侘助が活きる不思議。何代かは存じ上げぬが、このお方はよく花に親しんだお方だったのかなと思う。一方三毛庵、週末にしたいことは沢山あるのに儘ならない自分に凹みそうになるのだが、そんな自分が入れた花に励まされたりもする不思議。のんちゃんと...

  • 弾けるレモン (吹雪文玉付ステム杯)

    リキュール杯を撮っていたら、のんちゃんがこっちのは撮らないのかという。こちらは冷酒などもう少し実用向きのサイズの杯。弾けるレモンスカッシュのお色、青いリキュール杯とのコントラストを楽しむ。撮らなかったのは理由があって、これがどういうものかちょこっとかんがえていたのん。三毛庵和硝子は好きなのだが、コレクタブルな氷コップはあまり買わない。なので、氷コップと同じ手法の吹雪文の脚付杯というものがあってよい...

  • オリオン座 (青いリキュール杯とワイヤーの小さな手付籠)

    小さなリキュール杯というものは、今の暮らしではそんなに使い途はなく、三毛庵が思い浮かぶのは養命酒とかセキ止めシロップのイメージなのだが、小さいなりにきちんと整形されているのがいじらしいのである。吹きガラスらしく表面にさざ波のように揺らぎがあったりして、チビなのになぁ、と感心するのだ。ロイヤル・ブルーもホーリーなムードが漂ってよろしく、冬のオリオン座を眺めながら養命酒をひとくち、などと夢二風美人の世...

  • 冬の訪れ (ミカン水のビン)

    白菜漬けができた。高かった気温も下がり少し安心。のんちゃんの古い友人の母上様から、家で作った大切な冬野菜を頂いたのだ。その友人が子供のころ、のんちゃんの両親に大変お世話になったのだと仰っていた。なので義父母のおかげにていただいた立派な白菜なのである。ほんとうは、もっと保存食品をいろいろ作って、無駄なくいただく生活を目指したいが、いつも余力がないので、ぼちぼちな暮らしに甘んじている三毛庵。だから、こ...

  • 嘘っぱちを前に (三田青磁鳥形徳利)

    お休みには好きなものを観に行ったりと、しょぼい体力の中で結構楽しんだりしているけれど、何ですかね、余りOUTPUTする気が起こらない。。目に見えるものから見えてくる、目に見えない真実とは何ぞや、などとは思うのであるが。この世の壮大なる嘘っぱちを前に、あほらしゅうなるというんかな、、まあいいや。おまけに絶大なる体調不良は続いていて、考えるよりもしたいことはあるのに、できない、、なのでまたぼーっと考え...

  • ガチな人々 (古茂田守介の画集)

    先日、福井勇の絵@を手に入れてから、久しぶりに星野さんにお会いしたくなり、のんちゃんとお出かけする。星野画廊は佳い香りのする絵ばかりが並ぶ、いつ行っても楽しいところである。柿の秋であるので、もっと見たかった福井勇の絵も掛かっていて嬉しい♪星野さんからすれば、三毛庵などハナたれ小僧であるが、いつも必死で見ているのは伝わるらしく、温かく接してくださるのがありがたい。なんというか、自分と同じような意味に...

  • 白菊と柿とビン (福井勇『静物(画題不明)』)

    毎年、今年の十月は殊更きつい、、などと思うのはトシを取るほどに辛抱が利かなくなっているのでせうか。きついのもまぁ嫌なのだけど、思うようにいろいろのことが出来ないのが嫌だ。でもそういうのんが老いてゆくということなのだろうな。そういえば放ったらかしのお庭で打ち捨てられるように咲いた小菊を見てもののあはれを思いつつ、菊の佳さが分かる御歳にもなったもんだと思うのである。ほんとうはもっと枝ぶりよく入れる努力...

  • 農耕民族 (九谷庄三手農耕図膾皿)

    この間までお腹出して寝ていたのが急に布団にくるまる冷え込みとなり、やっぱり堪える秋なのである。のんちゃんが梨!梨!と騒ぐので、週末は鳥取へ行ったこともあり、米櫃の米が底を尽く事態である。。いや、美味しい新米を食べたいので、いつものお米屋さんで買おうと控えているだけですけどね。ジェットコースターのように変転する気候が続いたこの年、新米の便りに安堵する。余計な甘みのない、美味しいビスケットをいただく。...

  • 物々交換の秋 (アンティークのオウムのジャグ)

    昭和のお家を建て替えてから5年が過ぎ、もう義父の命日。いろんなことが過ぎ去ってゆく。今のおうちも、今どきの流れに逆らって「もの」の堆積するおうちである。(何しろずっと住んでるようなおうちを目指しましたからね・笑)怪しげなおうちであるが、妙に居心地がよいと云われる。玄関にアンティークガラスのオウムのジャグ(首からパカっと開く仕様)が鎮座する。Victorian Silver Plate Parrot Decanter Cut Glass Jugなどで...

  • 芋名月 (伊万里染付山水文豆皿)

    今年はあまりに早い梅雨入りで薄の新芽が随分傷んだから、あまり良い穂が採れない。そろそろ栗も買いに行きたいのだが、なんだかんだ忙しく、お供えもない。栗名月の十三夜にはもう栗は仕舞いの気がするし。だけど栗を買って、剥く元気とかあるかなぁ・・・このごろ思うこと(そもそも高望みもしていないのだが)の6割出来ているのかな?という感じ。もっとできていないかもしれないが、過半数割っているというネガティブな心境に...

