題を「困った時はダンマパダ」から「困った時はダンマパダ、スッタニパータで悟りを開く」に変更しました。
ダンマパダ423詩の解説を何回か終えた段階で、少し趣を変えて、異なるお経の勉強を始めようという思いに至りました。どのお経を選択するかいろいろ迷いましたが、毎日少しずつ勉強するのに都合がよく、仏教を勉強する人たちに人気のあるお経として、スッタニパータを選びました。
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第28章 悪 19偈、20偈
19 まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遭(あ)うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遭うのである。 20 まだ善い果報が熟しないあいだは、善人でもわざわいに遭(あ)うことがある。しかし善の果報が熟したときには、善人は幸福(さいわい)に遭う。 (ダンマパダ119 まだ悪の報(むく)いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遭(あ)うことがある。しかし悪の報い…
18 愚かな者は、悪いことを行っても、その報いの現れないあいだは、それを蜜のように思いなす。しかしその罪の報いの現れたときには、苦悩を受ける。 (ダンマパダ69 愚かな者は、悪いことを行っても、その報(むく)いの現れないあいだは、それを蜜のように思いなす。しかし、その罪の報いの現れたときには、苦悩を受ける。) (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) …
17 善人は善をなし易い。悪人は善をなし難い。悪人は悪をなし易い。聖者は悪をなし難い。 (ウダーナ5・8) (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント 「善人は善をなし易い。」・・・善人は悪意がないので、善いことはしやすいのです。善いことは当たり前のようにできます。 「悪人は善をなし難い。」・・・悪人は、まず悪意が現れるので、善…
16 善からぬこと、己れのためにならぬことは、なし易い。ためになること、しかも健全なことは、実に極めてなし難い。 (ダンマパダ163 善からぬこと、己れのためにならぬことは、なし易い。ためになること、善いことは、実に極めてなし難い。 (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント 今回の偈は、自分の心に問いかけてみればわかることで…
15 もしも掌(てのひら)に傷がなければ、その人は掌(てのひら)で毒をもっていることもできるであろう。傷の無い人に、毒は及ばない。悪をなさない人には、悪の及ぶことがない。 (ダンマパダ124 もしも手に傷がなければ、その人は手で毒をとり去ることもできるであろう。傷の無い人に、毒は及ばない。悪をなさない人には、悪の及ぶことがない。) (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文…
14 同行する仲間が少ないのに多くの財を運ばなければならぬ商人が、危険な道を避けるように、また生きたいとねがう人が毒を避けるように、ひとはもろもろの悪を避けよ。 (ダンマパダ123 同行する仲間が少ないのに多くの財を運ばなければならぬ商人が、危険な道を避けるように、また生きたいとねがう人が毒を避けるように、ひとはもろもろの悪を避けよ。) (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波…
13 眼のある人は、不平等のようなことがらに勇敢に打ち克つ。___たとい何かが存在していても。賢者は、この命あるものどもの世界において、悪いことがらを全く避けるべきである。 (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント パーリ語のウダーナ(感興のことば)の第5章の3の終わりに、次の偈が添えられています。 「眼ある者はあらん限りの努力…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第28章 悪 11偈、12偈
11 みずから悪をなすならば、つねに自分が汚れる。みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。 12 人は他人を浄めることができない、___もしもその他人が内的に心のはたらきが浄らかでないならば。金剛石が宝石を磨くように悪人を練磨すること( はできない。) (ダンマパダ165 みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄(きよ)まる。浄いのも浄くないのも、各自…
10 人が何をしようとも、その報いが自分に起こるのを見る。善いことを行った人は良い報いを見、悪いことを行った人は悪い報いを見る。 (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント この偈を単純な因果法則と考えないほうがよいのです。なぜならば、悪いことをしても、始めは悪い報いが現れず、良いことが現れるように見える場合が多々あるからです。 …
9 汚れの無い人、つねに清くて咎のない人、を汚す者がいるならば、そのわざわいは、かえってその浅はかな人に戻って来る。風にさからって細(こまか)い塵を投げると、(その人にもどって来る)ようなものである。 (ダンマパダ125 汚(けが)れの無い人、清くて咎(とが)のない人をそこなう者がいるならば、そのわざわいは、かえってその浅はかな人に至る。風にさからって細かい塵を投げると、(その人にもどって…
