chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
ダラダラ日記のようなもの https://masahiro1.hateblo.jp/

タイトルの通りの日記のようなもの 読んでも下らんし、何のためにもならんよ それでも読んでくれるなら、歓迎はします。

masahiro
フォロー
住所
いなべ市
出身
未設定
ブログ村参加

2022/11/11

arrow_drop_down
  • 朝のウォーキングから夜の温泉まで

    土曜日の朝8時半、私はK君といなべ公園にウォーキングに出かけました。いなべ公園には五重の塔があり、そこに登ると員弁の街が広く見渡せます。また、長い滑り台もあります。上り斜面になっていて、頂上に滑り台の入口があり、その斜面を下るようにローラー式の滑り台がずっと長く続いています。 公園の中央には大きな池があり、時々噴水が上がっています。私たちはその周りを約2.5キロほど歩きます。決まったウォーキングコースはありませんが、来る人はそれぞれ好みの道を自分たちのコースにしています。 公園内には様々な注意書きの看板が立っています。ゴルフ禁止、犬の散歩禁止、釣り禁止区域、動物への餌やり禁止などです。特に印象…

  • 雨の日曜日、手塚ワールドへの没頭 ―― 「火の鳥」アニメ配信で蘇る不朽の名作

    雨の日曜日、手塚ワールドへの没頭 ―― 「火の鳥」アニメ配信で蘇る不朽の名作

  • 小さな羽根の大きな愛 〜コザクラインコ・ポップとの10年〜

    春の陽気が初夏の熱さに変わり始めた頃、私の人生も新たな季節を迎えていた。死の淵から這い上がり、再出発の道を歩み始めて数ヶ月。今では週に3日、5時間ずつの勤務をこなせるまでに回復していた。 仕事の合間を縫って、木曜から土曜にかけては友人を誘い、いなべ公園でウォーキングを楽しむ日々。日曜日も当初は友人と過ごす予定だったが、ある日、思いがけず姉と公園を歩いたこともあった。ただ、それも一度きり。次の日曜をどう過ごすか、まだ決めかねている自分がいた。 そんな中、思いもよらぬ別れが訪れた。我が家の愛鳥、コザクラインコのポップが、昨日この世を去ったのだ。自分の命が危うかった日々を乗り越えたばかりだというのに…

  • 再出発への道のり - 運転再開から職場復帰まで

    免許更新を済ませ、ようやく自分で車を運転できるようになりました。私の愛車はホンダのフィットで、事故の前、昨年6月頃に車検を終えていましたが、それ以降はあまり運転していませんでした。 入院中は次女にバッテリー上がり防止のため時々運転してもらっていましたが、それでも一度バッテリーが上がってしまったそうです。 久しぶりの運転で少し緊張していましたが、ほとんど大丈夫だと思っていました。久しぶりの運転ということもあり、妻が同乗して安全確認をしてくれることになりました。 「ハンドル操作は大丈夫?左手でしっかりグリップできてる?」と妻が心配そうに見ています。 「もうちょっと前の車と離れて止まってよ」と、車間…

  • 春の陽光と希望 - ある免許更新の日の物語

    適性検査に合格してから数日後、私は早めに免許更新を済ませたいと思い、今週の金曜日に更新手続きを行うことにしました。妻の体調も良かったため、一緒に行くことになりました。 13時までに津市の免許センターに到着する必要があったので、家を11時頃に出発しました。1時間半ほどの道のりでしたが、妻の運転する車内で会話を楽しみながら過ごしたので、あっという間に感じられました。適性検査を無事に通過した安堵感が、私たちの間に新たな自信をもたらしていました。 予定より30分ほど早く免許センターに到着し、中に入ると多くの人で賑わっていました。私と同じように更新期限切れで適性検査後に更新に来た人や、外国人の方など、様…

  • 再出発への道のり

    春の陽気に包まれた午後、妻と私は津市の免許センターへと車を走らせた。運転席に座る妻の表情には、不安の色が濃く滲んでいた。私は妻の横顔を見つめながら、彼女の心中を察した。 きっと妻は、看護師から聞いた話を思い出しているのだろう。薬の影響で適性検査に引っかかる人が多いという話を。その不安が彼女の表情に現れていることが、私にもよく分かった。 一方で私は、自信に満ちていた。元自動車教習所の教官としての経験、そして今まで事故を起こしたことがない自負が、私の心を支えていた。「絶対にクリアできる」という思いが、胸の内でしっかりと根を下ろしていた。 しかし、妻の不安げな様子を見ていると、私の心にも小さな迷いが…

