伊豫・黒川一門 持城
伊豫・黒川一門持城伊豫守護家河野家の重臣である黒川家は戦国期多く城を守りました。その一部を紹介しましょう。ただ当時は城と名がつくも多くは「かき揚げ」造りと呼ばれる、砦のようなもので、江戸期の天守閣を持ったような立派な物はあまりありません。また、同名で山の城や里の城とか注釈がつくものは平時は里の城(屋敷)で暮らしており、戦時に山の城に武器、水、食料、住民を集めて籠城戦に近いものをしていました。火縄銃は貴重で殆どなく、刀、弓、槍、石礫で戦っていました。戦いを仕掛ける時は、春と秋が多く、理由は至極簡単で田植えの終わった田圃を蹴散らし枯らす作戦と逆に秋の米の取入れ時期に余裕がある場合は多くの自分側の農民を送り込み根こそぎ稲を奪う方法と、急を要する場合は刈り取り前の稲田に火を放ち、食料を絶つ方法が取られました。これ...伊豫・黒川一門持城
2025/02/24 19:27