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承久之乱 156
保元の乱までは源氏も平氏も朝廷の動員できる有力な武士であった。だが、平治の乱を迎えたときにはもう、清和源氏も、伊勢平氏も、朝廷の言いなりになる存在ではなくな…
2025/05/09 18:00
承久之乱 155
その当時、京都の朝廷が問題視していたのが、比叡山延暦寺をはじめとする宗教勢力の有する武力である。彼らの武装デモは厄介きわまりない話であったが対処するには困難…
2025/05/08 18:00
承久之乱 154
三浦義村や和田義盛といった三浦家の人物を京都大番役の管理監督に採用した経緯を見てくると、初期鎌倉幕府の本質が見えてくる。初期鎌倉幕府の本質を突き詰めると、こ…
2025/05/07 18:00
承久之乱 153
ただ、前述のように法然はもう八〇歳になっていた。数え年であるから満年齢にすると七八歳であるが、それでもかなりの高齢だ。当時でも高齢なだけでなく現在の感覚でも…
2025/05/06 18:00
承久之乱 152
正論を用いての話し合いは通じないが、正拳を用いての殴り合いは通じる。暴れ回ることを目的とする集団を抑え込むもっとも確実な方法は、暴れ回ろうとしている集団を力…
2025/05/05 18:00
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2025/05/04 18:00
修学旅行(30)
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2025/05/03 18:00
承久之乱 151
貴族の時代である平安時代から武士の時代である鎌倉時代に移り変わったのは一瞬の出来事ではない。平安時代の草創期に登場した武士が少しずつ勢力を持つようになり、朝…
2025/05/02 18:00
承久之乱 150
さて、建暦元(一二一一)年七月に京都から脱税疑惑を指摘され、北条時房のもとでの監禁生活となった惟宗孝尚が、一二月一日に軟禁解除となって釈放されたのは既に記し…
2025/05/01 18:00
承久之乱 149
その予算はどこにもなかった。 予算がないために平安京の復興どころか日々の生活をいかに再建するかに汲々とする状態であった。そのときの日本で潤沢な資産を持ってい…
2025/04/30 18:00
承久之乱 148
三善康信は不吉な例を列挙することで後鳥羽上皇の求めた大内裏復興を暗に否定した。 大内裏復興という野望は、推し進める後鳥羽上皇の意見も、暗に否定する三善康信も…
2025/04/29 18:00
承久之乱 147
平安京は本来、北端中央に大内裏、その中心に内裏があるという都市計画のもとで建設された都市である。しかし、建暦元(一二一一)年時点の大内裏はかつて内裏があった…
2025/04/28 18:00
タイムマネジメント 72
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2025/04/27 18:00
修学旅行(29)
2025/04/26 18:00
承久之乱 146
さて、栄西が著した喫茶養生記は現在まで伝わる名著であるが、鎌倉ではほぼ同タイミングで現在まで伝わる名著の著者が姿を見せている。 その人物が鎌倉に来た理由は源…
2025/04/25 18:00
承久之乱 145
僧侶としての成功者である栄西であるが、同時に、現在で言う数多くのビジネス書を発行する作家のような存在でもあった。確認できる範囲では、密教について問答形式での…
2025/04/24 18:00
承久之乱 144
鎌倉時代の特色の一つとして歴史の教科書に取り上げられることの多い鎌倉新仏教。大学入試で日本史を選択したならば、あるいは高校入試で社会科を学んだならば、以下に…
2025/04/23 18:00
承久之乱 143
ここで話を源実朝に戻すと、源実朝は自分のことを独自の政治権力であるとは、ましてや朝廷から独立した勢力であるとは考えていなかった。父の事績を追いかけ、父と兄の…
2025/04/22 18:00
承久之乱 142
建暦元(一二一一)年六月二六日、東海道に新しい宿駅を設置する件について、過去に何度も決裁されているにもかかわらず未だに実行されていないことについて、源実朝か…
2025/04/21 18:00
タイムマネジメント 71
2025/04/20 18:00
修学旅行(28)
2025/04/19 18:00
承久之乱 141
この時代にビジネスとしての旅館などない。旅行客は誰かの家に泊めてもらうか、寺院などに泊めてもらうか、野宿するかである。なお、このあたりは現在よりも鷹揚であっ…
2025/04/18 18:00
承久之乱 140
建暦元(一二一一)年六月になると不穏な記事が増えてくる。 六月二日に源実朝が急病で倒れたのだ。 もともと源実朝は天然痘に罹患した過去がある。これは天然痘に限…
2025/04/17 18:00
承久之乱 139
