鮮烈
10cm先の境界線
知らない
写真考写真は自己表現ではない、と思う。自分にとって。例えば、鉛筆一歩で世界を描こうとしたら、それは自己表現の1つだけれど写真を撮ることは、それとは異なっている。繰り返すが、自分にとってだ。写真は被写体への依存が、かなり大きい。被写体の持つ、
小さい頃はどこへ行くのも、刺激的だった。それを、最近忘れそうで怖い。
下積みが無ければ、それはうすっぺらい。
トリミングされたそれも嫌いじゃなくて映ったエセも、それ自身があるからだと思う。何もなければ、映りもしないわけでしょ。
でも、電柱じゃないよね、君。
こういうのが好きなのはきっと父親譲りだ
ふと。
暗いところが好きだ。
この街にもこんなものがあるのか、と。
どっかに似てるそんなデジャヴ
だれか
美味しさとなつかしさ。
どうしてここで。
ロマンの時間をいただきます
ふらり。
健気だ、と思う。
ある冬、青い。
いい街。
マルボロのロゴが好きだ。
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