8 かれは、心が静まり、(欲望が)止(や)み、ゆっくりと語り、ざわざわすることなく、悪いことがらを吹き払う。___風が木(こ)の葉を吹きはらうように。 (テーラガーター2 かれは、心が静まり、(欲望が)止み、思慮して語り、ざわざわすることなく、悪いことがらを吹き払う。___風が木(こ)の葉を吹きはらうように。) (テーラガーター1006 かれは、心が静かに、やすまり、思慮して語り、心…
7 (自分が)悪いことをしないようにさせ、罪過(つみとが)を指し示し過(あやま)ちを告げてくれる聡明な人に会ったならば、そのような(自分の)過ちを制してくれる賢い人につねにつき従え。___そのような人につき従うならば、善いことがあり、悪いことは無い。 (ダンマパダ76 (おのが)罪過(つみとが)を指摘し過(あやま)ちを告げてくれる聡明な人に会ったならば、その賢い人につき従え。____隠してある…
6 心が煩悩に汚されることなく、心が縛られることなく、善悪のはからいを捨てた人には、悪い領域(=地獄)に落ちるのではないかという恐れが無い。 (ダンマパダ39 心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることが無い。) (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント この…
5 孤独(ひとりい)の味、心の安らいの味あじわったならば、熱のような悩みも無く、罪過(つみとが)も無くなる、___真理の喜びの味をあじわいながら。 (ダンマパダ205 孤独(ひとりい)の味、心の安らいの味をあじわったならば、恐れも無く、罪過も無くなる、___真理の味をあじわいながら。) (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント 「…
4 世間のうちにある患いを見て、汚れのないことわりを知って、聖者は悪を楽しまない。悪人は浄らかなことを楽しまない。 (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント この世の中では、喜ばしいことや浄らかなことに、混じって煩わしいことや汚れたことも、起こり、消えていきます。 聖者のまわりには、喜ばしいことや浄らかなことが集まって来ます。 …
3 倶(とも)に行ずるときにも、つねにひとりでいて、(たまたま)他の人々と混った智者・善き人は、悪を捨て去る。乳を飲む鷺が水を捨てて(乳だけを飲む)ようなものである。 (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント 鷺は、水の混じった乳から水を捨てて乳だけを飲むことができるかどうかわかりませんが、必要なものを取り、不必要なものを捨てるこ…
2 わかち与える人には功徳が増大する。みずからを制するならば、ひとが怨みをいだくことは無い。善い人は悪を捨てる。情欲と怒りと迷妄とを捨てるが故に、煩悩の覆いをのがれる。 (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント この感興のことば(ウダーナヴァルガ)は、サンスクッリット語で書かれたものですが、感興のことば(ウダーナ)には、パーリ語で…
1 すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること、___これが仏の教えである。 (ダンマパダ183 すべて悪しきことをなさず、善いことを行ない、自己の心を浄めること、___これが諸の仏の教えである。) (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント この偈は、七仏通誡偈と言われ有名です。また偈に関しては有名な逸話が…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 41偈(つづき)
41 (無明に)覆われて凡夫は、諸のつくり出されたものを苦しみであるとは見ないのであるが、その(無明が)あるが故に、すがたをさらに吟味して見るということが起るのである。この(無明が)消失したときには、すがたをさらに吟味して見るということも消滅するのである。 以上第27章 観察 (中村元…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 41偈
41 (無明に)覆われて凡夫は、諸のつくり出されたものを苦しみであるとは見ないのであるが、その(無明が)あるが故に、すがたをさらに吟味して見るということが起るのである。この(無明が)消失したときには、すがたをさらに吟味して見るということも消滅するのである。 以上第27章 観察 (中村元…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 40偈
40 ここなる人が苦しみを見ないというのは、見ない人が(個人存在の諸要素の集合が)アートマンであると見ることなのである。しかし(すべてが)苦しみであると明らかに見るときに、ここなる人は「(何ものかが)アートマンである」ということを、つねにさらに吟味して見るのである。 以上第27章 観察 (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のこと…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 39偈
39 単にすがたを見る人は、どうしてすがたをさらに吟味して見ることが無いのであろうか? すがたを見ない人がつねにすがたをさらに吟味して見ることが無いのは、どうしてであろうか? 何があるときに、すがたをさらに吟味して見ることがあるのだろうか? 何が無いときに、すがたをさらに吟味して見ることが無いのであろうか? (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 37偈、38偈