なお、この裁決からおよそ一ヶ月後の建暦元(一二一一)年五月一〇に、源実朝は、現代人からすると穏当あるいは当然と感じる、しかし、この時代では考えられない指令を…
2025/04/16 18:00
承久之乱 138
現在に生きる我々の改元とは、新たな天皇となったと同時に元号が変わることを意味し、それ以外に元号が変わることはないという一世一元の制が共通認識となっているが、…
2025/04/15 18:00
承久之乱 137
吾妻鏡には、後鳥羽上皇から特権の放棄を命じられたことの記録など存在しない。 しかし、承元五(一二一一)年一月時点で鎌倉幕府は、征夷大将軍に付随していた天叢雲…
2025/04/14 18:00
タイムマネジメント 70
2025/04/13 18:00
修学旅行(27)
2025/04/12 18:00
承久之乱 136
さて、改めて承元五(一二一一)年元日時点の公卿補任を眺めると、源実朝の位置付けの意外なまでの低さも感じる。 源実朝が職務としている征夷大将軍が三種の神器の一…
2025/04/11 18:00
承久之乱 135
まず、議政官の面々、すなわち左大臣から参議までの人数はもともと二十名でも多いとされてきたのに、承元五(一二一一)年元日時点で実に左大臣から参議末席まで二十九…
2025/04/10 18:00
承久之乱 134
こうした後鳥羽上皇の動きを鎌倉はどのように捉えていたのか? 吾妻鏡に従うと、何の前触れもなくいきなり、承元四(一二一〇)年一二月五日の記録として、先月二五日…
2025/04/09 18:00
承久之乱 133
また、天皇の朝儀や行幸では以前から「剣が先、璽が後」、すなわち、三種の神器のうち天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を先、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を後…
2025/04/08 18:00
承久之乱 132
少なくとも承元四(一二一〇)年一一月時点で源実朝のもとに男児が生まれたという知らせは届いていない以上、源実朝の身に何かが起こったら、その瞬間に三種の神器の一…
2025/04/07 18:00
タイムマネジメント 69
2025/04/06 18:00
修学旅行(26)
2025/04/05 18:00
承久之乱 131
さて、後鳥羽天皇、土御門天皇と、三種の神器が揃わない状態での即位が続いていた。平家滅亡時、三種の神器の一つである天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が壇ノ浦に…
2025/04/04 18:00
承久之乱 130
ただ、他者に対して厳しい態度を取ることがないのだ。選挙のある現在では、他者を激しく糾弾した上で自らを強く主張することも当選のための方法の一つであるが、それが…
2025/04/03 18:00
承久之乱 129
それにしても後鳥羽上皇はどうして観測気球を打ち上げたのか。そして鎌倉幕府はどうして観測気球に対して迅速に対処したのか? 院政というものは、退位した天皇が上皇…
2025/04/02 18:00
承久之乱 128
承元四(一二一〇)年後半の吾妻鏡の記載は、源実朝があまり政務に携わっていないかのような記し方をしている。しかし、記録をよく読むと、源実朝は合格点をつけて良い…
2025/04/01 18:00
承久之乱 127
はっきり言って、後鳥羽上皇が藤原秀康を上総国に派遣したことは大失敗であった。いかに各国の国司を歴任し、また、北面武士として鎌倉幕府とは独立した独自の武力を有…
2025/03/31 18:00
タイムマネジメント 68
2025/03/30 18:00
修学旅行(25)
おじいちゃんといっしょ 徳薙 零己[著] Amazon Kindleインディーズマンガにて無料公開中! …
2025/03/29 18:00
承久之乱 126
先に述べたように、侍所別当和田義盛は上総介就任を望みながら放置されていた。 源実朝が和田義盛の上総介就任について朝廷や後鳥羽院に打診したという記録はない。し…
2025/03/28 18:00
承久之乱 125
政治家としての源実朝の活動は前年から既に見えていたが、承元四(一二一〇)年に入るとより活発化することとなる。 まず、時間は少し遡ることとなるが、中原広元を京…
2025/03/27 18:00
承久之乱 124
承元四(一二一〇)年二月二一日に中原広元が京都に派遣された表向きの理由は、明王院僧正公胤が指導僧をつとめる後白河法皇の持仏堂の長講堂の法事に参加するためであ…
2025/03/26 18:00
承久之乱 123
承元三(一二〇九)年一二月一五日。前述の守護と地頭の見直しについての第一段として、関東近隣の守護の見直し結果が発表となった。 ただ、その結果は源実朝の期待を…
2025/03/25 18:00
承久之乱 122
どのような事情で対決姿勢を見せるようになったのかを調べた源実朝は、橘公成に対して彼女を美作朝親のもとに返すように命じ、両名に対して矛を収めるようにさせたとい…
