あけましておめでとうございます。さて、先の余節で、一月四日から新しいブログをと書きましたが、ついに用意が出来ませんでした。hh実は『蜻蛉日記』を準備しかけたのですが、ちょっと別の用事が出来て、途中断念、今年一年はそちらに集中することにします。折角覗いてい
作者は巻頭の「作者の言葉」で、この物語において「小説は二つある」として、これは「第一の小説」であって、「重要な小説は二番目の方」だと語っていました。それに対して、小林秀雄が「今日、僕等が讀む事が出來る『カラマアゾフの兄弟』が、凡そ續編といふ樣なものが全
以前読んだときは、話がこんがらがって、イリューシャたちの話が出て来たあたりから何を読んでいるのか分からなくなってしまったのでしたが、今回、こうして書きながら辿ってきて、やっと話の全貌が見えました。 フョードルは、フェチュコーウィチが「われわれの心に映
カテリーナを見送って、アリョーシャはイリューシャの家に行きました。彼は亡くなって、今日はその葬儀の日なのです。出迎えたのはコーリャでした。アリョーシャの前では背伸びしたい彼は、ドミートリイの話をします。彼は、ドミートリイが実は無実だと聞いて、「それ
アリョーシャがドミートリイの入っている病院に行き、カテリーナがきっと近いうちに来てくれると伝え、そして彼女が脱走の手助けをしてくれることを話しました。ドミートリイは、その話には乗らないで、流刑になった先での自分の振る舞いに自信が持てないと言い出しまし
カテリーナとアリョーシャが、ドミートリイを護送の途中で脱出させるというイワンが考えていた計画を話し合います。イワンは公判の後、そのままカテリーナのところで介護されています。 そのカテリーナが、法廷での自分の変心を説明しようとしています。 イワン
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あけましておめでとうございます。さて、先の余節で、一月四日から新しいブログをと書きましたが、ついに用意が出来ませんでした。hh実は『蜻蛉日記』を準備しかけたのですが、ちょっと別の用事が出来て、途中断念、今年一年はそちらに集中することにします。折角覗いてい
作者は巻頭の「作者の言葉」で、この物語において「小説は二つある」として、これは「第一の小説」であって、「重要な小説は二番目の方」だと語っていました。それに対して、小林秀雄が「今日、僕等が讀む事が出來る『カラマアゾフの兄弟』が、凡そ續編といふ樣なものが全
以前読んだときは、話がこんがらがって、イリューシャたちの話が出て来たあたりから何を読んでいるのか分からなくなってしまったのでしたが、今回、こうして書きながら辿ってきて、やっと話の全貌が見えました。 フョードルは、フェチュコーウィチが「われわれの心に映
カテリーナを見送って、アリョーシャはイリューシャの家に行きました。彼は亡くなって、今日はその葬儀の日なのです。出迎えたのはコーリャでした。アリョーシャの前では背伸びしたい彼は、ドミートリイの話をします。彼は、ドミートリイが実は無実だと聞いて、「それ
アリョーシャがドミートリイの入っている病院に行き、カテリーナがきっと近いうちに来てくれると伝え、そして彼女が脱走の手助けをしてくれることを話しました。ドミートリイは、その話には乗らないで、流刑になった先での自分の振る舞いに自信が持てないと言い出しまし
カテリーナとアリョーシャが、ドミートリイを護送の途中で脱出させるというイワンが考えていた計画を話し合います。イワンは公判の後、そのままカテリーナのところで介護されています。 そのカテリーナが、法廷での自分の変心を説明しようとしています。 イワン
陪審員が判決を下しました。それは全面有罪の実刑判決でした。どうしてそういう結果になったのか、その説明はありません。ただ、傍聴人が帰り際に話していた「百姓たちが意地を張ったんだよ」という言葉あるだけです。長い長い検事の論告、そして同じく長い長い弁護人の
フェチュコーウィチは、ドミートリイが父親を殺さなかった可能性が十分にある(前節)ことに加えて、彼が犯人だとする意見の多くが、父親殺しであることを前提に誰かを処罰しなければならないとしていることを指摘して、実はフョードルがドミートリイに対して父親と呼べない
これも同じく、私たちの知っている物語です。 ドミートリイがあの晩窓から顔を出したフョードルを見て「個人的な嫌悪」がつのった後、長い「…」があった(第三部第八編4節)のでしたが、そのように、彼は父を殺さなかった可能性が十分にあることを、弁護人が巧みに解き明
