私の心の思いが神のみこころにかないますように(詩編104:34a) 素直な気持ちでこう祈れたらすてきだと思う。
通読のスピードがだいぶ落ちた。二周目に入り半年間で、ヨシュア⇒士師記⇒ルツ記⇒サムエル記⇒列王記⇒歴代誌⇒エズラ記⇒ネヘミヤ記⇒エステル記まで。今週からヨブ記に入ったところ。毎日聖書を読んではいるけど…それでも前回読んだ時とはちょっと印象が違って面白
【文語訳】一切のもの可からざるなし、然れど全てのもの益あるにあらず、一切のもの可からざるなし、されど、一切のもの徳を建つるにあらず。【新改訳】すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、しても良いの
神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。(イザヤ書30:15)正しいもの、本物を見極める力も上から来るのだ
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、
小さい頃、実家の本棚にあった記憶のあるものがたり。DVDで三部作一気に観た。3作全部で泣かされた。1作目のアスランの自己犠牲も、2作目のピーターの自己中心的なうぬぼれと失敗も、3作目の人間の弱さと、それに向かう勇気の必要性も2作目、ルーシーに見えたア
ようやく申命記読了、聖書を通読できた。通読したからなにが変わる訳ではないにしても、ちょっと嬉しい気分です。続けるチカラを与えられてきた事に感謝です。
民数記読了、通読も残すは申命記だけ。もう少し、あともう少し。
民数記20章を読んだ。神への従順とはこんなにも厳格に求められるものなのか。神に従うことも人間業ではないといえる気がしてしまう。。。
まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。(申命記30:14)久しぶりにはっとさせられたみことば。神、常にともにいまし、そういうことなんだなっておもいました。みことばのご啓示を感
世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすようなものに、どうして神の愛がとどまっているでしょう。子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。(第一ヨハネ3:17-18)愛のな
神さまはまた御手を差し伸べてくださった。感謝なことに、また神さまに向かって祈ることができるようになった。なんどもおなじことを繰り返す自分がおろかだとわかっていても、同じように過ちに落ち、その都度神さまから隠れようとしてしまう。でも、そんなことできっこ
少し落ち込んでいる。なかなかうまくことが進まない。あらゆることに後ろ向きになっている感じ。すべて自業自得なのになあ。。。。聖書通読は創世記を読み終えた。あと4つ。
ゼカリヤ書⇒マラキ書⇒四福音書と進め、今日新約聖書を読み終えた。残るはモーセ五書。ゴールが近づいてきたって感じがする。あと少し、もう少し。
求道中のブログが長々続いているのもいかがなものだろうかとは思う(苦笑)。尤も、最近は自分の歩みの遅さも所与のものと捉えていたりする。神さまのスケジュールを人間が理解できるわけもないじゃないかって。開き直りかな………ブログを更新する回数は減ったけれど
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