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下田条約が調印された「了仙寺」
下田マイマイ通りの突き当りに、「了仙寺(日蓮宗、国史跡)」があります。此の寺で、ペリー提督と日本全権(林大学頭)により「下田条約(日米和親条約の附則13カ条)…
2024/06/30 01:37
初代下田領主が眠る「泰平寺」
「泰平寺(臨済宗建長寺派)」です。此の辺りは京都より鎌倉に近いので、建長寺派です。 下田5000石の初代領主:戸田忠次が開基となり、雪叟紹立を開山として創立し…
2024/06/29 01:49
吉田松陰拘禁の跡(長命寺跡)
嘉永7年(1854)吉田松陰は、ペリー提督を乗せた米艦「ポーハタン号」へ弟子の金子重輔と「密航」を企図するも拒絶され、小舟を漕ぎだした柿崎の名主:増田平右衛門…
2024/06/28 01:30
欠乏所跡の古民家「ステーキハウス/平野屋」
下田開港後の「欠乏所(下田市指定史跡)」跡の古民家で営業されている「平野屋」です。開港当時の下田の雰囲気を味わいつつ、ステーキやコーヒーを味わうことが出来るお…
2024/06/27 01:33
外国船に消耗品を売った「下田/欠乏所」
安政元年(嘉永7年、1854)に「日米和親条約」が締結され、下田港が開港場となりましたが、外国船が必要な消耗品(=欠乏品=薪、水、食料、石炭など)を供給する場…
2024/06/25 01:10
着任した下田奉行が最初に参拝した「下田八幡神社」
「宝福寺」の南隣り「下田八幡神社(御祭神:誉田別命)」です。正応年間(13世紀後半)の創建と言われ、古くから下田の人々の篤い信仰を集めています。 「迎神の松」…
2024/06/24 01:57
勝が龍馬のために容堂と会見「宝福寺」
マイマイ通りに沿い稲田寺、海善寺と並んでいる「宝福寺(浄土真宗)」です。下田開港に伴い、一時、下田奉行所が設置されました。また、唐人お吉の菩提寺としても知られ…
2024/06/22 01:06
将軍家茂も宿泊した「海善寺」
マイマイ通りに沿って稲田寺の南隣りの「海善寺(浄土宗)」です。まずは、此の山門の見事さ。思わず見惚れます。 江戸時代の寺院には珍しくなかったのでしょうか。思わ…
2024/06/21 01:53
川路聖謨が宿舎とした「稲田寺」
伊豆急下田駅から「マイマイ通り」へ出ると、「稲田寺(とうでんじ、浄土宗)」があります。お吉の恋人/船大工「鶴松(川井又五郎)」が眠っています。 当寺は、幕末の…
2024/06/20 01:12
「伊東遊季亭」のディナー
「伊東遊季亭」です。JR伊東駅からタクシー送迎があるので、熱海や伊豆高原などの伊豆東海岸への旅では、此の宿で宿泊することにしています。 何より、食事が素晴らし…
2024/06/19 01:19
ヘンリームーア・スクエアからの展望/MOA美術館
「MOA美術館」は、創立者:岡田茂吉により第二次世界大戦後から本格的に蒐集された、国宝3点を含む総数約3500点もの膨大なコレクションを有しています。此の日も…
2024/06/18 01:07
眩いばかりの「黄金の茶室」MOA美術館
「大阪城天守閣」にも展示されている「黄金の茶室」ですが、MOA美術館にも、特別展示されています。当時の公卿、武将、茶人、外国人宣教師らの記載文献などの史料から…
2024/06/17 01:52
再現された「光琳屋敷」MOA美術館
MOA美術館内「茶の庭」の、「二條新町/そばの坊」と「和食/花の茶屋」の真ん中にある「光琳屋敷」です。勿論、当美術館の看板所蔵品「国宝/紅白梅図屏風(尾形光琳…
2024/06/16 01:51
MOA美術館「二條新町 そばの坊」
MOA美術館内の「日本庭園/茶の庭」には、「和食/花の茶屋」、「二條新町/そばの坊」と、2件の食事処があります。此の日は「和食/花の茶屋」が貸切中のため、「二…