2025/03/24 18:00
タイムマネジメント 67
2025/03/23 18:00
修学旅行(24)
2025/03/22 18:00
承久之乱 121
どうして承元三(一二〇九)年末までの時点での評価となるのか? これは承元三(一二〇九)年一二月一一日の出来事を考える必要がある。 この日、美作朝親と橘公成と…
2025/03/21 18:00
承久之乱 120
鴨長明は武士ではなく、一人の民間人として源平合戦の戦場を体験した。一方の源実朝は源平合戦そのものを体験してはいなくても、武芸そのものは理解していたのである。…
2025/03/20 18:00
承久之乱 119
吾妻鏡を読んでいるだけでは源実朝が政治家としての名声を獲得していることを読み取れない。それどころか和歌に耽溺する軟弱な将軍というイメージを意図的に構築してい…
2025/03/19 18:00
承久之乱 118
京都では、一七歳の権大納言九条道家が侮れない若者であると認識する者ならば多く、九条道家に比べると見劣りすると捉えられていたのがこれまでの源実朝である。特に、…
2025/03/18 18:00
承久之乱 117
源実朝はその園城寺から僧侶を招いたのであるが、このことを延暦寺の立場から捉えると、かつての最大の抵抗勢力が鎌倉幕府と手を組むというのだから、何としても避けた…
2025/03/17 18:00
タイムマネジメント 66
2025/03/16 18:00
修学旅行(23)
2025/03/15 18:00
承久之乱 116
まず、先に記したように藤原定家は当代随一の歌人であると同時に、後鳥羽上皇の側近の一人である。源実朝からの書状に始まる和歌を通じたやりとりだけを捉えれば、傍目…
2025/03/14 18:00
承久之乱 115
このあたりは吾妻鏡を編纂した人の取捨選択の結果であろうが、従三位に昇叙した後の源実朝の記録については、吾妻鏡と、その他の記録とで大きな違いがある。 大きな違…
2025/03/13 18:00
承久之乱 114
源平合戦において東国の武士達はどうして源頼朝の元に集ったのか? 一言でまとめると、最適解である。数多くの選択肢の中から選び出した最善の選択肢が源頼朝であった…
2025/03/12 18:00
あれから14年
2025/03/11 18:00
承久之乱 113
しかし、和田義盛は諦めていなかった。五月二三日に今度は中原広元に嘆願書を提出したのである。中原広元は鎌倉幕府に仕える御家人であると同時に、文人官僚であり、貴…
2025/03/10 18:00
タイムマネジメント 65
2025/03/09 18:00
修学旅行(22)
2025/03/08 18:00
承久之乱 112
また、「侍受領」、すなわち左衛門尉を長年務めた武士がどこかの国の国司になるというキャリアは、平家政権の頃から武士の成功として最上級の昇進コースであった。さす…
2025/03/07 18:00
承久之乱 111
さて、和田義盛は三浦一族の一員でしかないと記したが、三浦一族における和田義盛の立ち位置はかなり微妙である。 まず、愚管抄は和田義盛のことを「三浦ノ長者」と記…
2025/03/06 18:00
承久之乱 110
また、侍所別当としての和田義盛の能力は源平合戦終結後も止まらなかった。それどころか、平時になった後の方が和田義盛は侍所別当としての職掌を申し分なく発揮するの…
2025/03/05 18:00
承久之乱 109
源実朝が従三位となった後に発給された政所文書は、下山忍氏の調査によると二十四通現存している。そのうち、現存する最古の文書は承元三(一二〇九)年七月二八日に発…
2025/03/04 18:00
承久之乱 108
吾妻鏡によると源実朝が従三位に昇叙したとの報告が届いたのは承元三(一二〇九)年四月二二日のことである。四月一四日の昇叙の知らせと同時に鎌倉まで連絡が送られた…
2025/03/03 18:00
タイムマネジメント 64
2025/03/02 18:00
修学旅行(21)
2025/03/01 18:00
承久之乱 107
この構図が成立しているのに加え、近衛家と対立する九条家の輩出した一七歳の若き俊英である九条道家の存在があまりにも大きかった。 近衛家当主である近衛家実は関白…
2025/02/28 18:00
承久之乱 106
年が明けた承元三(一二〇九)年一月、この時代の年齢の数え方は、誕生日で年齢を一つ刻む満年齢ではなく、元日と同時に年齢を一つ重ねる数え年であるため、源実朝は一…
2025/02/27 18:00
承久之乱 105
間もなく年が暮れようかという承元二(一二〇八)年一二月二六日、京都の中原親能が在京のまま六六歳で没したという連絡が来た。 中原親能が亡くなったのは一二月一八…
2025/02/26 18:00
承久之乱 104
そしてもう一歩踏み込んで調べると、もう一つの奇妙な点が見えてくる。 鎌倉幕府の政所を調べてみると、最高責任者である別当が複数名いるケースが出てくるのだ。トッ…
