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Pollution Busters https://www.pollutionbusters.co.uk/blog

イギリス在住、大学勤めの環境研究者。 環境教育を行うPollution Bustersという会社を起業中。 このブログでは、エコシンプルライフ、起業日記、研究者の日々などについて書いて行きたいと思っています。

Dr Yukka
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2021/04/09

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  • 発信の欲求不満。〜英語での暮らしの中で〜

    英語での暮らし。 13年経ちますが、いまだに、英語へのコンプレックスは、あります。 「言いたいことが言えない。」 やっぱり、自分で言いたいことを言えないっていうのは、自信も無くすし、何かやってみたいことができても、「あぁ、でも、英語話すのに、自信がないからなぁ、、、」と躊躇するようになるし。 日本にいることは、やりたいことは、なんでもやる!がモットーだったので、こんな風に、「行動に移すことを躊躇する」なんて、もう、自分らしさの崩壊が始まってるわけなんですよね。 そういう、自分自身の精神の崩壊のようなものに、気づかないまま、じわりじわりと、傷ついて、臆病になって、どんどん落ち込んでしまって。海外生活を送る前は、やる気と自信に溢れていた人が、海外生活から帰ってきたら、人が変わってしまったかのようにトゲトゲしい卑屈な人になってしまった、、、、なんてことって、よくあることなんじゃないかなぁ、なんて、想像してみたり。 自分が経験してみて、本当に分かるけど、自分の第一言語ではない言葉を使って暮らすって、永遠に続くチャレンジに挑むようなもの。 「自分の言いたいこと、伝えたい思いや考え」を伝えるんじゃ

  • 健康で薬を飲まないと、エコに繋がる。

    日々、エコを考えて暮らし方を模索している私。 ある日、「実は、自分が健康でいることって、エコに繋がるんじゃないか?」と思うようになりました。 どういうことかというと、 まず、健康で肌ツヤがいいとしましょう。 すると、化粧をしなくてすむ。 素の自分に自信が持てて、服やアクセサリーなどの装飾品など、シンプルでよくなってくる。 健康を維持するために、自分が食べるものに気をつけるようになる。 野菜などを多く食べるようになる。 オーガニックなどに興味が出てくるようになる。 お菓子など食べなくなるので、過剰包装な食べ物を購入することが減る。 プラゴミが減る。 おおー!っと感動し、ついでに、野菜も、袋に入っていないものを買おうという気になる。 ここまで来ると、ゴミゼロな日々も近いんじゃ無いか?!と思えてくる。 やる気も、出てきて、なんだか、エネルギーが体から溢れて、「今日は、駅まで、車じゃなくて、自転車でいってみようかな?」なんて思えてくる。 と、いったような具合です。(出来過ぎた話?) まぁ、この話は、かなり、順調な調子で、ウキウキルンルンな様子を書きましたが。 本題は、ここから。 薬を飲まないこ

  • 健康で薬を飲まないと、エコに繋がる。

    日々、エコを考えて暮らし方を模索している私。 ある日、「実は、自分が健康でいることって、エコに繋がるんじゃないか?」と思うようになりました。 どういうことかというと、 まず、健康で肌ツヤがいいとしましょう。 すると、化粧をしなくてすむ。 素の自分に自信が持てて、服やアクセサリーなどの装飾品など、シンプルでよくなってくる。 健康を維持するために、自分が食べるものに気をつけるようになる。 野菜などを多く食べるようになる。 オーガニックなどに興味が出てくるようになる。 お菓子など食べなくなるので、過剰包装な食べ物を購入することが減る。 プラゴミが減る。 おおー!っと感動し、ついでに、野菜も、袋に入っていないものを買おうという気になる。 ここまで来ると、ゴミゼロな日々も近いんじゃ無いか?!と思えてくる。 やる気も、出てきて、なんだか、エネルギーが体から溢れて、「今日は、駅まで、車じゃなくて、自転車でいってみようかな?」なんて思えてくる。 と、いったような具合です。(出来過ぎた話?) まぁ、この話は、かなり、順調な調子で、ウキウキルンルンな様子を書きましたが。 本題は、ここから。 薬を飲まないこ