37 すがたを見ることは、すがたをさらに吟味して見ることとは異なっている。ここに両者の異なっていることが説かれる。昼が夜と異なっているようなものである。両者が合することは有り得ない。 38 もしすがたをさらに吟味して見るのであるならば、単にすがたを見るこということは無い。またもし単にすがたを見るのであるならば、すがたをさらに吟味して見るということは無い。ここの人は、単にすがたを見るだけであって…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 36偈
36 見る人は、(他の)見る人々を見、また(他の)見ない人々をも見る。(しかし)見ない人は、(他の)見る人々をも、また見ない人々をも見ない。 (テーラガーター61 (真理を)見る者は、(真理を)見る(他)人を見、また(真理を)見ない人をも見る。しかし、(真理を)見ない者は、(真理を)見る(他)人を見ないし、また(真理を)見ない人をも見ない。) (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 35偈
35 これは安らかなよりどころである。これは最上のよりどころである。このよりどころにたよって、あらゆる苦悩から免れる。 (ダンマパダ192 これは安らかなよりどころである。これは最上のよりどころである。このよりどころにたよってあらゆる苦悩から免(まぬが)れる。) (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント 31偈、32偈のコメン…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 33偈、34偈
33 さとれる者(=仏)と真理のことわり(=法)と聖者の集い(=僧)とに帰依する人は、明らかな知慧をもって、四つの尊い真理を見るときに___ 34 すなわち(1)苦しみと、(2)苦しみの成り立ちと、(3)苦しみの超克と、(4)苦しみの終減におもむく八つの部分よりなる尊い道(八聖道)とを(見るときに)、 (ダンマパダ190、191 さとれる者(=仏)と真理のことわり(=法)と聖者の集い(=僧)とに帰依する人は、正しい…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 31偈、32偈
31 多くの人々は恐怖にかられて、山々、林、園、樹木、霊樹などをたよろうとする。 32 しかしこれは安らかなよりどころではない。これは最上のよりどころではない。それらのよりどころによっては、あらゆる苦悩から免れることはできない。 (ダンマパダ188 人々は恐怖にかられて、山々、林、園、樹木、霊樹など多くのものにたよろうとする。) (ダンマパダ189 しかしこれは安らかなよりどころではない…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 30偈
30 青い幌(ほろ)をまとい、白い傘で覆われ、輻(や)が一つしかない車が回転して来る。結びつける紐もなく、軛(くびき)に結ぶ綱もなく、悩まされることなく、やって来るのを見よ。 (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント 岩波文庫の訳注には、「『出曜経』によると、「輻(や)が一つしかない車」とは、仏の説かれた「微妙の法」のことを言うの…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 29偈
29 愛欲の園からも離れて、愛欲の林から脱している人々からも離れているのに、また愛欲の林に向かって走る。___この人を見よ! 束縛から脱しているのに、また束縛に向かって走るのである。 (ダンマパダ344 愛欲の林から出ていながら、また愛欲の林に身をゆだね、愛欲の林から免(のが)れていながら、また愛欲の林に向って走る。その人を見よ! 束縛から脱しているのに、また束縛に向って走る。) (中村元…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 28偈
28 上にも下にも全く情欲を離れた人は、「われはこれである」と観ずることが無いので、このように解脱して、未だ渡ったことのない流れを、この世で渡り、再び(迷いのうちに)生まれことがないであろう。 (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント 「上にも下にも」だけでは意味がわかりにくいでしょうが、これは東西南北上下のことです。すなわち、…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 27偈
27 諸の欲望に執著し、つねに迷っている者どもは、束縛のうちに過ちを見ることが無い。束縛の執著にとらわれいる者どもは、広がった大きな流れを、決して渡ることがないであろう。 (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント この感興のことば(ウダーナヴァルガ)はサンスクリット語によるものですが、パーリ語仏典にも、ウダーナ(感興のことば)があ…
#感興のことば(#ウダーナヴァルガ) 第27章 観察 21偈、22偈
21 見よ、あのように宝石や腕輪で粉飾された形体を! それは愚人を迷わすには足るが、彼岸を求める人々を迷わすことはできない。 22 見よ、あのように宝石や腕輪で粉飾された形体を! それは愚人を迷わすには足るが、賢者はそれに対する執著を離れる。 (中村元訳「ブッダの真理のことば・感興のことば」岩波文庫より引用しました。) *法津如来のコメント 20偈で述べられた「粉飾された形体」について…
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