2024/06/15 01:20
国宝を含む膨大な所蔵美術品「MOA美術館」茶の庭
安政元年(1854)「日米和親条約」が締結され、下田と箱館の開港が約束されました。やはり、函館の次は下田だろうと下田へ向かいます。 途中で熱海で下車。まずは「…
2024/06/13 01:43
高田屋嘉兵衛の遺徳を偲ぶ「高田屋嘉兵衛資料館」
「高田屋嘉兵衛資料館」です。 かつての海産物の倉庫2棟を活用し、高田屋に伝わる生活用品、古文書、嘉兵衛の建造した辰悦丸の模型などを展示しています。安政3年(1…
2024/06/12 01:39
内地からの上陸碑「北海道第一歩の地」
北海道の入口:函館。函館港を見はるかす地に「北海道第一歩の地」碑が建てられています。 ヒグマ(白熊)とイカリがモチーフです。 北洋漁業が最盛期だった頃、あるい…
2024/06/11 01:54
後の函館税関「箱館運上所」
少し進むと、「箱館運上所」跡があります。後ろの建物は、海上自衛隊函館基地隊本部です。 「箱館運上所」は、安政6年(1859)の箱館開港に伴い設置されました。明…
2024/06/10 01:42
此処から海外へ雄飛「新島襄海外渡航の地」
緑の島へ渡る「新島橋」の袂に「新島襄海外渡航の地」碑があります。 襄は「意を決して福音の自由に宣伝せらるる国土に赴かん」と、元治元年(1864)に箱館に到来。…
2024/06/09 01:32
函館港のシンボル緑地「緑の島」
函館港にあるシンボル緑地「緑の島」です。散策、遠足、釣りなどにベストな場所です。スポーツや各種イベント会場にもなります。 島の中は、多目的広場、カラー舗装広場…
2024/06/08 01:21
洋風の意匠が見事な「太刀川家住宅」
少し歩きベイエリアへ出ると、お洒落な函館らしい住宅があります。「太刀川家住宅(国重文)」です。 太刀川家初代:太刀川善吉は、近世末期に越後から箱館へ来て、米穀…
2024/06/07 01:15
傷心惨目の碑がある函館最古の寺院「高龍寺」
寛永10年(1633)に創建された函館最古の寺院「高龍寺(曹洞宗)」です。現在地には明治12年に移転しました。本堂は明治33年の建築ですが、国の登録有形文化財…
2024/06/05 01:48
土方歳三、高田屋一族が眠る「称名寺」
弁天崎台場からの坂を上ると「称名寺(浄土宗)」があります。 正保元年(1644)亀田村にて創建され、宝永年間(18世紀)に現在地へ移転しました。箱館開港時には…
2024/06/03 01:25
新選組最後の地「弁天岬台場」
函館市電の一方の終点「函館どつく前」で下車すると、「新選組最後の地」という標識が目立ちます。「弁天台場」跡です。 司馬さんの「燃えよ剣」によると、近藤が歳三の…
2024/06/02 01:00
函館はイカの街「いか清」
津軽海峡のイカ漁は6月1日解禁。半年間のイカ漁の開始です。夕方になると漁火が灯り、函館山山頂から見えるイカ釣り景色は、函館の夏の風物詩です。 イカ漁は、もとも…
2024/06/01 01:07
戦前の大ヒット作詞家「高橋掬太郎」歌碑
電停「宝来町」の近くに、高橋掬太郎の歌碑があります。高橋が函館日日新聞の記者だったときに作詞した大ヒット曲「酒は涙か溜息か」の歌碑です。 高橋は明治34年に根…
2024/05/31 01:53
5万坪もの豪邸だった「高田屋屋敷」
司馬さんが「江戸時代の日本人のうちで最も英知と良心と勇気があった人物」と評した高田屋嘉兵衛。高田屋は出身地の淡路に本店を、箱館に北前船の拠点を置いていました。…
2024/05/30 01:32
函館の大恩人「高田屋嘉兵衛」像
宝来町の函館山ロープウエイ下に巨大な「高田屋嘉兵衛」像が立っています。嘉兵衛の功績を讃えると共に「函館開港100年」を記念して、昭和33年に立てられました。 …
