勝者の歴史の影に埋もれ評価が低い 歴史を掘り起こします。併せて食に関する記述も載せてゆきます。
荒々しい北風が吹き荒れて、晴れていながら雪片が舞ってくるような日だった。 「門松は?ーー門松はーー?」 門松売りの声がしたが、軍治の家の閉ざされた長屋門の前に来ると、空家とでも…
昌樹もまた、自分の知人を通じて、赦免の運動をしていた。 鏡中条村の医師・井上玄理は、幾度か親切な書状を寄せてきた。五味釜川と同じ蘐園学派の先輩であったが、かつて軍治の母…
そのご、追っ付命ぜらるまでもなく、軍治は、肩扉の長屋門を閉ざして謹慎していた。時々、柴田が裏庭伝いにきたり、夜ひそかに昌樹が訪ねて来るくらいのものだった。日が経つにつれて興奮…
その後、追っ付け命ぜられるまでもなく、軍治は、片扉の長屋門を閉ざして謹慎していた。ときどき、柴田が裏庭伝いにきたり、夜ひそかに昌樹が訪ねてくるくらいのものであった。日が経つに…
それと並んで二つの琴もあり、鹿の角のついた革袋に入れた篳篥が置かれてあった。昌樹は独身だが、桐の本箱にも、積み上げた書物にも、机の上には埃はなかった。身ぎれいな彼の風格そのま…
昨年11月蒔いたそら豆を収穫した。 今年は、去年おの五倍くらいの収穫だ。 早速、そら豆ご飯をいただく事とした。 [画像] 少々は、お酒のつまみに塩茹でする、柔らかさが下によみがえり…
七 夜が更けて肌寒さが増した。 蚊帳の中の床の上に、軍治は目前と座っていた。 「まだお寝らぬのでー?」 さだが気づかわしげに言った。 あかりの…
「いったい、どうしたことでござろう?」 昨夜から幾度か繰り返した言葉が、また新発田の口をすべった。しかし、結局彼にしても、軍治らにしてもそれがすべてであった。 「死人に口なしで…
昨年11月に蒔いたそら豆です、もう実がつき始めました。 5月始めにはおいしいそら豆ご飯がいただけそうです。 [画像]
畑も春の訪れとともに活況を呈してきました。 現在16種類の作付け種まきを終えました。去年11月蒔いたそら豆はもう実がつき始めました。 きゅうり、小松菜、小株、ほうれん草、大根、…
さだは蒼白な顔を軍治に向けた。その目には涙が溢れていた。 「お気の毒で——」 と、満田は頭を下げた。 「何ゆえの殺害で?」 さだが、やっとたずねた 「死人に口なしでござる。事情は武…
六 十六日の早朝には、精霊を糸経ぐるみ荒川へ流させたが、その後、軍治の健康ははかばかしくなかった。けだるさや頭の重さで床の上にいる日が多くなって、回…
今でも、軍治は篠原村を考え、がらんとした古い家を考え、苔生した小さい墓碑を考えるだけで、胸のすくような誇りをおぼえ、名将・山縣三郎兵衛正景の血脈をわが身に覚えるのであった。 …
或いは死に近づいていた予感のようなものからくる気の弱さであったかもしれなかった。とにかく、彼らとは打って変わった武門への両親の溺愛が、墓碑の前に立つとしみじみおもいかえされる…
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