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Verbum Caro Factum Est https://ameblo.jp/marco-s/

カトリック信者の思索。主日の福音やミサ、祈り、典礼、聖母のことなど書いています。

ブログタイトルは「御言葉は人となり給い」という意味。「お告げの祈り」のラテン語からとりました。日頃思うこと、教会生活、聖書釈義など中心に不定期に書いています。

Francisco Maximiliano
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2011/02/10

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  • 「性的少数者と友人達のためのミサ」の必要性

    「性的少数者と友人のためのミサ」東京に「LGBTQみんなのミサ」という集いとミサがある。そのミサと分かち合いはアライの方がコーディネートされていて幾人かの信者…

  • 時は満ち、神の国は近づいた。

    今年の四旬節が始まった。マルコ福音の冒頭にイエスの受洗と荒野での40日間の試み、ガリラヤでの福音宣教の発端が描かれている。 四旬節というと洗礼志願者の準備とす…

  • イエスの沈黙命令

    次の主日、教会ではマルコ福音の「重い皮膚病」を患った人がイエスによって癒される場面が朗読される。聖書の世界では病は本人や親、もしくは親類や先祖が犯した罪の結果…

  • 傷と闇に価値を与えるイエス

    毎年のことなのだけど夏の終わりから秋の始まりまでどうも調子が良くない。かといって調子を良くしようともさほど思わない。なかなか動いてくれない自分の頭と体と、それ…

  • マルタの親密さとイエスの新しさ

    次の主日教会ではルカ福音10.38-42が朗読される。イエスはマルタとマリアという姉妹のところに訪問するが、当時のユダヤ社会では親族でない女性と一人で話すこと…

  • 何度も何度もあなたに逢っていたのだよ

    イエスの誕生の時、王の誕生を知らせる星を見て東方から博士たちがベトレヘムを訪れ、幼な子に黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げたとマタイ福音に記されている。福音書…

  • 神の計らいはかぎりなく、生涯わたしはその中に生きる。

    教会の信心の中で「イエスの聖心(みこころ)」と「神のいつくしみへの礼拝」というものがある。「イエスの聖心」はイエスの心臓のことだが、これは人間に対して燃えがる…

  • 愛すること。無関心と決別していくということ。

    この主日、教会ではルカ福7・36~50が朗読された。新共同訳では「罪深い女を赦す」という小見出しが、本田哲郎神父の訳には「宗教者はイエスをさぐり、『道をふみは…

  • 倒れても、何度でも、何度でも、起きあがればいいんだ

    聖務日課の寝る前の祈りの最後などに歌われる聖母賛歌の中に「Alma Redemptoris Mater」という賛歌がある。公会議以前は典礼暦に合わせて聖母讃…

  • 新司祭の初ミサ

    先日主日のミサに行ったら、札幌教区の新司祭の初ミサが捧げられていた。予定表に書いてあったのだけどすっかり忘れており(汗)。とーっても綺麗な声で歌ミサを捧げてお…

  • Bloom where God has planted you.

    シスター渡辺和子先生の著書「置かれた所で咲きなさい」は多くの人が手に取りベストセラーとなった。キリスト教に関する書籍にもかかわらずかなり売れたようだ。そしてい…

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