彼は、三千ルーブルは実はなかったのかも知れないし、そうだとすれば当然盗みもなかったという点を強調しました。ちょっと気になるのは、彼が、イワンが証言の最後に出した三千ルーブル(5説)に触れていない点です。あの金は、あの後の彼自身の発作と、カテリーナの「手
フェチュコーウィチは、イッポリート検事が絶叫して論告を終えたのに対して、「その声は美しく、声量も豊かで、感じがよく声そのものにさえ何か真剣な率直なものが響いている感じ」で、検事の心理分析を皮肉るところから始めました。「諸刃の刃」は、イッポリートが論じた
ここはモークロエでドミートリイが、グルーシェニカの昔の恋人と向きあうことになった時の分析です。彼の論告は、彼の作った物語であって、私たちがこの物語の語り手から聞いてきた話とは、起こっている出来事は同じでも、意味はまったく異なっています。先日テレビの「
イッポリートはスメルジャコフが犯人ではないという説を延々と語ります。私は少し退屈になって来ました。読者はすでにスメルジャコフの自白を知っています。ここの論告は、そのスメルジャコフが人々にこう思わせようと思い描いた筋書きどおりをなぞっています。イッポリ
ここの興味深い点は、フョードルがグルーシェニカを家に来させようと用意した三千ルーブルは、ドミートリイにしてみれば自分が母から相続すべき三千ルーブルだと考えられた、という論述です。なるほどそう考えると、その三千ルーブルはドミートリイからすれば最悪の使い方を
イッポリートの論告が4節にわたって続きます。それは「少なくとも、わが哀れなイッポリートが抱きうる限りにおいての、市民的感情も、《呪わしい》疑問も心の内に秘めていたことを」立証するものでした。この事件を時代の趨勢を示すものと捉えて、「小さな水滴に映る太
物語の最初に展開された「恥さらしな騒ぎ」と呼応するように、ここでも「大混乱」(もっともこうした「騒ぎ」はこの物語では枚挙に暇がありませんが)が演じられます。法廷に現れたイワンは「病的」な顔付きで、「土気色のその顔には、どこか死に瀕した人のようなもの」が
アリョーシャは、彼がカテリーナとグルーシェニカの対決を目の当たりにしたあと、修道院へ帰ろうとしてドミートリイに呼び止められたときのことを思い出しました(第一部第三編11節)。あの時、アリョーシャは、ドミートリイがカテリーナを五千ルーブル用立てるからと言
カテリーナがドミートリイの医学鑑定を希望して、三人の医師がそれに当たりました。モスクワから招かれた「有名な博士」とこの町の老医師ヘルツェンシトゥーベ博士、それと若い医師ワルヴィンスキーです。その鑑定はどうも頼りないものでした。この時代、医学は作家たちか
ドミートリイにとっての「危険な証人」や証拠品の多さによって、公判が始まる前から、ドミートリイの犯罪は間違いないものと、だれもが思うようになっていきました。 そのなかでフェチュコーウィチの皮肉な証人質問が展開されて、ドミートリイの有罪を訴えた証人たちは次
町中が全ロシア的関心に包まれて騒然とした中で、公判の日になりました。傍聴席は超満員、その中で婦人たちはドミートリイの無罪を支持し、その夫たちを初めとして男性群は彼に対して反感や敵意を持って集まっていたと言います。なるほど、ありそうな話です。弁護人は
アリョーシャは自分にもよく分からない「恐ろしい悲劇」を避けるために、ドミートリイに会わなくてはならないと考えて、以前、ドミートリイが彼を待ち伏せしていた隣家の東屋(第一部第三編3節)に行ってみました。するとそこにはスメルジャコフと隣家の娘マリアがいて、
「プロとコントラ」は「ラテン語で肯定と否定、賛否を意味する」のだそうです(『文庫』訳注)。 アリョーシャがカテリーナの家に着くと、カテリーナは寝込んでしまっていて、ホフラコワ夫人は彼を先にリーズのところに連れて行きました。アリョーシャはスネリギョフ
外に出て歩きながら話し始めると、スネリギョフの話し方は、自分の家を「御殿」と呼ぶことから始めて、丁寧ながら大変皮肉な自虐的な話し方に変わりました。彼は、自分がドミートリイの暴行を受けた時息子(イリューシャ)がどんなにいじらしい振る舞いをしたかを語ります
アリョーシャは、出過ぎたことを言ってしまったと後悔しながら、スネリギョフのところに行きました。思い出しました。「いつぞやお父さまが何かの事件でお使いになったとかいう」「二等大尉」というのは、「フョードルが『代理人をしている例の二等大尉』を使いにしてグル
部屋に入った時、アリョーシャはさっきの夫人の言葉で動揺していました。彼は、カテリーナはドミートリイを愛しているのだと思いこんでいたのでしたが、夫人のあの言葉でふいに彼女が愛しているのはイワンではないのか思えてきたのでした。しかしカテリーナはイワンと
