「火風鼎」は、新体制が整うことである。「鼎は元吉、亨る。」鼎(てい)とは、訓読みでは「かなえ」であり、もともと物を煮炊きする器であった。古代に神の神霊を祭り、天下の賢人を饗応する時に用いられたものだが、次第に国家の宝物になった。大昔の伏羲の時代には、鼎は一つであり、黄帝の時代には三つになり、夏の禹王の時代には九つになり、全土九州を表したものとされる。天子の職分は天に代わって人民を養うのであるが、その養いの中で最も重要なものは、天地の神を祭り、祖先の神霊を祭り、天下の賢人を養うことである。それは鼎によって出来るのであるから、鼎が歴代の天子の第一の宝物になったのである。序卦伝に、「物を革むる者は鼎に若くは莫し、故に之を受くるに鼎を以てす。」とある。易の解説書の一つに、「雑卦伝」があるが、そこには、「革は故きを...「火風鼎」(卦辞)