2024/05/29 01:48
香華絶えない「土方歳三終焉の地」
「土方歳三の終焉の地/一本木関門」です。現在でも、常に香華の絶えることがありません。司馬さんの「燃えよ剣」ラストシーンから。 「参謀府へゆく」歳三は、微笑すれ…
2024/05/28 01:47
五稜郭前で誠の隊旗はためく「最上寺」
五稜郭タワーから五稜郭へ向かう途中、最上寺があります。 新選組の隊旗がはためいており、何となく、土方歳三を祀ってあるような雰囲気です。実は新選組とは関係はない…
2024/05/27 01:39
五稜郭に立つ「土方歳三」像
「五稜郭タワー」1階に立っている土方歳三の像です。土方にとって函館は最後の地となりましたが、今でも、函館での土方人気は相当なものです。 鳥羽伏見の戦いの後、土…
2024/05/26 01:40
見事に復元されている「箱館奉行所」
平成22年「箱館奉行所」は、約140年ぶりに復元・公開されました。その場所は、五稜郭のど真ん中です。 「箱館奉行所」は、下田と共に開港場となった箱館で、諸外国…
2024/05/24 01:18
榎本の蝦夷政権の夢の跡「五稜郭」
それでは、「五稜郭(特別史跡)」へ。 土塁が五稜星型なので五稜郭と通称されていますが、正式名称は亀田役所土塁とか。江戸幕府により、蝦夷地経営と北方防備のために…
2024/05/23 01:15
大地に輝く星型の眺望「五稜郭タワー」
星の形をした西洋式城郭「五稜郭」を中心とした「五稜郭公園」は、函館でも人気の観光地です。まずは全体像を把握するべく、「五稜郭タワー」に入ります。 「五稜郭タワ…
2024/05/21 01:30
ベイエリアにある「函館豊川稲荷神社」
函館ベイエリアに「豊川稲荷神社」があります。文久元年(1861)に町内守護神として創建されました。 本殿越しにベイエリアの高層建物が見えます。 神社創建時に社…
2024/05/20 01:15
二十間もの防火帯が整備「二十間坂」
函館は何度も何度も、大火の被害を受けました。明治12年の大火の後、「どんな大火でも食い止められるように」、二十間(約36m)もの広い防火帯を有する道路が整備さ…
2024/05/19 01:41
日本初の鉄筋コンクリート造本堂「東本願寺函館別院」
大三坂を下ると、日本初の鉄筋コンクリート造の本堂がある「東本願寺函館別院」があります。 寛文9年(1669)に松前専念寺が木古内に阿弥陀堂を建立したのが始まり…
2024/05/18 01:28
大三坂の元町教会前「亀井勝一郎生誕地」碑
大三坂の函館元町カトリック教会前に「亀井勝一郎生誕地」碑があります。昭和期の有名評論家:亀井勝一郎は1907年2月6日、当地で誕生しました。 亀井は早くから共…
2024/05/17 01:16
「函館元町カトリック教会」
大三坂にある「函館カトリック元町教会」です。大三坂の石畳とカトリック元町教会の荘厳な建物は、良く似合っています。 「函館元町カトリック教会(函館天主公教会)」…
2024/05/16 01:55
石畳と街路樹が美しい「大三坂」
元町エリアからベイエリアへ下る「大三坂」です。「日本の道100選」に選定された坂でもあります。名前の由来は、江戸時代、坂の入口に「大三」という名の郷宿(=公用…
2024/05/15 01:44
十字架が印象的「函館聖ヨハネ教会」
正面、樹木に隠れていますが、大きな十字架が印象的な「函館聖ヨハネ教会」です。「函館聖ハリストス正教会」の東隣にあり、正式名を「日本聖公会函館聖ヨハネ教会」とい…
2024/05/14 01:30
映画の撮影などでお馴染み「箱館ハリストス正教会」
更に南東へ進むと「箱館ハリストス正教会(国重文)」が見えてきます。このときは、長期の改修工事が終了し間がない頃で、一層美しい外観を堪能出来ました。 「ハリスト…
2024/05/12 01:52
