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  • 特報!「グリーン・ホーネット」がリメイクされ映画化へ

    ブルース・リーがショービジネスの世界で成功を収めるきっかけとなった「グリーン・ホーネット」グリーン・ホーネットは同じようにコミックからTV、そして映画化された「バットマン」「スパイダーマン」のように映画化され、2011年公開される。しかも3D。ブルース・リー

  • 「燃えよドラゴン」~ブルース・リー日本初上陸~

    1973年12月。日本では正月映画として、ブルース・リーの映画としては初の日本初公開でした。当時はカンフー映画というジャンルは日本にはなく、世界的にもカンフー映画のジャンルはありませんでした。人々は「燃えよドラゴン」を見て、なんだこれは!と驚愕し、ブルー

  • 「ドラゴン怒りの鉄拳」~ヌンチャク初披露~

    主演第2作となった「ドラゴン怒りの鉄拳」は前作「ドラゴン危機一発」の大成功を経て制作費も大幅アップして前作と同じくロー・ウェイ製作されたのだが、この作品あたりから、ロー・ウェイと意見が対立、以後、ロー・ウェイ監督との作品は作られなかった。「アチョ~」

  • 主演第一作「ドラゴン危機一発」

    1971年。アメリカから凱旋帰国したブルースがゴールデンハーベストと契約し、低予算で、ロ-・ウェイ監督、脚本で製作された。しかし、公開後は香港映画史上最高の観客動員数を記録。あまりに観客が押し寄せ、交通渋滞まで引き起こしたため、映画公開を先伸ばしたほどだ

  • 初監督「ドラゴンへの道」

    アメリカから香港に帰郷し、「ドラゴン危機一発」「ドラゴン怒りの鉄拳」の2作品に主演したブルースは当時の香港映画の製作に不満を募らせていた。そこでゴールデン・ハーベストのレイモンド・チョウとコンコルド・プロダクションを共同で設立し、初めて監督・脚本・企

  • ブルース・リーとは

    1940年11月27日アメリカ・サンフランシスコにて出生。本名、李振藩(リー・ジュンファン)。振(戻る)藩(サンフランシスコ)。つまり、将来、生まれ故郷のサンフランシスコに戻れるように命名された。その後香港に帰国、8歳頃から子役として数多くの映画に出演。この頃

  • 截拳道(ジークンドー)

    ブルースはワシントン大学在学中、詠春拳の技術を教えていたのだが、詠春拳の技術は細かい手技が主体。そこでブルースはカラテやムエタイ、テコンドーなどから、豪快かつ有効な蹴り技、それにボクシング、フェンシング、サンボ、柔道、レスリングなどの技術を詠春拳に融合

  • 死亡遊戯

    コンコルドプロ第一弾として製作された「ドラゴンへの道」製作終了後、ブルースはアメリカ時代の弟子、ジェームス・コバーンとネパールにロケ地探しに出かける。そこで見たいくつかの塔がヒントになり、「死亡遊戯」はブルースの最高傑作となる予定だった。ブルース・

  • 詠春拳~ブルース・リーのルーツ~

    ブルース・リーの格闘術は截拳道(ジークンドー)であることは有名なのだが、その截拳道(ジークンドー)の基礎となってるのが詠春拳。ブルースの格闘技とのかかわりはまず、父親に習った太極拳だったが、13歳の時、けんかに負けたのがきっかけで本格的に詠春拳を宗家である

  • 怪鳥音

    ブルース・リーといえば「アチョー」という奇声。これは怪鳥音と呼ばれている。一般的に最初に披露されたのは「ドラゴン怒りの鉄拳」とされているが、アメリカ時代の「グリーンホーネット」でも少しだが披露されている。だが、「アチョー」ではなく、「ハァイ!」という奇声

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