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室長さんのプロフィール

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千葉県
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三重県

 ブルガリアには、60年代後半、70年代後半、80年代後半の3回(社会主義時代)、および自由化後の02年から05年の合計4回在住した経験あり。ブルガリア語の新聞が読める。

ブログタイトル
ブルガリア研究室
ブログURL
http://79909040.at.webry.info
ブログ紹介文
ブルガリアに関する歴史、政治、生活の紹介。およびバルカン専門家の視点に立った国際情勢へのコメント。
更新頻度(1年)

56回 / 365日(平均1.1回/週)

ブログ村参加:2008/03/16

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ブルガリア研究室

室長さんの新着記事

1件〜30件

  • アイルランドの地理区分とUlster-Scots系の祖先を持つ米国大統領

      前回の記事で小生は、Scottish-Irish(Ulster-Scots)という、英国の主要構成民族として第5番目の「民族」が存在することに触れました。実は、彼らの強い意向で、北アイルランド地方が、1922年の英国からの独立、南アイルランドとの統合、併合(全島の独立)という道筋が閉ざされ、南アイルランド部分は、Catholic-Irish=Native-Irishの国家として分離独立を余儀なくされました。   これが、ある意味、20世紀を通じて…

  • 「風と共に去りぬ」とアイリッシュ気質(その2)

      前回、7月末に記事を書いてから2か月近くも経過してしまいました。   最近ある大学同期の人から、まだ生きています・・・というE-mailを戴いたように、小生自身も本当に一日一日が「まだ生きています」ということの確認のようなものです。   とはいえ、アイルランドに関しては、未だに関心があるので、前回の記事への補足として、書いておこうと思います。   なお、蛇足ですが、小生が関心を有するもう一つの小国「…

  • 「風と共に去りぬ」とアイリッシュ気質

      最近、ハビランドという女優の死亡記事が産経新聞に出ていて、再度自分たちの年代が青春期に熱狂した『風と共に去りぬ』のことを思い出したので、今一度小生のアイルランドに関する思い出を掘り起こして記事にしてみようと思う。 1.「 メラニー」役女優の死亡  今朝(7月28日)の産経新聞を見ていたら、最後のページにオリビア・デ・ハビランドの死亡記事が出ていました。  …

  • 「奇妙な果実」と秋の米国大統領選挙

      最近産経新聞の記事切り抜きをしていて、桑原聡という文化部記者が書いた記事に興味を抱きました。   記事は、次を参照:https://www.sankei.com/life/news/200705/lif2007050003-n1.html。   以下は、この記事に触発されて小生が書いてみる気になった、米国政治に関する論評です。 1.ジャズという米国黒人発の音楽と公民権運動の関係  また、この『奇妙な果実』で有名…

  • ブルガリアの現代史(5):第3次ボリーソフ政権(17年5月以降)

    1.ボリーソフ首相が、GERB候補の大統領戦敗北の責任を取り、内閣総辞職   2016年11月のブルガリアにおける大統領選挙で、政権与党のGERB党推薦候補が敗退し、その結果、事前にもし大統領選で敗退するようなら、自分は首相職を辞任すると公約していたBoyko Borisov首相が、敗戦がほぼ確定した11月14日、内閣総辞職を申請し、第2次ボリーソフ政権は、約2年と任期4年の半分しか全うせず…

  • ブルガリアの現代史(4):第2次ボリーソフ政権(14年11月--16年11月)

    1.第43次普通国会のための総選挙結果   2014年10月9日(木)午後のMediapool紙(ブル語web紙)で、中央選管の票計算最終結果が発表されているので、下記の通り10月5日(日)実施された第43次国会の総選挙結果を記録しておくこととする。 (1)各党の獲得議席数   GERB=84議席、BSP=39議席、DPS=38議席、   改革ブロック(RB)=23議席、愛国戦線(PF…

  • ブルガリア現代史(3):オレシャールスキ政権(13年5月--14年8月)