  • 歩み出す勇気 〜リハビリと免許更新の思い出〜

    歩み出す勇気 〜リハビリと免許更新の思い出〜 春の柔らかな日差しが差し込む朝、私は妻の手を借りながらゆっくりと玄関を出た。退院して初めての外出だ。近くの北勢公園へ向かう道すがら、桜の花びらが舞い、新しい始まりを感じさせてくれた。 最初のうち、北勢公園でのウォーキングは楽しかった。しかし、日に日に人が増え、ゆっくりとしたペースで歩く私たちには少し窮屈になってきた。そんなある日、妻が「員弁公園はどう?」と提案してくれた。 員弁公園での最初の挑戦は、正直言って散々だった。まだ体力が戻っていない私には、池の周りのコースが想像以上に長く感じられた。でも、あの日の苦労が今では懐かしい思い出になっている。 …

  • おかゆとWi-Fiと退院の日

    目が覚めると、そこは自分の病院のベッドの上だった。 手術自体は1時間もかからなかったらしい。その日は夕食を食べることができず、明日の朝から食べられると思っていたのに、朝食も抜き。点滴はずっと繋がれたままで、やることもなく、暇を持て余した。 「今年の4月から病院のWi-Fiが変わったんだって。館内どこでも時間制限なく繋がるらしいよ」と、隣のベッドの患者さんが教えてくれた。 前回入院した時は13時から21時までしか繋がらなかったので、仕様が変わって良くなった。とはいえ、ここのWi-Fiは5G以下には対応しておらず、自分の携帯は4Gまでしか対応していない。そこで、家にあるAmazonのFire HD…

  • 手術の体験記:深い眠りへの道

    4月1日から、四日市私立病院でのステントの入れ替え手術のため、1週間の入院が決まっていた。 その前に、退院後の風邪も治り、少し外の空気を吸おうと妻と員弁公園に出かけた。 大きな池と豊かな緑に囲まれた公園は、3月後半の桜がもうすぐ満開になるという季節で、気分が晴れやかだった。 しかし、公園内の道がよく分からず、迷ってしまった。 池を渡る橋を進むと一本道が続き、引き返すには相当な距離を歩かなければならないことに気づいた。 妻と共に先へ進むが、休むためのベンチもなく、舗装された道は木の根がアスファルトをガタつかせており、足元に注意しながら歩かなければならなかった。 前から「こんにちは」と声をかけてく…

  • 再生への一歩、新たな旅立ち:小山田記念温泉病院を後にして

    3月16日、 ついに小山田記念温泉病院を後にする日が来ました。 長い間お世話になった療法士さんたちとの別れが、少し淋しく感じられました。 退院当日、家族と一緒に行きつけの中華料理屋さん「カリン」に寄り、久しぶりのラーメンを楽しみました。 医者から塩分を控えるようにと言われていたのに、いきなりその約束を破ってしまったけれど、その美味しさは格別でした。 5ヶ月半ぶりに戻った我が家は、懐かしさと新たな希望に満ちていました。 大晦日の紅白も、正月も家で過ごせなかったことが少し心残りでしたが、家に帰れる喜 びがそれを上回りました。 仕事への復帰はまだ先のことだと分かっていましたが、6月頃から始められれば…

  • リハビリの日々から未来へ

    小山田記念温泉病院に転院したとき、私は新たな希望と共に新しい生活を迎えました。 毎日のリハビリは厳しくも充実していました。 手首のリハビリに1時間、足と歩行訓練に1時間、そして頭を打った影響で言語聴覚士による記憶力や計算問題のトレーニング、さらには運転シミュレーターによるリハビリも行いました。 合計3時間のリハビリは、私にとって新たな挑戦の日々でした。 リハビリを担当してくれたスタッフは皆、温かく励ましてくれました。 特に理学療法士の清水くんは、私の状態に合わせて細やかにリハビリを進めてくれました。 彼の献身的なサポートがあったからこそ、私は一歩ずつ回復へと近づくことができました。 食事に関し…