映画やCMに登場する有名坂「八幡坂」
函館山に向かって多くの坂が延びている函館でも、最も有名な「八幡坂」です。映画やテレビCMなどに多く登場する坂です。常に観光客が写真を撮ろうとしています。 車が…
2024/05/10 01:56
義経伝説もある北海道最古の神社「船魂神社」
「旧函館区公会堂」の近くに「船魂神社」があります。義経伝説を有する北海道最古の神社です。 崇徳帝の御世。融通念仏宗の開祖である良忍上人が此の地に到着されました…
2024/05/09 01:42
2021年にリニューアル「旧函館区公会堂」
基坂を上り切った処にある「旧函館区公会堂」です。明治40年の函館大火で住民の集会所だった町会所が焼失したので住民有志が「公会堂建設協議会」を結成し巨額の寄付を…
2024/05/07 01:58
箱館奉行所があった「元町公園」
函館山の麓、基坂を上りきった処は、かつて箱館奉行所や北海道開拓使、渡島支庁などが置かれた道南行政の中心地でした。 もっと昔、松前藩初代藩主:武田信広と津軽から…
2024/05/05 01:11
ペリー提督箱館来航記念碑
基坂の「旧英国領事館」の直ぐ前に「ペリー広場」があり、「ペリー提督来航記念碑」が立っています。 安政元年(1854)に「日米和親条約」が締結され、下田と箱館の…
2024/05/04 01:58
函館開港の歴史を伝える「旧英国領事館」
基坂を上ると左手にあるのが「旧英国領事館(開港記念館)」です。 大正2年の建築の旧外国公館で、英国人設計士の設計建物です。コロニアル様式が採用され、レンガ造り…
2024/05/03 01:16
江戸時代から街の中心「基坂」
函館の西部地区、函館山の麓ですが、坂が沢山あり、函館港・ベイエリアを見下ろしています。最も有名でガイドブックの表紙に出ている坂は「八幡坂」ですが、地図で数えて…
2024/05/02 01:00
モスグリーンの壁色が印象的「相馬㈱社屋」
基坂と市電通りの交差点にモスグリーンの壁色が印象的な相馬㈱の社屋が有ります。壁枠など随所にお洒落な装飾が施されており、窓(ドーマー窓)などルネッサンス様式をベ…
2024/05/01 01:40
啄木の展示が豊富「函館市文学館」
ベイエリアの赤レンガ倉庫群から市電通りへ出ると、「函館市文学館」があります。大正10年に旧第一銀行函館支店として建設された、煉瓦及び鉄筋コンクリート造3階建て…
2024/04/30 01:14
函館から密航した「新島襄」像
更に進むと、「新島襄ブロンズ像」があります。襄は安中藩士に生まれ、幕府の軍艦操練所で訓練を受けた後、元治元年(1864)に函館から密航しました。 元治元年とい…
2024/04/29 01:32
100余年前の赤煉瓦「金森赤レンガ倉庫群」
七財橋を渡ると、ベイエリア一面に赤レンガ倉庫群が広がっています。「金森赤レンガ倉庫群」で、函館ヒストリープラザ、金森洋物館、BAYはこだて、金森ホールの4つの…
2024/04/28 01:08
数々の映画のロケ地になった「七財橋」
函館ベイエリアの歴史を見つめてきた「七財橋」です。海運業が盛んだった頃、船荷を運ぶために利用された「掘割」と呼ばれる水路に架かっている石造りの橋です。橋の上か…
2024/04/27 01:12
明治館前の絶品フレンチ「紫ぜん」
「はこだて明治館」の直ぐ前(対面)にある「紫ぜん」です。一軒家の絶品フレンチ。 テーブルも落ち着いています。 ●小エビのマリネ 直ぐ近くの市場から仕入れたとい…
2024/04/26 01:54
函館ベイエリアのランドマーク「はこだて明治館」
函館ベイエリア地区のランドマークとも言える建物です。はこだて明治館。 明治44年に北海道で初の「箱館郵便局」として建てられた赤レンガ造りの倉庫を利用したショッ…
2024/04/25 01:41
函館に坂本龍馬記念館?