  • 農薬散布に関する研究後⇨食べる物の変化

    (この記事を読まれる方へご注意:私は、「農薬散布」の研究を行っていたので、「農薬」の専門家ではありません。何が違うの?と思われるかもしれませんが、研究分野的には、全く違います。農薬散布は、物理や数学を使って研究しますが、農薬は、農業化学?とか、そういう分野だと思います。(もう、分野が全然違い過ぎて、いったい、何の分野なのかすら分かりません。それぐらい違います。)なので、以下の記事は、農薬のことは、知らない私が、科学的根拠ではなく、単なる個人的な感覚から書いた記事であることを考慮して読んで頂けたらと思います。) イギリスに来てから、一時期、農薬散布に関する研究を行っていたことがあります。 簡単に言うと、農薬をスプレーでかける時って、もちろん、育てている植物にスプレーしますよね。でも、実は、その時に使ったスプレーの形状とか、その時に吹いていた風によって、植物以外の部分にも、結構飛んでいってしまうのです。 そうすると、農地のそばを散歩していた人とか、農地のそばに住んでいる人とか、そういう人が、少なからず吸い込んでしまう。 なので、どれぐらい農薬が飛んでいくのか、その健康影響は、といったことを

  • 農薬散布に関する研究後⇨食べる物の変化

    (この記事を読まれる方へご注意:私は、「農薬散布」の研究を行っていたので、「農薬」の専門家ではありません。何が違うの?と思われるかもしれませんが、研究分野的には、全く違います。農薬散布は、物理や数学を使って研究しますが、農薬は、農業化学?とか、そういう分野だと思います。(もう、分野が全然違い過ぎて、いったい、何の分野なのかすら分かりません。それぐらい違います。)なので、以下の記事は、農薬のことは、知らない私が、科学的根拠ではなく、単なる個人的な感覚から書いた記事であることを考慮して読んで頂けたらと思います。) イギリスに来てから、一時期、農薬散布に関する研究を行っていたことがあります。 簡単に言うと、農薬をスプレーでかける時って、もちろん、育てている植物にスプレーしますよね。でも、実は、その時に使ったスプレーの形状とか、その時に吹いていた風によって、植物以外の部分にも、結構飛んでいってしまうのです。 そうすると、農地のそばを散歩していた人とか、農地のそばに住んでいる人とか、そういう人が、少なからず吸い込んでしまう。 なので、どれぐらい農薬が飛んでいくのか、その健康影響は、といったことを

  • 環境研究者の本気エコライフチャレンジ

    仕事だけでなく、日々の生活の中でも、なるべくエコライフを実践しようと考えてます。 今行っていることは: (1)ゴミ関係 リサイクル(これは、まぁ、基本ですねー) 期限切れの薬は、薬局に持って行って引き取ってもらう 野菜クズは、庭のコンポスターへ グリーンガーデンビンの契約 いらないものは、誰か、もらって貰える人を意地でも見つける(郵便で送ったりしてでも) 一時期、国研究機関で、廃棄物・リサイクルを専門とする部署にいたので、ゴミに対する意識は、かなり高いです。 (2)買い物関係 食品は、見切り品を積極的に購入 食品以外は、本当に必要なものしか買わない 合成繊維で出来ている製品は買わない 自然由来の化粧品しか買わない(できればオーガニック) お店で売っている洗剤は買わない(子供も使えるKohという洗剤をネットで購入) 買い物=後のゴミ、に繋がりますからね。液体物でも、それは、下水か室内大気に流れ出ますから、気をつけています。 (3)生活を送る上でしていること 湯シャン(シャンプー・トリートメント、一切使いません) 髪は染めない(白髪もそのまま) マニキュアはしない 化粧もしない(日焼け止め

  • 環境研究者の本気エコライフチャレンジ

    仕事だけでなく、日々の生活の中でも、なるべくエコライフを実践しようと考えてます。 今行っていることは: (1)ゴミ関係 リサイクル(これは、まぁ、基本ですねー) 期限切れの薬は、薬局に持って行って引き取ってもらう 野菜クズは、庭のコンポスターへ グリーンガーデンビンの契約 いらないものは、誰か、もらって貰える人を意地でも見つける(郵便で送ったりしてでも) 一時期、国研究機関で、廃棄物・リサイクルを専門とする部署にいたので、ゴミに対する意識は、かなり高いです。 (2)買い物関係 食品は、見切り品を積極的に購入 食品以外は、本当に必要なものしか買わない 合成繊維で出来ている製品は買わない 自然由来の化粧品しか買わない(できればオーガニック) お店で売っている洗剤は買わない(子供も使えるKohという洗剤をネットで購入) 買い物=後のゴミ、に繋がりますからね。液体物でも、それは、下水か室内大気に流れ出ますから、気をつけています。 (3)生活を送る上でしていること 湯シャン(シャンプー・トリートメント、一切使いません) 髪は染めない(白髪もそのまま) マニキュアはしない 化粧もしない(日焼け止め