  • リハビリからの再生:温泉が導く新しい始まり

    三重大から四日市私立病院に移り、1ヶ月が過ぎた頃には、ついに車椅子を克服し、歩行器で歩けるようになっていました。 左手首と指も少しずつ動くようになり、撓骨神経麻痺のリハビリも地道に続けていました。医師は、「気長にやっていくしかない。半年、1年かかる人もいるんだよ」と言いました。 四日市私立病院にはリハビリ専門の理学療法士や作業療法士がいましたが、専門のリハビリ病院ではないため、休日にはリハビリが行われませんでした。そのため、リハビリ専門の病院へ移ることになりました。行き先は、小山田記念温泉病院です。 移転に際して、小山田病院の職員が4人ほど見学に来ました。何しろ、これだけ多くの骨折や病名を抱え…

  • リハビリ生活の試練と美味しい食事

    術後、日が経つにつれ、私の身体の状態は少しずつ改善していきました。 三重大学での入院生活も2週間ほどで、次のステージへ進むこととなりました。四日市私立病院の整形外科病棟5階への転院です。 そこでは主にリハビリが待っていました。身体を起こすことがやっとで、まだ歩けない私にとって、リハビリは厳しい試練でした。 まずは寝たままでの足のストレッチから始まりました。 手のリハビリも行いました。 三重大学病院での出来事です。ある日、左腕のギブスが取れた頃、左手首はだらんとしたまま上がらず、指も動かない状態に気が付きました。 手術ミスなのではと思いましたが、長い事腕をギブスで固定されていたために、神経が麻痺…

  • 根性と友情:手術と再生の軌跡

    私が受けた頭の手術は、くも膜下出血と硬膜下血腫の処置でした。 命を脅かすほどの深刻な出血が起こり、その他にも幼少期からの持病、門脈圧亢進症と食道静脈瘤が引き起こした腹水が私を苦しめました。 さらに胆管の問題もあり、ステントの挿入手術が必要となりました。 これらの状態は、私の体に大きな影響を与えました。 折れた骨は左手首、右肩甲骨、右肋骨、右手の薬指と小指、右膝、そして左大腿骨に及びました。 これらの骨折は、私にとっては非常に痛みを伴う困難な時間でした。手術ができるまでの間、ギブスで骨を固定し、日々の痛みと闘いました。 手術は1ヶ月後に行われました。左手首にはプレートが挿入され、右膝には長いスク…

  • 第二話: 家族と友人の愛に支えられて… ICUでの闘い

    三重大に着くと、 すぐに検査が始まりました。 頭のCTスキャンやMRIを次々と受けた後、緊急手術が決定されました。 医師たちは、私の頭部に深刻な内出血があることを発見し、迅速に対応しなければ命に関わると判断したのです。 手術は8時間にも及ぶ大掛かりなものでした。 麻酔で意識が遠のいていく中、ぼんやりとした恐怖とともに家族の顔が浮かびました。 医師たちが私の頭蓋骨を開き、内出血を止め、脳の圧力を下げるために懸命に働いている間、私は深い闇の中を漂っていました。 手術が終わると、私は重症患者が入るICU(集中治療室)に運ばれました。 そこでは、24時間体制で看護師たちが私の生命維持装置を監視し、回復…

  • 死にかけた出来事からの復帰ドラマ🎬

    ひさしぶりの更新です。 一年ぶりかな。 というのは、前回骨折の話しをしたんですが、 またまた、死にかけた出来事がありまして、このブログを更新していくことができなかったのです。 これから書く話は一年更新していなかったので長い話になりますので何回かに分けて書いていくことにしようかと思います。 それでは第一話目です。 昨年6月に右大腿骨骨折して以来、3ヶ月の時を経て仕事復帰できたのですが、今回は、10月の後半、27日の事でした。 この日は、月曜日。 夜勤ということで夕方16時からの出勤。 朝から大安接骨院に行きリハビリがてら筋トレをしに行きました。 家に帰ってきたのが11時頃。 妻は市が提供する格安…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、masahiroさんをフォローしませんか?

ハンドル名
masahiroさん
ブログタイトル
ダラダラ日記のようなもの
フォロー
ダラダラ日記のようなもの

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用