函館市電の要衝「十字街」に「坂本龍馬記念館」があります。函館で土方歳三ではなく坂本龍馬? 司馬さんが「竜馬がゆく」の「あとがき」に書いておられます。 明治4年…
2024/04/24 01:15
函館へ、まずは朝市
弘前から函館へ。到着すると、駅前のホテルで荷物を預けて、直ぐ隣りの朝市へ。 江戸時代の北海道(蝦夷地)は、松前藩(10万石格)がある程度でしたが、嘉永6年(1…
2024/04/23 01:59
羽田エクセルホテル東急「フライヤーズテーブル」
羽田空港の滑走路が見える部屋が有るホテル「羽田エクセルホテル東急」のレストラン「フライヤーズテーブル」です。 多くの乗降客が行き交う第2ターミナルビルの2階に…
2024/04/22 01:10
江戸小路などもある「羽田空港第3ターミナル」
世界第5位(年間乗降客数:5075万人)にまで大きくなった羽田空港。第1ターミナルから第3ターミナルまであり、少しづつ離れているので、その間を連絡バスで結んで…
2024/04/21 01:58
世界第5位の旅客数「羽田空港」
私は九州への旅行でも新幹線を使用していますが、東京国際空港が、どのように進化しているのか知りたく、羽田へ出掛けました。一休で検索すると、「羽田エクセルホテル東…
2024/04/20 01:41
素材はワイルド、繊細な味付け「キャプテンズ ワーフ」
天王洲アイルから新東海橋を渡ると、直ぐ左に「キャプテンズワーフ」があります。新鮮でワイルドな素材を繊細な味付けで戴けるイタリアン・レストランです。 運河に面し…
2024/04/19 01:04
倉庫街が大変身「天王洲アイル」
京浜運河、天王洲運河に囲まれた「天王洲アイル」です。江戸時代の第四台場を中心に、全域が埋立地です。総面積は約22ha。 りんかい線と羽田モノレールがクロスする…
2024/04/17 01:33
江戸の都市計画プランナー「天海の毛髪塔」
「上野の森美術館」の前にある「天海僧正毛髪塔」です。 南海坊天海と言えば、江戸の都市計画のプランナー兼推進者であり、日光PJのプランナー兼推進者であり、河越・…
2024/04/16 01:12
ひっそりと残る「彰義隊の碑」
上野公園の西郷像の後ろに、ひっそりと残された彰義隊の墓です。三ノ輪の円通寺に小さな彰義隊の墓地がありますが、上野公園には、この1基があるのみ。 司馬さんの「花…
2024/04/15 01:45
木挽町にあった「佐久間象山の兵学塾」
幕末きっての西洋通、佐久間象山が41歳のときに木挽町に開いた兵学塾は、晴海通りの歌舞伎座対面、岩手県のアンテナショップの1筋西にありました。 象山が勝 海舟の…
2024/04/14 01:21
気軽に和食を愉しめる「銀座 すが家」
弘前の次は「函館シリーズ」へ進みますが、一寸、東京の様子を。「銀座、天王洲アイランド、羽田空港」を。 東銀座で、気軽に和食を愉しめるお店を発見しました。歌舞伎…
2024/04/13 01:05
弘前の郷土料理「佐和家」
弘前の郷土料理を食べようと、地元の方々に人気が有る「佐和家」へ。弘前公園にほど近い繁華街にあります。 海鮮中心ですが、肉もあります。リンゴを使ったフレンチとは…
2024/04/12 01:24
県内最古の浄土真宗の本堂建築「円明寺」
新寺町の寺院は、まだまだ有りますが、最後に「円明寺(浄土真宗)」を。此処の本堂は、浄土真宗寺院では、県内最古(県重宝)と言われています。 明応8年(1499)…
2024/04/11 01:07
津軽家菩提寺として広大な境内を有した「報恩寺」
袋宮寺の右隣りにある「一輪山桂光院報恩寺(県重宝、天台宗)」です。明暦2年(1656)に津軽家第4代藩主:津軽信政公が、先代を供養するべく創建した寺院ですが、…
2024/04/10 01:23
弘前高校隣りの古寺「袋宮寺」
弘前高校の直ぐ隣りに「袋宮寺(たいぐうじ、天台宗、県重宝)」があります。江戸時代は、樋口村(現:弘前市茜町)にある「熊野宮(県重宝)」の別当寺でしたが、神仏分…
2024/04/09 01:06