  • 子育てとキャリア

    しかし、平日、単身赴任、休日はロンドンに戻るという生活も、 子供がいると、続けるのが難しい。 一人目の子供を妊娠した時、出産間際までは、単身赴任の生活を続けていました。 1年間の産休が終わったら、仕事に復帰する予定でいましたが、 実際には、産休明けの頃るには、「やっぱり、戻るのは難しい、、、、」と悩みました。 職場の上司が、「週3日間だけ職場に来てくれればいいわよ」と提案してくれました。高速道路を使って片道2時間強の運転。朝5時には、家を出ないと間に合わない。まだ小さい赤ん坊を、一緒に連れて行って、職場の向いにある保育園に入れる??高速道路に乗るので、安全性を考えると、その決心はできませんでした。かといって、職場から離れたロンドンの保育園に預けて、仕事に行く決心が私にはできなかった。いくら大好きが仕事でも、やはり、続けるのは難しい。私のパートナーは、自営業だったので、引っ越してしまうと、顧客を失い、一から始めることになってしまう。散々悩みましたが、私は、泣く泣く、この大好きな仕事を諦めることとなりました。 その後、二人目を出産。実に、5年もの間、研究から遠ざかっていました。 二人目の子

  • 子育てとキャリア

    しかし、平日、単身赴任、休日はロンドンに戻るという生活も、 子供がいると、続けるのが難しい。 一人目の子供を妊娠した時、出産間際までは、単身赴任の生活を続けていました。 1年間の産休が終わったら、仕事に復帰する予定でいましたが、 実際には、産休明けの頃るには、「やっぱり、戻るのは難しい、、、、」と悩みました。 職場の上司が、「週3日間だけ職場に来てくれればいいわよ」と提案してくれました。高速道路を使って片道2時間強の運転。朝5時には、家を出ないと間に合わない。まだ小さい赤ん坊を、一緒に連れて行って、職場の向いにある保育園に入れる??高速道路に乗るので、安全性を考えると、その決心はできませんでした。かといって、職場から離れたロンドンの保育園に預けて、仕事に行く決心が私にはできなかった。いくら大好きが仕事でも、やはり、続けるのは難しい。私のパートナーは、自営業だったので、引っ越してしまうと、顧客を失い、一から始めることになってしまう。散々悩みましたが、私は、泣く泣く、この大好きな仕事を諦めることとなりました。 その後、二人目を出産。実に、5年もの間、研究から遠ざかっていました。 二人目の子

  • イギリス(最初の5年)

    イギリスへ移住して、早くも10年。 これを書きながら、「もう10年か。あっという間だったなぁ」と思います。 オーストラリアのシニアリサーチャーが言った通り、イギリスには沢山の大学がありました。でも、私の専門分野がロンドン近郊の大学には無かったのです。 大学での研究職にこだわるよりも、ここでの暮らしに慣れていくこと、自由な気持ちで楽しく生きることの方が大切だと考え、まずは、求人があった、日系商社の環境ビジネス部門でアシスタントとして働くことになりました。その後、オープンユニバーシティの客員研究員となり、そこのシニアリサーチャーから、とある研究所での研究職の仕事(パーマネント!)を紹介されます。 (詳しい内容は、また後で書きたいと思います。) そこでの暮らしは、本当に、最高でした! 自然豊かな場所で、実験室もこじんまりとしていましたが、こんな素敵な環境で研究職の仕事ができるなんて。週末になれば、ロンドンの、パートナーが待つ家に戻り、文化的刺激も簡単に得られる。この、オン・オフの感覚が、私には、とても適していました。そして、何より、この仕事はパーマネントのポジションだったので、「もう、任期ご

  • イギリス(最初の5年)