    1.第42次普通国会形成のための総選挙   さて、今回のブルガリアの総選挙結果に関しては、中央選管の最終集計結果さえもが、novinite.com紙の報道ぶりでは数字が一つに絞り込まれないなど、小生もいい加減ばからしくなってきたので、1千とか2千とかの数字は大して意味もないことだし、ともかく、一応の結果をお知らせしておこうと思う。一部の数字にきちんとした整合性がないことは、…

  • ブルガリア現代史(2):第1次Borisov政権(09年7月--13年2月)

    1.第41次普通国会選出のための総選挙結果  ブルガリアの電子新聞などによると、09年7月5日(日)に実施された第41次国会の総選挙について、選管からの発表があり、6日中に大勢が判明した。右に関し、幾つかの電子新聞情報をとりまとめて見ると、GERB党中心の新政権が誕生すること、新首相にはGERB党の指導者であるボイコ・ボリーソフ氏がなることが、ほぼ確実となった。これに関し、…

  • ブルガリアの現代史:01年以降(1)

      さて、先般まで、ブルガリア歴史に関し、通史を再録してきて、自由化後の歴史に関しては、NDSV政権時の04年頃までを見渡して終了しました。そこで、その後の推移に関して、小生の手元にある記録のみで少々追記しておきたい。   特に残念なのは、05--09年のStanishev政権に関して、小生の記録したメモがほとんど残っていないので、追記すべき中身がないこと。偶々小生が、その当時にブル内政に関し、十分関心をもって…

  • 自由化後のブルガリア(12)

      シメオン2世元国王が主導したNDSV政権は、01年――05年の4年間の任期を全うしたが、また、EU加盟と言いう自由化後のブルの政治課題を、何とか成功軌道に乗せていった(ブルのEU加盟実現は、07年1月)が、全体としてみれば、マフィア企業、汚職、組織犯罪と政治家の癒着・・・・などの欠点も目立ち、再度左派系のBSP政権の誕生を準備してしまった。   その辺の、スキャンダルだらけとも言うべき政局の動きを見ながら、今回…

  • 自由化後のブルガリア(11)

      Ivan Kostovが、経済学者という出自にもかかわらず、見事に自由化後のブルで初めて「成功的な政治」と言うものを実践して見せました。その手法は、「バルカンの独裁政治家」特有の、独断的、独裁的手法+「金」による与党政治家らの買収でした。政治資金は、ドイツの団体からの寄付金もありましたが、大部分は、ブルのタバコ密輸組織からの献金、ロシア・マフィアからの献金、SIK組系暴力団からの献金、などでした。コストフ…

  • 自由化後のブルガリア(10)

      今回は、コストフ政権が、ブルのEU加盟の条件などに関して欧州側と交渉する際の、厳しい条件(原発削減、司法改革、汚職退治とか)、或いは、マケドニア、ルーマニアなどの隣国との関係改善・交渉に関する「歴史的な争点」を乗り越えていく努力などを扱います。   ソ連圏の時代には、ソ連の共産党幹部たちにゴマをすり、賄賂を手渡す・・・・ある意味やり方は明解でした。しかし、EUの場合は、欧州委員会以外にも、うるさ…

  • 自由化後のブルガリア(9)

      BSPのVidenov政権が、マフィア企業による銀行資金、国営企業資産の徹底簒奪と、ブル貨幣価値の劇的低下(ハイパーインフレ)を招来し、経済運営面での無策を暴露したので、この危機を乗り越えるため、臨時の総選挙が実施され、Ivan Kostov・党首が率いる本格的なSDS政権が成立しました。   Ivan Kostovは、元来が単なる経済学者で、しかも共産党系学者のはずですが、どういう訳か「バルカン的・独裁的政治家」としての才…

  • 自由化後のブルガリア(8)

      社会主義系の教育を、しかもモスクワの「名門大学」で受けた、いわば左翼思想のエリート教育を受けたVidenovには、資本主義経済の運営、経営に関するまともな知識、見識が欠けていたし、「ソ連人・ロシア人」に対する警戒感も不足していました。   しかも、移行期で90年代初期~半ばにかけてのブルにおいては、未だ社会の指導者階層、政治エリートたちが育っておらず、旧共産党時代の現場を仕切っていた「下級・青年将校…

  • 自由化後のブルガリア(7)