津軽統一戦での戦没者を供養する「最勝寺五重塔」
繰り返しますが、弘前には「寺町」が2カ所あります。まずは茂森町にある「長勝寺を筆頭とする曹洞宗の33寺院を擁する《禅林街》」そして、弘前高校近くにある「新寺町…
2024/04/07 01:48
もと大円寺の牛頭天王だった「八坂神社」
弘前には、「禅林街」以外に「第二寺町」もあります。此方の筆頭寺院は「最勝寺」で、寺領300石を誇ります。そして、最勝寺と同じ敷地であるのが「八坂神社」です。 …
2024/04/06 01:08
日本基督教団弘前教会教会堂と弘前カトリック教会
弘前は、教会も目立つ都市です。まずは「日本基督教団弘前教会教会堂(県重宝)」です。 高さ20mのフランスゴシック風の双塔形式で、外観は白のオイルペイント仕上げ…
2024/04/05 01:47
弘前市「武家屋敷」旧笹森家住宅
金沢を始め、全国各地の「伝統的建造物群保存地区」で、多くの武家屋敷が保存されています。これ等を鑑賞すると、中世の武士や医者などの日常が見えてきます。弘前市にも…
2024/04/04 01:40
弘前市仲町伝統的建造物群保存地区へ
石場家住宅の北側の約10.6haが、国選定の「弘前市伝統的建造物群保存地区(重要伝統的建造物群保存地区)」です。弘前城は、当初、北門(亀甲門)を「追手門」とし…
2024/04/03 01:18
司馬さんも訪れた「石場家住宅」
弘前城の北の郭、通称「亀甲門」前にある「石場家住宅(国の重文)」です。内部へ入ると「司馬さんが当家を訪れたときの写真」が掲示してありました。恐らく、「街道をゆ…
2024/04/02 01:01
弘前公園近くのランチ処「レストラン・ポルトブラン」
リンゴとフレンチの街・弘前。特に弘前公園付近には、ランチ処が沢山あります。此処「レストラン・ポルトブラン」は、手軽なランチコースから本格的なフルコースまで、豊…
2024/04/01 01:29
元の藩校跡地に建つ「旧東奥義塾外人教師館」
寛政8年(1796)津軽藩第9代藩主:津軽寧親(やすちか)公は、藩校「稽古館」を開校しました。「稽古館」は、その後「弘前漢英学校」に継承されましたが、明治4年…
2024/03/31 01:08
藩政時代から伝わる弘前の山車と大太鼓「山車展示館」
弘前の「山車」は、藩政時代の「弘前八幡宮祭礼」の際、神輿の露払いとして、各町内会の人々により繰り出されたことが始まりだと言われています。後に、「ねぷた祭」にも…
2024/03/29 01:46
八角形の奇麗な双塔「旧弘前市立図書館」
ルネサンス様式を基調としながら、漆喰の外壁や軒下の蛇腹など、随所に「和の様式」を採り入れた、弘前らしい見事な洋館です。木造3階建てです。 明治39年の建築で、…
2024/03/28 01:56
外観も内部も気品ある「旧第五十九銀行本店本館」
「青森銀行記念館(旧第五十九銀行本店本館、国指定重文)」です。明治37年に第五十九銀行本店本館として建設され、昭和18年に「青森銀行弘前支店」となりました。昭…
2024/03/25 01:02
煉瓦造りが好感「日本聖公会弘前昇天教会教会堂」
煉瓦造りがとっても好感出来る「弘前昇天教会(県重宝)」です。 明治29年の日本聖公会の宣教開始で、1920年に建てられた教会堂です。設計者は、明治村にある「聖…
2024/03/24 01:39
シールド工場時代の名残を感じる「弘前れんが倉庫美術館」
「弘前れんが倉庫美術館」は、明治・大正期に建設され弘前の風景を造形してきた「煉瓦倉庫」を「近代産業遺産」として「美術館」に改修したものです。築100年に及ぶ煉…
2024/03/23 01:16
名画のロケ地にもなった「旧弘前偕行社」
「旧弘前偕行社」は、旧陸軍第8師団が弘前に設置された際に、「将校たちの社交場」として明治40年に建設された洋館です。 ルネサンス様式を基調とした、東西約50m…
2024/03/21 01:13
太宰が下宿していた「太宰治 学びの家」
太宰治が、旧制弘前高校時代に下宿していた「太宰治 学びの家(旧藤田家住宅、外観のみ)」です。 太宰(津島修治)は、この家に、昭和2年4月から昭和5年3月まで下…