    イギリスへ移住して、早くも10年。 これを書きながら、「もう10年か。あっという間だったなぁ」と思います。 オーストラリアのシニアリサーチャーが言った通り、イギリスには沢山の大学がありました。でも、私の専門分野がロンドン近郊の大学には無かったのです。 大学での研究職にこだわるよりも、ここでの暮らしに慣れていくこと、自由な気持ちで楽しく生きることの方が大切だと考え、まずは、求人があった、日系商社の環境ビジネス部門でアシスタントとして働くことになりました。その後、オープンユニバーシティの客員研究員となり、そこのシニアリサーチャーから、とある研究所での研究職の仕事(パーマネント!)を紹介されます。 (詳しい内容は、また後で書きたいと思います。) そこでの暮らしは、本当に、最高でした! 自然豊かな場所で、実験室もこじんまりとしていましたが、こんな素敵な環境で研究職の仕事ができるなんて。週末になれば、ロンドンの、パートナーが待つ家に戻り、文化的刺激も簡単に得られる。この、オン・オフの感覚が、私には、とても適していました。そして、何より、この仕事はパーマネントのポジションだったので、「もう、任期ご

  • オーストラリア、そしてイギリスへ

    日本学術振興会海外特別研究員として、オーストラリアのクイーンズランド大学へ行くことになった私。 オーストラリアでの日々は、良いこと、悪いこと、いろんなことがありました。 これは、かなり濃密な話になるので、詳しくは、後ほど改めて書きたいと思います。 日本学術振興会海外特別研究員の任期は2年。任期終了後は、クイーンズランド大学と同じブリスベン市内にある、グリフィス大学へ移動しました。 (私が所属していた研究室は、グリフィス大学の向いにあり、Saint Luciaにメインキャンパスがあるクイーンズランド大学そのものより、よっぽど近かったのです。) グリフィス大学は、オーストラリア国内で、環境学部が初めて作られた大学。 なので、コース内容や所属教官に、得意分野の偏りがなく、環境学全般が学べる、よい大学だと思います。 最初は、客員研究員として登録してもらい、その後、ポスドクとして雇用されました。 (このあたりの仕組みについても、また、後ほど書きたいと思います。) そして、ポスドク任期が終了すると同時に、イギリスへ移住することを決めます。 イギリス移住を決めた理由は、イギリスに仕事が見つかったから

  • オーストラリア、そしてイギリスへ

    日本学術振興会海外特別研究員として、オーストラリアのクイーンズランド大学へ行くことになった私。 オーストラリアでの日々は、良いこと、悪いこと、いろんなことがありました。 これは、かなり濃密な話になるので、詳しくは、後ほど改めて書きたいと思います。 日本学術振興会海外特別研究員の任期は2年。任期終了後は、クイーンズランド大学と同じブリスベン市内にある、グリフィス大学へ移動しました。 (私が所属していた研究室は、グリフィス大学の向いにあり、Saint Luciaにメインキャンパスがあるクイーンズランド大学そのものより、よっぽど近かったのです。) グリフィス大学は、オーストラリア国内で、環境学部が初めて作られた大学。 なので、コース内容や所属教官に、得意分野の偏りがなく、環境学全般が学べる、よい大学だと思います。 最初は、客員研究員として登録してもらい、その後、ポスドクとして雇用されました。 (このあたりの仕組みについても、また、後ほど書きたいと思います。) そして、ポスドク任期が終了すると同時に、イギリスへ移住することを決めます。 イギリス移住を決めた理由は、イギリスに仕事が見つかったから

  • 日本学術振興会海外特別研究員

    ポスドク2年目の研究を行っている中、次のポジションのために、日本学術振興会海外特別研究員へ応募しました。こちらも、多くのポスドクが応募する、非常に高倍率なポジションです。採用されると、自分が選択した海外の研究機関で研究をするための、給料と渡航費が支給されます。任期は2年。1次書類選考を通過すると、2次面接に呼ばれ、無事に審査を通過した者が合格となります。 申請書類を提出した3ヶ月後の8月に、父を病気で亡くしました。長く闘病生活を送っていた父。私が環境研究を目指すきっかけとなった父。私を守り、支えてくれていた父。父の死は、今でもとても悲しく、今でもとても寂しく、今でも父を思い出しては涙します。父の葬儀の翌日、私は、1次書類選考の合格通知を郵送で受け取りました。これは、父からの贈り物のように感じました。 2次面接まで、準備に準備を重ね、迎えた当日。空は美しく晴れていました。自分の番がやってきて、面接室に呼ばれました。「失礼します」とドアを開けると、なんと、そこは、思いもよらないほど大きな会議室。そして、そこに、ずらりと、審査員の先生方がコの字型に座っていらっしゃいました。おそらく、15人?

