縄文時代の偉業は何故達成されたのか? (4/10 今ここと縄文時代)

縄文時代の偉業は何故達成されたのか? (4/10 今ここと縄文時代)

7月の種子島の旅、そして最近行った青森の旅。そこで時に旧石器時代、時に縄文時代、そして時に数百年前の日本列島の住人たちの偉業に驚嘆した。WebマガジンAMORで種子島の旅について(こちら)書かせていただいたが、写真の三内丸山遺跡の栗の巨木(直径1m)で作った大型掘立柱構造物も二至二分との関係や正確な縄文尺(35cm)を駆使しした設計であり、柱の残存物(焼いたりして保存性が高まったのだろう)が地下に残っていたことなどから、ただものでない偉業であることが感じられた。三内丸山遺跡常設展にて筆者撮影八戸の是川縄文館で見た「縄文時代の編組の探求」展。縄文晩期の籃胎漆器(らんたいしっき)や編み籠にはさらに驚いた。何年か前に佐賀県の東名(ひがしみょう)遺跡で8000年前の沢山の編みかごを見て、現代の編組技術がすでに遥か...縄文時代の偉業は何故達成されたのか?(4/10今ここと縄文時代)