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キャラツウNEO〜時代を変えたガンダム革命編 http://chara2-gundam.seesaa.net/

大人を巻き込んで、今に繋がるキャラクター文化を築いたガンダムの実像にアプローチ!

さらに、ガンダム的志向をフィルターにして今を語る!!

チョモマスク2代目
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2009/09/07

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  • そして、ガンダム生誕30周年が始まった。(18)

    キャラクターファンの子供たちには少年コミック誌から 作品ファンのティーンエイジャーたちにはアニメ専門誌から、 そしてガンプラユーザーには「月刊ホビージャパン誌」から といった具合に、ガンダムは作品と商品の両面に渡る情報発信ルートを得て ファンとユーザーへ絶えず新しい情報を提供することで市場を賑わせた。 このタイミングでファン待望の劇場作品『機動戦士ガンダム』三部作が投入され、 ガンプラはザク、ジム、ガンキャノン、ガンタンク、リックドムといった人気どころを 続けざまに商品デビューさせた。 作品のリリース情報とガンプラの商品情報、両者の歯車が噛み合ったのが198..

  • そして、ガンダム生誕30周年が始まった。(17)

    バンダイ模型は自ら発行するPR誌「模型情報」を通じて自社商品情報を定期的に発信していた。 だが、書店に行けば気軽に立ち読みできる雑誌の類いではなく、 模型店に足を運ばないと買うことのできない模型流通限定品だったため、 書店流通で配本される雑誌に比べて情報発信力の面で後れを取っていた。 当時のホビー専門誌はというと、自動車やミリタリーものを軸に、 大人を対象に編集されていたので、キャラクターものを取り上げることは皆無であった。 そんな状況下において、ホビー専門誌「月刊ホビージャパン」だけは ガンプラに対して早くから理解を示していた。 ミニカー専門紙として1969年..

  • そして、ガンダム生誕30周年が始まった。(16)

    ガンプラがユーザーの求める劇中のカタチを実現したとき、 次に求められたのは<モビルスーツ=人型兵器>を表すカタチだった。 とは言っても、モビルスーツたちのオリジナルの姿は映像の中にあるわけで、 セル画に描かれていなければ、細部のカタチは存在しないことになる。 加えて何を見せれば、ユーザーに兵器ということが伝わるのか、 答を見つけるために記号化されたモノを映像の中から探さねばならないのだが、 前述の様にビデオが身近な物でなかった時代のことである。 ガンプラはスケールモデルに違いはなかったが、 サイズ以外の要素をカタチに盛り込むことには物理的限界があった。 そんな..

  • モノアイから見た世間/実写版「宇宙戦艦ヤマト」にひとこと

    キャラクターイメージの確立した作品の実写版と聞いて、 喜ぶ現役アニメファンは少ないのではなかろうか。 今の技術であればメカの描写は大いに期待できても キャラクターイメージの確立した人物キャラとなると、 生身の俳優が作品ファンを納得させるのは、かなりハードルの高い仕事と思われる。 小生も、どちらかと問われれば否定派である。 『どろろ』や『カムイ外伝』などの時代劇系ならばそれなり楽しめるが、 アニメだからイメージが膨らむSF系となると、悩んでしまう。 『キャシャーン』、『鉄人28号』、『デビルマン』、『キューティーハニー』、『エイトマン』など、 期待した分、深く落..

  • そして、ガンダム生誕30周年が始まった。(15)

    最初、ユーザーがガンプラに求めたのは 劇中で見るそのままの形に仕上がる再現性であった。 これに対し、ガンプラは造形と可動を組み合わせ、 ユーザーの好みのポーズで楽しめるカタチを提供することで応えた。 今で言うところの可動フィギュアである。 ただ、当時のキャラクターものプラモデルには見られなかった仕様だ。 ひとまず満足感を覚えたユーザーが次に求めたモノは 劇中シーンの再現に耐えられるカタチだった。 このニーズの変化には、タミヤ製ミリタリーモデルが 多分に影響を及ぼしていた。 ガンプラを買い行けば、売り場で色んな作例を目にするのは常である。 そんな中で..