  • 日本学術振興会海外特別研究員

    ポスドク2年目の研究を行っている中、次のポジションのために、日本学術振興会海外特別研究員へ応募しました。こちらも、多くのポスドクが応募する、非常に高倍率なポジションです。採用されると、自分が選択した海外の研究機関で研究をするための、給料と渡航費が支給されます。任期は2年。1次書類選考を通過すると、2次面接に呼ばれ、無事に審査を通過した者が合格となります。 申請書類を提出した3ヶ月後の8月に、父を病気で亡くしました。長く闘病生活を送っていた父。私が環境研究を目指すきっかけとなった父。私を守り、支えてくれていた父。父の死は、今でもとても悲しく、今でもとても寂しく、今でも父を思い出しては涙します。父の葬儀の翌日、私は、1次書類選考の合格通知を郵送で受け取りました。これは、父からの贈り物のように感じました。 2次面接まで、準備に準備を重ね、迎えた当日。空は美しく晴れていました。自分の番がやってきて、面接室に呼ばれました。「失礼します」とドアを開けると、なんと、そこは、思いもよらないほど大きな会議室。そして、そこに、ずらりと、審査員の先生方がコの字型に座っていらっしゃいました。おそらく、15人?

  • ポスドク(日本学術振興会特別研究員)

    無事に博士号を取得して、ポスドクとなりました。 ポスドクには、 ボスが持っている研究資金で雇ってもらうタイプと、 自分で獲得した研究資金で自分の給料を払うタイプとあります。(フェローシップ) もちろん、競争が激しいのは、二番目の、自分で研究費を獲得する、フェローシップのタイプ。日本で一番有名なポスドクフェローシップは、日本学術振興会が公募する、特別研究員です。 日本学術振興会特別研究員には、 博士課程の学生 博士号を取得したポスドク の、2タイプがあります。 私が応募した当時、私は博士課程の2年生だったので、博士課程の学生枠へ応募しました。高倍率の中、幸運にも採用されたのですが、採用決定後、4月の任期開始前に、博士号を取得することができたので、ポスドクとして昇級されました。これは、本当にラッキーでした。 任期は2年間。給料のほか、毎年百万円の研究費が支給されます。 私は、循環センターで引き続き、ポスドクの1年目を過ごし、2年目は、自分の経験のため、他の研究機関へ移動することに決めました。 そして、2年目の研究は、東京大学大学院新領域科学専攻のY教授の元で行わせて頂くことになります。私は

  • ポスドク(日本学術振興会特別研究員)

    無事に博士号を取得して、ポスドクとなりました。 ポスドクには、 ボスが持っている研究資金で雇ってもらうタイプと、 自分で獲得した研究資金で自分の給料を払うタイプとあります。(フェローシップ) もちろん、競争が激しいのは、二番目の、自分で研究費を獲得する、フェローシップのタイプ。日本で一番有名なポスドクフェローシップは、日本学術振興会が公募する、特別研究員です。 日本学術振興会特別研究員には、 博士課程の学生 博士号を取得したポスドク の、2タイプがあります。 私が応募した当時、私は博士課程の2年生だったので、博士課程の学生枠へ応募しました。高倍率の中、幸運にも採用されたのですが、採用決定後、4月の任期開始前に、博士号を取得することができたので、ポスドクとして昇級されました。これは、本当にラッキーでした。 任期は2年間。給料のほか、毎年百万円の研究費が支給されます。 私は、循環センターで引き続き、ポスドクの1年目を過ごし、2年目は、自分の経験のため、他の研究機関へ移動することに決めました。 そして、2年目の研究は、東京大学大学院新領域科学専攻のY教授の元で行わせて頂くことになります。私は

  • 楽しかった循環センター&博士号取得

    こうして、国環研・循環センターにて実験補助として働くこととなった私。 この仕事に就くにあたり、東京から茨城県へ、再びの引越しです。 循環センターでの日々は、本当に、毎日が楽しく、充実した日々でした。 初めて国環研に派遣してもらったものの、何も分からずに泣いて終わった修士1年生の頃に比べ、やはり、わずかでも成長していたのか、それとも、実験補助という、「言われたことをきちんとこなすことが求められる仕事」が、自分にとても合っていたのか、いずれにせよ、私の日々は、本当に、充実して、楽しく、本当に幸福でした。 循環センターは、新しく立ち上がった研究センターであり、研究員の先生方も、実験補助のみなさんも、事務職員の方々も、ほぼ全員が、外部から国環研に転職されてきた方々でした。私が入所した当時は、まだ、50名いない程度でしたので、すぐに皆さんと親しくなり、毎日、楽しく、一緒にお仕事をさせて頂いていました。私は、有機化学物質の微量分析がご専門のN先生の元で実験補助をさせて頂くことになりました。N先生は、私の能力のちょっと上のところを、私に与えてくださる方で、私は、N先生のご指示に従うことで、自然と、自

