日を改めるともっと困惑する記事が出てくる。 建久九(一一九八)年二月一四日、後鳥羽上皇が石清水八幡宮へ御幸することとなった。これだけならば問題ない。上皇が石…
源頼朝の手にした征夷大将軍の称号は武家のトップの称号ではない。天叢雲剣の新たな形代こそ征夷大将軍という称号であった。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時
<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書
木曾義仲が新たな天台座主を任命したのは寿永二(一一八三)年一二月一〇日のことである。このとき、木曾義仲によって任命されたのは新たな天台座主だけではなく、新た…
木曾義仲は明らかに焦っていた。寿永二(一一八三)年一二月三日に後白河法皇に対して、伊勢国にまで侵略してきた源頼朝の勢力を討伐することの院宣を求めたのである。…
平家物語から他の有名な例を探すと、木曾義仲と猫間中納言のエピソードが挙げられる。平安京を東西に走る七条大路と南北に走る壬生大路の交わるあたりの地名は「猫間」…
木曾義仲が貴族としての教育を全く受けてこなかったことは木曾義仲自身も認めざるをえないことであった。だからこそ、文武のうちの武については木曾義仲自身が引き受け…
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寿永二(一一八三)年一一月二九日、京都に源行家の動静が伝わった。源行家は播磨国室山、現在の兵庫県たつの市に陣を構える平家の軍勢に対して攻撃を仕掛けるものの、…
木曾義仲一人でここまでやったわけでも、松殿基房が木曾義仲を介してここまでやったのでもない。木曾義仲個人の怨念と松殿基房の怨念が合わさってしまった結果がこうだ…
法住寺の戦いに関わる人事改定として確認できるのは以下の通りである。 近衛基通こと藤原基通、摂政を解任。 徳大寺実定こと藤原実定、内大臣を解任。 新たに摂政内…
平家物語では法住寺の戦いの後、木曾義仲が、自分は天皇になろうか法皇になろうかと悩み、天皇となるには元服前の姿をしなければならず、法皇になるには出家しなければ…
寿永二(一一八三)年一一月一九日、法住寺の戦いの幕が開けた。これより書き記すのは、平家物語が寿永二(一一八三)年一一月一九日に法住寺で起こったこととして書き…
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寿永二(一一八三)年一一月一七日、多田行綱や源光長といった清和源氏の武士が木曾義仲との決別を宣言し、木曾義仲と後白河法皇との関係がこれ以上悪化するならば後白…
木曾義仲の行動に危機感を覚えたのが源行家である。このままでは院御所全体が鎌倉方の襲撃を受けかねないとして、寿永二(一一八三)年一一月九日に、既に発令されてい…
時間を追う毎に源頼朝が京都に送り込む代官の様子が明瞭になってきていた。当初は末弟の源義経だけの名が挙がっていたのが、時間とともに源範頼も代官として京都にやっ…
寿永二(一一八三)年閏一〇月一四日、備中国水島で木曾方が平家の前に大敗したとの報告が京都に届き、京都は騒然となった。後白河法皇は損害が大きくとも平家討伐は継…
先に木曾義仲は、自分が向かおうとしている場所と現時点で自分がいる場所との情報連絡の重要性を理解している人だと述べた。これから向かおうとしている西国は木曾義仲…
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木曾義仲が播磨国に留まっている間、平家は讃岐国屋島を本拠地として徐々に勢力を盛り返しつつあった。これは木曾義仲にも責任がある。いや、ここは木曾方の責任と言う…
寿永二(一一八三)年一〇月一九日、一人の貴族が姿をくらましたことで京都は騒然となった。平家都落ちに帯同しなかった平頼盛が姿を消したのだ。 都落ちに帯同しなか…
寿永二(一一八三)年一〇月、京都で源頼朝が希望の存在になっていた頃、平家は海上を漂流していた。 好きで漂流していたのではない。どこにも上陸できなかったのだ。…
寿永二(一一八三)年一〇月一日、関東に派遣されていた中原康定が帰京し、源頼朝からの要望を伝えた。既に第一報で述べていたのと同じように、東海道、東山道、北陸道…
寿永二(一一八三)年九月、すなわち足利俊綱の討伐の頃、源頼朝がどのようなことをしていたのかの記録が吾妻鏡に残っていないのは悔やまれるところであるが、時系列を…
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先にも記したが、吾妻鏡は寿永二(一一八三)年の巻が欠落しているものの、偶然が重なって寿永二(一一八三)年の記事が存在している箇所がある。どういうことかという…
吾妻鏡から寿永二(一一八三)年の記述が欠落し、残っているのは編集ミスで他の年に記されている箇所のみである。一方、平家物語は情報の正確性ではなく物語性を求めら…
豊後国で太宰府を討伐する一大勢力が結集されていることを知った平家は、平資盛を緒方惟栄のもとに派遣することにした。緒方惟栄はかつて平重盛の家臣をしており、平資…
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日を改めるともっと困惑する記事が出てくる。 建久九(一一九八)年二月一四日、後鳥羽上皇が石清水八幡宮へ御幸することとなった。これだけならば問題ない。上皇が石…
藤原定家が呈している苦言の全てを受け入れるわけにはいかないが、受け入れなければならない苦言もある。 院政開始前から周囲に人を集めていたこともあって、一九歳に…