ホフラコワ夫人の家は「この町の最高の屋敷」でした。夫人は、アリョーシャを見ると、今カテリーナとイワンが来ていて二人は「病的な興奮」で「恐ろしい物語」になっていると告げ、そして「どうしてリーズはヒステリーを起こしたのでしょう、あなたがいらしたときくやいな
アリョーシャは次にホフラコワ夫人のところに向かいます。その途中で、ここに来て、また新たに妙な展開になりました。アリョーシャが中学生のいじめ事件に巻き込まれたのです。というより、自分から首を突っ込んでいった格好です。 六人の中学生が「三十歩」ほどの川
アリョーシャがフョードルのところに行くと、彼は額の大きな紫色の痣を赤い布で包帯し、鼻がひどく腫れて痣がシミのように広がった顔で、苛立っていました。彼は「何の用でお見えかね?」と問いかけ、昨日来いと言った(第三編9節)のは口からでまかせだと言い捨てて一人
翌朝、修道院でアリョーシャは重態のゾシマのそばに行きました。ゾシマは「生あるうちにもう一度心情を吐露しておきたいと渇望するかのよう」に「断片的」に説教をしました。いい話です。僧院に入るとは、他の人より劣っていることを認識したことになる、…。僧は一人ひとり
三つの別々のことが語られます。アリョーシャの帰途を、ドミートリイが待ち伏せしていて、カテリーナのところでの様子を問い詰めました。そしてグルーシェニカがカテリーナの手にキスをしなかったことを聞くと、「まさにその手の一件に、あの女の面目が遺憾なく現れている
ここはよく分からない話が続きます。アリョーシャは、父の家に向かったとき以上に「思考力もなにか粉々に砕けて散逸したかの」に打ちひしがれながら、カテリーナの家に向かいました。父と長兄があまりに不仲で、それも金と女性のことで不仲であることに衝撃を受け、しかも
ドミートリイが来たのは、フョードル目当てではなくて、グルーシェニカがこの家に来るのを見かけたと言って、「三千ルーブル」(5節)を受け取られては大変とそれを追いかけて来て、この広間に飛び込んできたのでした。フョードルは、グルーシェニカが来ていると聞いて、
議論は終わりました。グリゴーリイは言い負かされて悔しくて泣いているようです。フョードルは「ふしぎなことに」、「お前らはもう退っとれ、イエズス教徒め」とどなりつけて召使いたちを下がらせると、なおもコニャックを飲みながら、イワンとアリョーシャを相手にしゃべ
「論争」というか、スメルジャコフのキリスト教不信論です。異教徒の捕虜になって脅迫を受けながら改宗を迫られた兵士がそれを拒否して殺されたという事件を、感動を持って話したグリゴーリイに、スメルジャコフが、そういう場合、改宗してもキリスト教的には罪は受けな
アリョーシャがフョードルの家に着くと、広間でフョードルとイワンが食卓にいて、グリゴーリイとスメルジャコフが控えていました。そこで、先に出生の秘密が語られた(2節)スメルジャコフの、その後の生い立ちが語られます。 その不幸な出生の影響があってか、いろい
冒頭の「この事件」というのが何を指すのかよく分かりませんが、結果的には、ドミートリイとカテリーナの恋の顛末ということになりそうです。そういう言い方で、作者が読者にこれから何かの「事件」が起こることを予告しているということでしょうか。さて、父の死後モスク
ドミートリイの「告白」が続き、ここはカテリーナとの出会いの経緯が語られます。冒頭の「向こうで」がどこを指すのか分かりにくいのですが、コーカサスで軍務に就いていたとあり(第一編2節)、後に国境守備隊の一員だったとありますから、その頃のことなのでしょう。
フョードルの家の説明からカラマーゾフ家の召使いの紹介になりましたが、そこから一転して、修道院での「恥さらしな騒ぎ」の後に取り残された格好のアリョーシャが語り始められます。彼は、父に帰ってこいと言われたことと、カテリーナから手紙で会いたいと言われたこと(
もう一人の召使い、スメルジャコフの出生の秘密が語られます。リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ(訳注・悪臭のひどい女という意味)は、母親は「ずっと以前に他界して」いて、「父親は身代をつぶした宿なしで病人のイリヤという町人」で、リザヴェータを虐待し続けてい
フョードルの家が紹介されます。まずはその建物が克明に描かれます。母屋と離れがあって、「今の五倍(の人数・つまり二十人以上)は楽に収容できる」ような大きな家で、「ふるめかしかったものの、感じのよい外観」で、中二階つきの、灰色のペンキを塗った平屋で」云々