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2024/05/20

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  • くも膜下出血

    真理子も翔子も短命だった。 翔子は26歳で亡くなった。歯科医の夫を助けるために歯科衛生士の資格を取り、一女をもうけて幸せいっぱいのときに。年末で夫の実家に帰省していた。突然頭痛に襲われ、意識不明になった。死因は脳内出血。翔子の葬式に駆けつけると、母親の洋子叔母は、「翔子...

  • エリザベス・テーラーとオードリー・ヘプバーン

    真理子が4歳くらいになると、コーラを好む彼女に春江は毎日好きなだけ飲ませる。「飲み過ぎでしょう」と私が横から注意しても、「真理子はコーラが大好きやねん」と言う彼女に、「そうや、好きやもんね」と春江は同調するだけ。「大人になっても真理子は毎日飲むのや」と私に宣言した。しかし...

  • 森永ヒ素ミルク事件

    3年生(1955年)の9月に四郎叔父の息女の真理子が生まれたので、母とマイコと3人で産院に行った。赤ちゃんはしわくちゃの顔で全然かわいくないが、母は「今の赤ちゃんはしっかりしてるなあ。キリコらと大違いや」と褒める。戦後の栄養不足の中で生まれた私の顔はもっとひどかったらしい...

  • ガリ版印刷

    K小学校の運動会の日は、駄菓子屋の屋台が校庭に出店する。もちろん私の親は何も買ってくれない。1年生のとき、級友の真野さんが綿菓子を食べているのを見て羨ましかった。薄いピンク色でふわふわした感じ。高学年になってからようやく綿菓子を食べる機会が訪れて、一口かんだら、ふわふわじ...

  • ドッジボール

    3年生以上は、ドッジボールの組対抗試合の行事がある。私は勢いのあるボールを投げられないし、受けるのも下手だし、専らボールから逃げるしかない。ボールに手を出さないので、最後まで内野に残ることも多く、1人になると集中攻撃を浴びてあっけなくボールに当たってしまう。無様で嫌だった...

  • 蝶々夫人

    外遊びより家で絵や文を書くのが好きな私は、ときどき『新聞』を作って両親に読ませた。『つけもの新聞』とか『着物新聞』とか、その都度違う名前で画用紙に記事を書く。6年生のときに『発行』した『ちょっとお目を拝借新聞』を母が担任に見せたら、「名前がしゃれてる」と褒めてくれた。 ...

  • 計算機

    『シネラマ・ホリデー』を見た後、母は阪急デパートへ、父と私は父の会社に行った。ビルの中の父が働くオフィスに連れていってくれた。壁に沿って、セントラルヒーティングのパイプが這っている。タイムレコーダーがあり、父が紙に時刻を印字してみせてくれた。大きな金庫も開けてくれた。中に...

  • シネラマ

    3年生(1955年)の12月30日は、家族4人でシネラマを見に行く予定だったが、1年生のマイコが「行くの、嫌や」と言い出し、急遽近所の山本さんに預かってもらうことになった。2時からのシネラマの前に、大阪の高級レストランでビフカツ(ビーフカツレツ)を食べた。父はビーフステー...

  • リリアン編み機

    クリスマスプレゼントを家族で交換したことは全く覚えていない。マイコと2人でためた100円であめを買い、カラフルな包装紙に包んで両親にあげたと書いてある。母からは、ままごとの道具とまりとあめやガムの入った靴下をもらった。物心がついたときからサンタクロースは実在しないと父に聞...

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