  • そして、ガンダム生誕30周年が始まった。(14)

    ガンダム登場以前、子供向けのアニメ(=テレビ漫画)の賞味期限は 概ね初回テレビ放送期間中とされていた。 模型・玩具関係者の間でも「30分CM映像」と呼ばれていたぐらいで、 番組提供側は視聴者に商品情報を伝えるための手段と考えていた。 実際、初回テレビ放送時のガンダムも例外ではなかった。 ところが再放送以降のガンダムは、 中心支持層がティーンエイジャーへ移行したことにより、 従来とは違うシーンを見せた。 作品のコアファンは映像で語られた物語を入り口にして、 キャラクターの相関関係やメカを成立させる背景世界にも興味を抱いていく。 他方、ガンプラのヘビーユーザ..

  • そして、ガンダム生誕30周年が始まった。(13)

    ガンダムが名実共に世間の知るキャラクターとなったのは1981年のこと。 年初にガンプラが子供たちを巻き込んで大旋風を起こし、 春先から劇場三部作が始動してヤングアダルトたちを奮い立たせた。 ガンダム人気は、ガンプラ人気と作品人気の合体で猛烈な勢いで膨らみ 瞬く間に社会現象にまで登りつめた。その勢いは結果的に2年半ほど続くことになる。 この流れの中でガンダムはティーンエイジャーからの支持を受けていたことにより、 従来のキャラクターには見られなかった新しい動きを見せた。 ガンプラと作品が同化していったのである。 ↓皆様のクリックを励みにしております。

  • そして、ガンダム生誕30周年が始まった。(12)

    メーカーのバンダイ模型(現バンダイ)がガンプラの開発に着手したとき、 同社はガンダム情報をテレビの再放送とアニメ専門誌に頼るという状態だった。 今の様に録画機器が身近に無かった1980年当時のことだから、 開発現場が少ない情報をもとに、手探りでガンダムのカタチを 追い求めていたことは容易に想像することができる。 確かだったのは“ガンダムはヤマトのような作品”という支持者たちの評価だ。 その「宇宙戦艦ヤマト」だが、バンダイ模型はガンプラデビュー1年前の1979年1月から、 コレクション本位のシリーズ商品『メカコレクション』(100円)を展開スタート。 その後に同シ..

  • そして、ガンダム生誕30周年が始まった。(11)

    ガンプラのデビュー時、キャラクターものプラモデルは価格構成と連動して ●誰でも作れる小サイズ=幼児〜小学低学年=初級者、 ●可動ギミックも楽しめる中サイズ=小学高学年以上=中級者、 ●製作テクニックを要求される大サイズ=大人=上級者 といったくくりで3つの商品ラインが存在していた。 最初に発表された『1/144 機動戦士ガンダム』(300円)は初級者向けの小サイズ 『1/100 機動戦士ガンダム』(700円)は中サイズに相当する。 ちなみに、数字だけ見ると中途半端に感じられる「1/144スケール」は、 主に航空機アイテムで採用されている国際標準スケールに..

  • そして、ガンダム生誕30周年が始まった。(10)

    ガンプラはカタチで玩具との差別化に成功し、ユーザーから絶大な支持を獲得した。 このとき、ガンダムの潜在的なキャラクターパワーを最大限に引き出したのが、 プラモデルならではのお家芸“スケールモデル”だった。 当時のプラモデルの王道アイテムは自動車・旅客機・客船といった憧れの乗り物、 それと戦車・戦闘機・軍艦などの想像力を刺激するミリタリー物であった。 素材となった物は、いずれもカタチに意味を持ち、存在することで歴史を語るメカである。 現実世界で強烈なエピソードを持った分だけ、魅惑的な情報の宝庫となっている。 ガンダムに与えられた人型兵器という設定はプラモ..