2025/02/25 18:00
承久之乱 103
承元二(一二〇八)年一二月二〇日、熊野詣より北条政子が戻ってきた。 と同時に、源実朝に一つの知らせが届いた。 一二月九日に正四位下に昇叙したのである。 これ…
2025/02/24 18:00
タイムマネジメント 63
2025/02/23 18:00
修学旅行(20)
2025/02/22 18:00
承久之乱 102
北条政子は鎌倉幕府のキーパーソンである。無位無官の一庶民であるという建前はあっても、鎌倉幕府の創設者の妻にして、現在の鎌倉幕府のトップである人物の実の母であ…
2025/02/21 18:00
承久之乱 101
北条政子が京都に出向いたことで得られるメリットは三つある。 一つは後鳥羽上皇と面会すること。本来であれば無位無官の北条政子が後鳥羽上皇に会うなど許されないの…
2025/02/20 18:00
承久之乱 100
後鳥羽上皇と源実朝とは面識が無い。 後述することになるが、源実朝はその一生を鎌倉とその周囲で終えたため、生涯に亘って後鳥羽上皇と顔を合わせることが無かった。…
2025/02/19 18:00
承久之乱 99
吾妻鏡の承元二(一二〇八)年七月一五日の記事はわかりやすい例だ。 この日、威光寺の僧侶である円海が鎌倉までやってきて被害を訴え出たのである。狛江入道増西とい…
2025/02/18 18:00
承久之乱 98
天然痘を乗り越え、病床から復帰し、後鳥羽上皇の趣味に同調することで朝廷権力を自身の背景に加えることに成功した源実朝は、政治家としての活動を徐々に強めていくこ…
2025/02/17 18:00
タイムマネジメント 62
2025/02/16 18:00
修学旅行(19)
2025/02/15 18:00
承久之乱 97
後述するとした院政の歴史における重要なランドマークの消失についてであるが、その記録は吾妻鏡に記されていない。吾妻鏡の編纂者は記すまでもないことと扱ったのかも…
2025/02/14 18:00
承久之乱 96
この日の記録として、後鳥羽上皇のもとで大規模な競馬(くらべうま) や流鏑馬が開催されたことが残されているのである。なお、実際に開催したのは五月九日のことであ…
2025/02/13 18:00
承久之乱 95
伊豆で流人生活を送っていた源頼朝が京都の情報を定期的に得続けていたことは何度も記してきた通りである。ただし、源頼朝が獲得していた情報はあくまでも私信であり公…
2025/02/12 18:00
承久之乱 94
組織の永続性(ゴーイングコンサーン) を考えるとき、現時点でトップの地位にある人の身に何かあったときの対処は絶対に欠かすことができない。そして、この時点の鎌…
2025/02/11 18:00
承久之乱 93
源実朝が病気で倒れるところまでは、問題ないとまでは言わないにしても許容できる範囲である。しかし、源実朝がいなくなってしまったら鎌倉幕府はどうなってしまうのか…
2025/02/10 18:00
タイムマネジメント 61
2025/02/09 18:00
修学旅行(18)
2025/02/08 18:00
承久之乱 92
承元二(一二〇八)年閏四月一五日、京都で大火が発生した。近衛家実の日記によると、七条北東洞院辺で発生した火災はそのまま西へ北へと燃え広がり、北は四条大路、西…
2025/02/07 18:00
承久之乱 91
源実朝が表舞台から姿を消したとして、鎌倉幕府は正しく運営できるのか? 結論から言うと、可能である。 鎌倉幕府はもともと、源頼朝に仕える者を束ねる組織として誕…
2025/02/06 18:00
承久之乱 90
奈良時代の天平年間に日本中に広まった天然痘は、当時の日本列島の人口の三分の一を死に至らしめたという大災害であった。 それから何度も天然痘は日本中で流行し、天…
2025/02/05 18:00
承久之乱 89
無論、改元したところで天候が回復することもなく、天然痘が鎮静化することも無い。 それどころか、改元後には鎌倉で天然痘が猛威を振るうようになるのである。 吾妻…
2025/02/04 18:00
承久之乱 88
これは多くの貴族や寺社にとって、後鳥羽院のもとに仕える最高の理由となる。地頭が荘園に居座っているために、源頼朝以前とまでは行かないにしても、それまでのゼロ回…
2025/02/03 18:00
タイムマネジメント 60
2025/02/02 18:00
修学旅行(17)
2025/02/01 18:00
承久之乱 87
なぜ後者を選ぶのか? それだけ生活が苦しいことを身近に感じているからだ。 鎌倉幕府から派遣されているなら地元の声より鎌倉の意見を選ぶが、地元から選ばれたなら…
2025/01/31 18:00
承久之乱 86
何度も記しているが、吾妻鏡は鎌倉幕府の正史であるものの、北条家にとって都合良く編纂されている歴史書でもあるために、信憑性という点で疑念を抱くべき記事が多々散…
2025/01/30 18:00
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