2024/03/20 01:19
弁天さまと親しまれている古社「胸肩神社」
弘前市民には「弁天さま」と呼ばれ、親しまれている「胸肩神社」です。「胸肩」は同じ水に関係が深い「宗像(大社)」に通じ、御祭神は、「宗像大社」と同じ「宗像三女神…
2024/03/19 01:07
「アートホテル弘前シティ」の鉄板焼きディナー
JR弘前駅前の「アートホテル弘前シティ」客室から岩木山が一望出来る宿ですが、食事も美味しいホテルでした。 「鉄板焼き」ですが、新鮮な帆立やお肉、魚、地元産の野…
2024/03/18 01:41
増田手古奈ゆかりの「永泉寺」
高浜虚子門下で青森県出身の増田手古奈ゆかりの「永泉寺」です。「子等のとき 登りしという 花楓」との句が残っています。 その「花楓」。推定樹齢400年といわれる…
2024/03/17 01:45
藩祖:津軽為信が建立した「宗徳寺」
「長勝寺構」内にある禅林街33カ寺。黒門から長勝寺までを「上寺通り」と称するに対し、赤門から「宗徳寺」までを「下寺通り」と称しています。 「下寺通り」の最も奥…
2024/03/16 01:26
今宮一が眠る生家「蘭庭院」
昭和31年、「壁の花」で直木賞を受賞した今 宮一の生家「蘭庭院」です。「ダンディーで、ハイカラで、ロマンチックで、そのくせ現実主義文学に、十分に触れている」と…
2024/03/15 01:10
津軽家菩提寺「長勝寺」
弘前城追手門の南部「茂森山」一帯を削り、堀と土塁を構築した「長勝寺構」には、曹洞宗の寺院33カ寺が整然と並んでいます。その最も奥まった処にある「長勝寺」です。…
2024/03/13 01:01
寺宝「釈迦一代記」がある「鳳松院」
「鳳松院(ほうしょういん)」です。御本尊は「釈迦如来さま」。やはり、立派な山門です。 「種里山」という山号が示すとおり、かつては西津軽郡種里村(現:鯵ヶ沢町)…
2024/03/12 01:39
(弘前禅林街)京徳寺、泉光寺そして海蔵寺
弘前城下町/禅林街。長勝寺構の中に、曹洞宗の寺院が33カ寺も集中しています。 まずは、「京徳寺」です。享禄3年(1530)に五本松(現:青森市浪岡)にて創建さ…
2024/03/11 01:35
弘前城下町/禅林街「栄螺堂、月峰院」
弘前城下町の「禅林街」です。 弘前城の西南部の防衛のために津軽一円から集められた「曹洞宗寺院33カ寺」が「長勝寺構」の中に整然と並んでいます。寺町は何処の城下…
2024/03/09 01:14
弘前「禅林街」へ。「長勝寺構」内に33カ寺が
津軽氏は戦国時代の末期に南部氏から独立を果たしましたが、以来、南部氏とは犬猿の仲となりました。津軽氏、南部氏共に壮大な「弘前城」そして「盛岡城」を築城しました…
2024/03/08 01:09
南部家から独立した津軽藩祖「津軽為信」像
弘前城の東門を出ると、文化センター前に、津軽藩祖:津軽為信の像が建っています。雄々しい姿です。 津軽の地は、もともと南部氏の支配地でした。当時の大浦為信は南部…
2024/03/07 01:57
東日本唯一の現存天守「史跡/弘前城」
東日本では唯一の現存天守(江戸時代の建築物)を有する「弘前城」です。よく「現存12天守」といわれますが、中部地方では、松本、犬山。四国以外の西日本で、姫路、彦…
2024/03/06 01:24
季節の移り変わりを実感「弘前城植物園」
弘前城の城地は、東西約800m、南北約1Km。東と西に、土淵川と岩木川が流れ、西から南にかけては急崖、東側は緩やかな洪積台地で、3重の堀を巡らせる平山城です。…
2024/03/05 01:00
雄大な岩木山を眺めながら散策「藤田記念庭園」
弘前城にも近い「藤田記念庭園」です。水と緑が溢れ、四季折々の風景を愉しむことが出来る庭園です。津軽人の心のふるさと、岩木山も一望で出来ます。 「藤田記念庭園」…
2024/03/02 01:41
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