  • そして、ガンダム生誕30周年が始まった。(9)

    今や伝説と化した、あの史上空前のガンプラブームは 1981年の正月商戦を機に起きた。 どうして発売して直ぐにブームは起きなかったのか? これには当時のプラモデルを取り巻く環境も関係していた。 「クリスマスは親から子(幼児〜小学低学年)へのプレゼントのために 正月は子供(小学生以上)が自分の小遣いで欲しい物を買うために」 といった具合に、年末と年始の持つ意味合いによって ユーザー側の顔ぶれと意識が、今よりも明確に分かれていた。 プラモデルの場合、新商品情報を得る最良の手段は 近所の模型店に通い、商品の置かれている棚を見ることだった。 欲しい物を..

  • そして、ガンダム生誕30周年が始まった。(8)

    作品で火がついたガンダム人気を オリンピックの聖火の様に時代を超越したエネルギーに変えたのは デビュー1年後の1980年7月に発売されたガンプラだった。 ガンプラからファンに発信されたメッセージは、 遊びを優先してオリジナルイメージを犠牲にする幼児向けのカタチではなく、 作品の中で披露された姿を素直にトレースした大人向けのカタチだった。 それは玩具とプラモデルの素材の違いといった次元のものではなく、 “作品の醸し出すリアル感を表現できるのはプラモデルだ”、といった 明快な主張が分かりやすいスタイルで表現されていたのだ。 ↓皆様のクリックを励みにしております。 ..

  • 喝!「アニメの殿堂、建設計画」騒動にひとこと。(後編)

    そもそも「アニメの殿堂」という表現を最初に使ったマスコミはどこなんだ? 文化庁の「国立メディア芸術センター」の計画書を見ると、 “メディア芸術”は以下の様に定義されている。 「メディアアート、アニメーション、マンガ、ゲーム、映画等を包含する表現芸術である」 80年代の“ニューメディア”、90年代の“マルチメディア”と同じ類いのモノではないか。 意味不明な莫大な箱物予算を問題として取り上げるのは結構。 ならば興味本位に煽るのではなく、過去の類例を検証して無意味さを説いて糾弾すべきである。 「アニメの殿堂」と聞いて、小生は秋葉原のイメージが真っ先に頭に浮かんだ。 ..

  • 喝!「アニメの殿堂、建設計画」騒動にひとこと。(前編)

    政治家と報道マスコミは、日本のアニメに対して 相変わらずの認識不足と感じる。 海外市場が注目している国産アニメにして、 日本のマーケットが支持しているモノは 芸術アニメではなく、商業アニメなのである。 両者は似て非なるモノだ。 最近、報道ニュースで騒がれている“アニメの殿堂”こと 「国立メディア芸術総合センター」に関する一連のマスコミ 報道を聞いていると、首をかしげたくなる内容を目にする。 まず、建設計画に関する判断は世論に従うべきと思っている。 小生が疑問視しているのは、 商業アニメを芸術の中に押し込もうとしている官僚のセンス、 それと、税金の使途の是..

  • ●そして、ガンダム生誕30周年が始まった。(7)

    どのジャンルもにも当てはまることだが、 先端に立ち、市場を引っ張っているのは探究心旺盛なマニアである。 新しい遊びを発見すると、「面白い」と感じる方向に突き進み、 ブレることのない自分の物差しに照らしながら時間とお金を費やして、 楽しみ方の開発と、スタイル創造に余念の無い人達だ。 ただ、同じマニアでもジャンルによって世間側の持つイメージは異なる。 日常生活、もっと言えば大人の生活空間に対して 必要度の高いジャンルのマニアは好意的に受け入れられてプラスに、 そうでないジャンルのマニアは奇異な目を向けられてマイナスに向く。 当時のアニメは子供の生活空間にどっぷりと..

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