  • 楽しかった循環センター&博士号取得

    こうして、国環研・循環センターにて実験補助として働くこととなった私。 この仕事に就くにあたり、東京から茨城県へ、再びの引越しです。 循環センターでの日々は、本当に、毎日が楽しく、充実した日々でした。 初めて国環研に派遣してもらったものの、何も分からずに泣いて終わった修士1年生の頃に比べ、やはり、わずかでも成長していたのか、それとも、実験補助という、「言われたことをきちんとこなすことが求められる仕事」が、自分にとても合っていたのか、いずれにせよ、私の日々は、本当に、充実して、楽しく、本当に幸福でした。 循環センターは、新しく立ち上がった研究センターであり、研究員の先生方も、実験補助のみなさんも、事務職員の方々も、ほぼ全員が、外部から国環研に転職されてきた方々でした。私が入所した当時は、まだ、50名いない程度でしたので、すぐに皆さんと親しくなり、毎日、楽しく、一緒にお仕事をさせて頂いていました。私は、有機化学物質の微量分析がご専門のN先生の元で実験補助をさせて頂くことになりました。N先生は、私の能力のちょっと上のところを、私に与えてくださる方で、私は、N先生のご指示に従うことで、自然と、自

  • そして、再び、国立環境研究所へ

    大腸ポリープの手術を無事に終えると、あれほど痛かったお腹が、すっかりと元に戻り、普通の生活が可能になりました。そこで、手ごろなアルバイトの仕事を探し、数ヶ月、アルバイト生活を送っていた私。実験室とは、全く無縁な毎日。アルバイト先はお台場にあり、お昼の休憩時間に外に出ると、幸せそうな人々の笑顔。 「わたし、ここで、何やってるんだろう、、、、」 アルバイトの仕事には、何の問題もないのだけれど、ここが自分の居場所だとは、とても思えない毎日。14歳のころから、ずっと環境研究者になることだけを考え、15歳の頃から、実験と化学とともに生きてきた私には、お台場のキラキラと照明の明るい店舗で働く日々は、とても自分の人生だとは思えなかったのです。 そして、ふと、「つくばで、実験補助の仕事でもないだろうか?」と思いつきます。 「研究者になるのは無理でも、実験補助の仕事ならできるかもしれない。」 家に帰り、インターネットでつくばの実験補助の仕事を探しました。 そして、国立環境研究所の化学グループで、実験補助を募集していることを見つけます。 早速、担当者の先生に、自分の履歴書を添付した問合せのメールを送りまし

  • そして、再び、国立環境研究所へ

    大腸ポリープの手術を無事に終えると、あれほど痛かったお腹が、すっかりと元に戻り、普通の生活が可能になりました。そこで、手ごろなアルバイトの仕事を探し、数ヶ月、アルバイト生活を送っていた私。実験室とは、全く無縁な毎日。アルバイト先はお台場にあり、お昼の休憩時間に外に出ると、幸せそうな人々の笑顔。 「わたし、ここで、何やってるんだろう、、、、」 アルバイトの仕事には、何の問題もないのだけれど、ここが自分の居場所だとは、とても思えない毎日。14歳のころから、ずっと環境研究者になることだけを考え、15歳の頃から、実験と化学とともに生きてきた私には、お台場のキラキラと照明の明るい店舗で働く日々は、とても自分の人生だとは思えなかったのです。 そして、ふと、「つくばで、実験補助の仕事でもないだろうか?」と思いつきます。 「研究者になるのは無理でも、実験補助の仕事ならできるかもしれない。」 家に帰り、インターネットでつくばの実験補助の仕事を探しました。 そして、国立環境研究所の化学グループで、実験補助を募集していることを見つけます。 早速、担当者の先生に、自分の履歴書を添付した問合せのメールを送りまし