  • セプテンバー (再興九谷若杉窯染付山水文猪口)

    ホームセンターで見つけて買って、ぐずぐずしていたら芽が出始めて慌てて植えた、リューコジューム『セプテンバースノー』。セプテンバーってついているものね(笑)。秋咲スノーフレークとも呼ばれる。そろそろ秋の園芸シーズン。彼岸花も芽を伸ばしている。夏は暑すぎるし虫も多いから、秋から冬、春過ぎて梅雨入りまでが三毛庵の庭仕事。(きっと庭の広さに比して草木が多すぎるのもいけないのであろうが。)春に挿して、梅雨時に...

  • きみごろも (プレスガラス角皿)

    私の中ではこの秋冬はいろんな意味で大変だろうという感覚があるのだが、のんちゃんのおかげで、土曜日に気になっていた用事を済ませることができた。来年もいけるとよいけれど、正直どんな世の中になっているやら。。帰り道、ふと思い出してお菓子を買う。ちっちゃいお揚げさんみたいだけど、メレンゲの和菓子。プレスガラスの角皿はマンガン?の発色で淡いピンク色。(画像がイケてなくて申し訳ない。。)断面図はこちら。きみご...

  • タマアジサイ、処暑 (九谷色絵宝尽文貝型豆皿)

    処暑。でも台風のせいかまた暑くなったかな。夜はうなされるし、起きても頭痛が酷いし困ったものだ。五苓散を飲むといくらかマシにはなるので、アタマの中も浮腫んでいるのだろう。せっかく今日はお休みだったのだけどな。タマアジサイが満開に。あんがい枯れはしないのであるが、暖地都市部ではきれいには咲かない。先週までの雨のおかげか今年は沢山、長く開花。長雨も受け入れるほかないのであるが、こういうふうに密かによいこ...

  • 寝くたれる休日 (金魚文印判皿)

    台風が来ているせいなのか、昼間も随分眠りこけちゃって、せっかくのお休みなのに、なんだかなぁ、、な自分。。これではいかん、とばかりに夕方に差し掛かる頃にやっとトイレ掃除をする。トイレ掃除最強だな♪ダメな自分、、というイメージを一掃してくれる由。(のんちゃんにへんなスイッチ入ったと言われるが。)トイレの話の後でなんであるが、晩飯づくりも自己肯定感の増す作業である。今日はお魚焼くだけ攻撃であったので、ご...

  • 夜明けを待つ (エナメル彩雄鶏文結霜ガラスコップ)

    気が付けば夜明けは遅くなり、日が暮れるのも早くなった。立秋過ぎてお盆だものね。五輪の頃は熱帯低気圧、それが台風になり、今は早い秋雨前線?なので夏場なのにずっと低空飛行、、今日はすべきことが全然できなかった。なかなか自分の無力感というものが拭い切れない日々で、そういう時こそ平素の暮らしを淡々と、とは思うのだけれど。でも、お金魚様や草花、それからものたち、愛を注ぐ小さな他者が私を待っていますからね、あ...

  • 八月一日 (伊万里網手鉢)

    梅雨明けしてから、ほんとうに暑いせいもあるとは思うけれど、ここ数日、ものも考えれんぐらいしんどい。。どういうしんどさかというと、ちょうど台風が発生する直前にダウンする、あの脳みそがスカスカになるようなしんどさが続いているというか、日に日にひどくなるというか・・・。天気図を見ると確かに熱帯低気圧はあって、それが台風にもならずずっとおるせいなんかなー、とも思ったり。よくは分かりかねるが、何か目に見えぬ...

  • 平民アスリート (プラスガラス千筋に水玉文鉢)

    オリンピックとかメジャーリーグとか、スポーツで盛り上がる昨今である。オリンピックはコロナの自粛問題と合わさって、お祭りムードは少ないけれど、どうせいつものどんちゃん騒ぎはおカネがらみのものなんだし、陛下が「祝う」じゃなくて「記念する」と宣言されたのだからこれでよいのだ。己と戦うアスリートに勇気をもらう、静かな時間を各々過ごせばよいのだと思う。自粛で生活を根底から覆されている人もいる中、どう思えばよ...

  • 梅酢の熱帯夜 (色絵くらわんか竹文小皿)

    梅雨明け一週間、猛暑が続くのでだんだんと夜温も上がってくる。台風も次々とできているしなぁ。熱帯夜になると、三毛庵よく明け方に足がつったりするのであるが、それって軽い熱中症なのだそうで。(もちろんエアコンはつけてるけど。。)去年あたりから、寝る前のお水に梅を漬けてできる梅酢を極々僅か落とすようになって、それがすっかり解消した。熱中症は水だけでなく塩分も摂らないといけないというけれど、ほんとにそのとお...

  • 七夕の頃 (『あやしい絵』展と福富太郎の本『絵を蒐める』)

    市内をうろちょろしてきたので、鶴屋八幡で生菓子を買う。何か新しいお皿にでも、とは思ったが、やはり組み合わせ重視で既出にて。お菓子に合わせてお皿も吹き寄せにする。三毛庵の分は七夕のお菓子で「願の糸」、お願いはしないけれど、夏越しも過ぎて感謝しながらいただく。思うところあり、人生の先達はいかに・・・と古書を買う。(絶版のせいで定価では買えなかった、とほほ。。)ネットに出ている本がどれもイマイチそうなコ...

  • お盆の夢 (栗の木?角盆)

    ガラクタの市の愉しみは、雑多な中から自分の暮らしに合う一品を拾い出すことにある。玉石混交(石石、たまには玉、かもしれぬが)、カオスの中から日々の暮らしに甘い香りをもたらしてくれそなガラクタを、ひとそれぞれに見つけるのである。久しぶりに小さい角盆を求める。このごろ買っていなかったのは、もうじゅうぶんにあるということに加え、すこしずつ、思うような暮らしを整えてきて、お盆様にすがらずとも生きてゆけるよう...

  • どうでもよさげな話

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