      移行期の政権が、短期での交替を繰り返したり、経済改革において無策だったりと、ごたごた続きだったので、国民はやはり旧共産党系の政党BSPに「経済安定、生活安定」の期待をかけました。   ところが、若すぎるヴィデノフは、政権運営に関し手腕もないし、頼れる指南役もなく、全てが裏目に出て漂流してしまいました。   特に国内経済の運営では、国営企業が赤字を垂れ流し続け、更には、マフィア人脈などが銀行(未…

  • 自由化後のブルガリア(6)

      今回は、移行期初期の5化年間における経済改革の失敗と、マフィアが経済界を侵食していった過程につき概観します。   実は、マフィア企業の大部分は、社会主義体制下で「えらいさんの下っ端として、汗をかかされていた、内務省組織(DSを含む)の下級青年将校ら」が中心となって、自由化後の失業蔓延の中で生き残りを図るためにマフィア企業を創設したこと、或いは、闇商売を庇護していた頃の経験から、自らが闇の商売を…

  • 自由化後のブルガリア(5)

      前回は、Filip DimitrovのSDS政権が、旧体制時の悪政に対する報復・・・・洗濯作業にばかり精力を注ぎすぎ、前向きの改革には結びつかず、却って政局を暗くしてしまった、という経緯を見ました。   今回は、少数派のDPS(デペセ)が基盤となって、専門家内閣を組織するという方式が試されることとなりました。 4.Berov政権:1992.12--1994.09 (1)後継内閣の形成:DPSが専門家内…

  • 自由化後のブルガリア(4)

      今回は、非共産党系のSDS(セデセ)政権による、経済改革、政界への「洗濯作業」などを見ていきます。「移行期」における正しい経済政策とか、成すべき政治課題への対応策とか、そういう方面に関しセンスの良い政治家は、未だにSDS内部から登場していなかったので、ブルの政界、経済政策などは迷走します。 3.SDS政府:1991.10--1992.10 (1)Dimitrov首相、Zhelev大…

  • 自由化後のブルガリア(3)

      移行期の初期、全く新しい体制を構築していくためには、中立的で専門家たちによる、特殊な政権が必要でした。   そして、自由化し、資本主義と民主主義に立脚する、いわば「普通の」体制を構築するためには、きちんとした新憲法が必要となりました。 2.民主主義諸機関の構築:1990.12--1991.10 (1)Dimitqr Popov政権(1990.12--1991.11)の課題:国民の間で合意…

  • 自由化後のブルガリア(2)

      ソ連への隷属から解放された、国内の共産党独裁からも解放され始めた・・・・と言っても、政局を動かしていくべき新政党、その指導者らにも、民主主義体制下でどうやって本当の改革を実践していくべきかにつき、ノウハウがありません。   やはり当初は、色々後になってみれば馬鹿げた試行錯誤をしてしまうものです。とはいえ、今では指南役として、米国大使館、ドイツ大使館・・・・などが、積極的にアドバイスしたり、専…

  • 自由化後のブルガリア(1)

      オスマン帝国の統治を脱したブルガリアが、ロシアとの利害関係の相違を認識して、嫌露路線の第3次ブル王国として、かつ中・西欧の提携先としては、結局ドイツを選ぶ形で近代化を推進してきましたが、その親独政策が災いして、ソ連赤軍の占領という事態をもたらした。   赤軍が入って以来ブルガリアは、対ソ従属国家として1944--89年の期間、共産党政権による、人間性を無視した、とんでもない圧政を経験したのですが、と…

  • 共産党統治期のブルガリア(8)

      遂にソ連では、ゴルバチョフ(Mihail Gorbachov)という、ジフコフにとっては全く理解不可能な「新世代の共産党員=夢想主義的共産主義者」が政権を担当することとなりました。ゴルバチョフは、純粋すぎるほど「正しい共産主義、皆が希望を抱ける共産主義体制」などを信奉する、いわば共産主義体制が産み出した「純粋培養のお坊ちゃま」で、現実のソ連共産主義国家がいかなる「独裁体制・全体主義思想」で、「暴力を伴う権力…

  • 共産党統治期のブルガリア(7)

