ブログみるアプリ
日本中の好きなブログをすばやく見られます
無料ダウンロード
ブログ村とはIDが異なります
メインカテゴリーを選択しなおす
フォロー
公事宿(くじやど) その一
時代劇でお馴染みの役回りに「江戸町奉行」がいます。北町の遠山の金さんだったり、南町の大岡越前だったり。江戸町奉行所は北町奉行所と南町奉行所の二ヶ所ありますが、江戸の町を南北に二分して管轄していたわけではありません。江戸時代の役所は月番制で奇数月と偶数月で
2010/02/25 20:10
[私論]人脈 長州VS薩摩 その十二
明治維新における長州閥の精神的、思想的支柱となった人物として吉田松陰がいます。彼は長州藩の兵学の家に生まれ、佐久間象山(信濃松代藩)に師事し尊皇攘夷を藩内で説くようになります。松陰に影響を受けた高杉晋作は藩内の改革運動に参加、急進派の先鋒となります。ある意
2010/02/13 22:00
[私論]人脈 長州VS薩摩 その十一
小泉純一郎氏も三代続いている政治家の一族です。純一郎氏の母方の祖父小泉又二郎はトビ職から身を起こし、港湾労働者などの口入屋を皮切りに小泉組を大きくします。その後衆議院議員となり大臣を務めるまでになります。若い頃に昇り竜の刺青を彫っていたこともあって「いれ
2010/02/13 21:40
[私論]人脈 長州VS薩摩 その十
安倍晋三氏の「晋」は、長州出身の維新の志士「高杉晋作」に由来しているという話は有名です。晋三氏の祖父「岸信介」、その信介氏の曽祖父に「佐藤信寛」という人物がいます。信寛氏は、佐藤家の本家嫡男です。前回に述べましたように岸家は佐藤家の分家で、信介氏の弟佐藤
2010/02/13 21:20
[私論]人脈 長州VS薩摩 その九
このカテゴリー「長州VS薩摩」をテーマとしているにもかかわらず、いつになったら「長州VS薩摩」の話になるのか、自分でもまだ予測が着かないという、思いもよらずに壮大なシリーズになりそうです。そういう意味では、この段階で、飛行機に例えるならば、まだ滑走路にも出現
2010/02/13 21:10
[私論]人脈 長州VS薩摩 その八
戦後からの保守政治をなんとか維持しようとして、自民党は、公明党と連立を組まざる終えなくなり、そのことで、公明党の支援団体「創価学会」の影響力を大きく受ける結果となりました。これに危機感を持ったのが、これまでに述べたような「宗教右翼」であり、「日本会議」を
2010/02/13 21:00
江戸下屋敷 その二
武士は公用以外に外泊をすることはできません。武士はいつ何時でも、主君のために駆けつけなければなりません。そういう意味で常に戦闘態勢になっている必要があります。それは殿様と言えども私的な外泊はできないのです。ですから、将軍には大奥があるように、武家は正室と
2010/02/08 20:30
江戸下屋敷 その一
テレビの時代劇にはよく「江戸屋敷」のシーンが映されます。主に江戸にある大名屋敷をいうことが多く「藩邸」ともいいます。徳川三代将軍家三が参勤交代を制度化したことにより、各藩主が江戸に参府の際に居住、政務を司る場所として幕府から拝領される家屋敷のことです。薩
2010/02/08 19:30
そんぴん
江戸時代、東北の米沢藩の方言で「そんぴん」という言葉がありました。主に武士の間で使われていたといいます。現在この方言をご当地で今も使っているのかどうか知らないのですが、米沢藩主だった上杉鷹山が藩政改革を進めていた頃に一番使われていたと言われます。元々米沢
2010/02/01 13:00
2010年2月 (1件〜100件)
「ブログリーダー」を活用して、sugurupxさんをフォローしませんか?