もっとも、実際の後鳥羽上皇はそれなりに政務も執っていたはずであり、藤原定家がこうした後鳥羽天皇の日常の過ごし方について苦言を呈しつつ書き記しているのも、上皇…
さて、ここまで後鳥羽上皇ではなく後鳥羽院と記してきたのには理由がある。 実は、天皇を退位すると同時に上皇となるのではない。天皇退位の後に太上天皇の尊号が奉ら…
土御門天皇の治世が始まったことで新帝の外祖父となり、院政を始めた後鳥羽院の院司となった土御門通親こと源通親の権勢は頂点を極めるはずであった。 しかし、後鳥羽…
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同日、後鳥羽天皇が退位して為仁親王に帝位を譲ったのである。土御門天皇の治世のスタートであり、後鳥羽院の院政のスタートの瞬間でもあった。 土御門天皇はまだ三歳…
建久九(一一九八)年一月五日、権大納言土御門通親が後院別当に就任することが発表された。後院別当とは、字義だけを捉えれば天皇の退位後の住まいの管理人であるが、…
後鳥羽天皇の即位の状況はこの時代の人であれば誰もが知っている。ゆえに、帝位に就く資格を有しながら弟に追い抜かれた守貞親王と惟明親王のことは、この時代の人であ…
建久八(一一九七)年の年末時点での鎌倉幕府の継承は理論上の話であったが、それよりはるかに大きな継承、すなわち、皇位継承は現実味を帯びてきていた。かなりの可能…
吾妻鏡の欠落のために、昔から議論の起こる話がある。 源頼家はいつから源頼家と名乗るようになったのかという話である。 源頼家の幼名が万寿であることは誰も異論が…
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大姫を失った源頼朝は三幡を入内させようとしたものの入内させられずにおり、様々な手段を練って朝廷に食い込もうとしているものの上手くいかずにいる。 これは源頼朝…
しかし、建久八(一一九七)年九月一〇日、藤原範季の娘の藤原重子が後鳥羽天皇の皇子を産んだことで、藤原範季は土御門通親に続いて後鳥羽天皇の皇子の祖父となった。…
この時代の貴族達は、源頼朝が大姫を亡くしても自分の娘の入内を諦めないでいること、また、源頼朝がこの時代の最大の武力を有していることも熟知しているが、源頼朝の…
慈円は愚管抄にて、大姫を失った源頼朝が、大姫の妹である三幡を入内させようと画策したと記述した。しかし、吾妻鏡の欠落もあって、三幡という女性についての記録は乏…
大姫は治承二(一一七八)年に源頼朝の娘として生まれ、六歳のときに木曾義仲の後継者であるはずの源義高と婚約しており、このまま年月を重ねれば源義高との結婚生活が…
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トップですら従五位上という特筆することのない位階である奥州藤原氏は、いかに財力を有していても朝廷とまともな交渉をすることもできないのが現状なのだ。位階を得て…
奥州藤原氏にとっての源義経は貴重な切り札であった。承安四(一一七四)年に鞍馬寺を出て新天地を求めた源義経を奥州藤原氏が受け入れたのも、源義経が源義朝の実子で…
先に、源平合戦は奥州藤原氏にとって勢力拡張のチャンスであったと記した。そして、関東地方はともかく日本海沿岸に沿って軍勢を進めるチャンスがあったと記した。ただ…
日本国内に目を向けると、奥州藤原氏が無視できない存在として目に入る。 奥州藤原氏の本拠地である平泉は日本海より太平洋のほうが近い土地であるが、奥州藤原氏自身…
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源平合戦期の日本は奇跡が二つ起こっている。 一つは国外からの侵略を受けなかったこと。 そしてもう一つが、奥州藤原氏が特筆すべき動きを見せなかったことである。…
後鳥羽天皇の教育をきっかけとして自身の栄達を成し遂げようとする貴族達がいる一方、既に権勢の側に加わっている貴族達は政務を遂行しつつあった。 その中心となって…
源義経の在処が奥州平泉であることが判明しつつある頃、京都では一つの騒動が起こっていた。騒動の中心は例によって例の如く後白河法皇である。 後白河法皇の寵愛する…
文治三(一一八七)年二月一〇日、鎌倉に衝撃的な情報が届いた。 源義経の消息が判明したというのだ。なお、この時点では未確認情報であり、断言とはなっていない。 …
年が明けた文治三(一一八七)年一月、未だ源義経の消息は把握できずにいる。しかし、源義経の逃げ道は、一つ、また一つと封鎖されていた。源義経を捉えよとの院宣が発…
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結果はどうあれ、少なくとも京都の貴族達の間では、源義経に対して公然と協力するという光景が消失した。ただし、既に一年以上にも亘って動静が不明となっている源義経…
京都で起こっていたのは、位階は持っていても役職は持っていない、すなわち公的には権力を持たないはずの源頼朝に対する忖度であった。源頼朝に率先して従うことが自分…
北条時政に代わるために一条能保が京都に送り込まれたのち、一条能保が京都で調査をし、一条能保がまとめた調査結果を鎌倉に送り、鎌倉の源頼朝から京都の一条能保へと…
京都とその周辺とで文字通りの一触即発の事態へと発展していた一方、鎌倉でも一触即発の事態になりつつあった。もっとも、鎌倉における一触即発とは比喩的な意味である…
政治家としての源頼朝は、有能ではあっても冷酷である。そして、支持率となると、特に農村部で高いものがあったとするしかない。源義経を捕縛しようとしているために都…
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