      1980年代になると、ソ連本国を含め、社会主義圏全体の「経済的な後進性・ハイテク技術面での遅れ・西側との軍事技術格差の拡大」など・・・・要するに全般的に「ソ連圏」が、米国、西欧、日本との競争に勝てないという方向が明白化し、他方では、ソ連国内でも80年代半ばになるとゴルバチョフという改革派政権が誕生するなど、とうとうブルのジフコフのような「古い共産党員」では、対応が難しい国際情勢となりました!   …

  • 共産党統治期のブルガリア(6)

      ジフコフ独裁期におけるブル国内での言論の自由度、或いは西側に亡命したジャーナリストたちの運命など・・・・社会主義時代の、今となっては信じられないほどの言論統制(中国などでは今でもやっている)などが語られます。   他方で、独裁者の娘で、しかもインテリだったLyudmila Zhivkovaが文化政策を主導したおかげで、ブルの知識人、インテリたちは、ソ連の目を気にしながらも、一定の「ナショナリズム的高揚感」に…

  • 共産党統治期のブルガリア(5)

      いよいよジフコフの独裁体制が確立され、ソ連式社会主義制度の中での経済発展が模索されます・・・・結論を先に言えば、既に現代のわれわれが承知の通り、「ソ連式社会主義」などには何らのメリットもなく、経済政策としては愚策、下策としか言いようがありません。   共産党の「幹部要員」にしか権限、権力が与えられない社会で、経済の指導方針も上の計画機関である「ゴスプラン」が全てを指令する方式(

  • 共産党統治期のブルガリア(4)

      ソ連の独裁者スターリンが死亡し、ソ連本国でも一定の政治的不安定が生じ、ス体制と直結していたブルのチェルヴェンコフの地位も微妙となった。この隙をついて、新たなクレムリン指導部に食い込んで信頼を得ていったのがジフコフだった。   今回から、いよいよトードル・ジフコフがブルの最高指導者として、権力を掌握していく過程となります。 2.非スターリン化とジフコフの台頭:1…

  • 共産党統治期のブルガリア(3)

      ソ連式の、共産党による支配体制へとブル社会を改編していく上で、一番苦痛が多いのは、私企業などの従来の会社を「国有化」して、国家が全てのこれまでの私的所有権を否定し、奪ってしまう作業。やはり、資本家とか、私的資産を持っていた人々の心理的抵抗感は強かったはずです。   特に、ブルの場合は、小規模農地を私有する「小規模農家」が多かったのだが、彼らから農地、家畜、農機具を奪って「国営農場」、「集団農…

  • 共産党統治期のブルガリア(2)

      ボリス親政期のブルでは、基本的に経済的な自由があり、市民的自由度は、ファシズム系政権が続いたこともあって若干後退していたとはいえ、ソ連の赤軍が進駐しブルを支配下に置いて以来の「共産党独裁制度」は、対比してみればとんでもないものでした。   そういう不条理で、全体主義的で、非民主主義的な体制がどんどん整備され、国民の「声」を潰していきます。 (8)更なる軍部粛清    1946…

  • 共産党統治期のブルガリア(1)

     さて、前回まで、6回にわたり、ボリス王の統治期を中心に、欧州でファシズムの嵐が吹き荒れた頃のブルガリアの歴史を、「第二次大戦終結までのブルガリア」として見てきました。  オスマン統治期を終えて、独立を果たした近代初期には、スタンボローフが嫌露派政権で近代国家の基礎を固め、その後は、スがドイツから連れてきた「サックス・コブルク・ゴータ家」のPrinceフェルディナントが、成長し、国王…

  • 第二次大戦終結までのブルガリア(6)

      前回書いたように、1943.08.28にボリス王は死亡した。その頃ドイツ軍が東部戦線で既に劣勢に陥り、第二次大戦におけるドイツ側の敗戦がほぼ明白になり、ブルとしても何とか早く枢軸側から逃亡し、英米のお慈悲を乞い、ソ連軍の占領からは免れたかった。     しかし、米、英両国は、ブル側からの働きかけに極めて冷淡で、今更ブルに寛大な措置を約束してはくれなかった。結局、米英は、バルカン半島は後回しにして、仏の…

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