  • 再びの東大

    酸化チタン膜による環境汚染の改善を研究したいと思い始めた私。 その道の先駆者でいらっしゃった、東京大学先端科学技術研究センターのH教授の研究室を訪れます。H先生のお人柄が、本当に素晴らしくて!先生に頼み、週1度行われているゼミに参加させて頂くことになりました。 (そう。ゼミは、他大学のゼミでも、お願いすれば、参加を許可してくださる先生もいらっしゃいます。修士課程のうちから、博士課程進学希望の研究室のゼミに参加しておくことで、その研究室の様子や、先輩方・同級生とも親しくなれますし、研究テーマについても深く考えられるようになるので、とても良い経験となります。おすすめです!) 私は、ゼミに参加しながら、「私が、このテーマで博士課程にすぐに進学するのは、知識的に、まだ無理」と感じました。そこで、先生に「博士課程の進学は1年、先延ばしにしたい。1年間は、ゼミに参加しつつ、自習だけさせてください」と頼みました。すると、「じゃあ、実験補助として雇ってあげるから、働きながら勉強したらいいよ」と、なんとも有難い御提案を頂きました。(H先生始め、私は、昔から、本当に、素敵な先生方に救われてきました。) そ

  • 再びの東大

    酸化チタン膜による環境汚染の改善を研究したいと思い始めた私。 その道の先駆者でいらっしゃった、東京大学先端科学技術研究センターのH教授の研究室を訪れます。H先生のお人柄が、本当に素晴らしくて!先生に頼み、週1度行われているゼミに参加させて頂くことになりました。 (そう。ゼミは、他大学のゼミでも、お願いすれば、参加を許可してくださる先生もいらっしゃいます。修士課程のうちから、博士課程進学希望の研究室のゼミに参加しておくことで、その研究室の様子や、先輩方・同級生とも親しくなれますし、研究テーマについても深く考えられるようになるので、とても良い経験となります。おすすめです!) 私は、ゼミに参加しながら、「私が、このテーマで博士課程にすぐに進学するのは、知識的に、まだ無理」と感じました。そこで、先生に「博士課程の進学は1年、先延ばしにしたい。1年間は、ゼミに参加しつつ、自習だけさせてください」と頼みました。すると、「じゃあ、実験補助として雇ってあげるから、働きながら勉強したらいいよ」と、なんとも有難い御提案を頂きました。(H先生始め、私は、昔から、本当に、素敵な先生方に救われてきました。) そ

  • 修士2年目

    夢の国立環境研究所から、大学へと逃げ帰ってきた私。 修士2年目、さて、これから、どうしよう。 修士終了後、私は、どうしていくのか。 研究を諦めるのか。どうするのか。 東京に戻り、だいぶ、体調も回復してきた私は、やはり、博士課程に進みたいと思うようになりました。 そこで、自分に問いました。 「今まで、”環境に関する研究がしたい”と、漠然としすぎていたのかもしれない。もっと、自分が、「これだ!」と思える、自分の全情熱を捧げることができるような、そんな研究テーマを探さないと。」と。 そこで、沢山の本を読み、あちこちの研究室に見学に行き、学生さんや、教授の先生方と、お話をさせて頂きました。 (このときに得られた知見は、また、後で改めて詳しくご説明したいと思います。) その結果、私は、「そこにあるだけで、環境汚染がよくなる物体が作りたい」と思うようになりました。 そこで、酸化チタンの光触媒効果について知るわけです。 酸化チタン膜に紫外線があたると、そこにある大気汚染物質が分解されるというものでした。「これを、大きな橋に塗ったり、大きなビルに塗ったりすれば、大気汚染が削減される!」と、私は、酸化チ

  • 修士2年目

    夢の国立環境研究所から、大学へと逃げ帰ってきた私。 修士2年目、さて、これから、どうしよう。 修士終了後、私は、どうしていくのか。 研究を諦めるのか。どうするのか。 東京に戻り、だいぶ、体調も回復してきた私は、やはり、博士課程に進みたいと思うようになりました。 そこで、自分に問いました。 「今まで、”環境に関する研究がしたい”と、漠然としすぎていたのかもしれない。もっと、自分が、「これだ!」と思える、自分の全情熱を捧げることができるような、そんな研究テーマを探さないと。」と。 そこで、沢山の本を読み、あちこちの研究室に見学に行き、学生さんや、教授の先生方と、お話をさせて頂きました。 (このときに得られた知見は、また、後で改めて詳しくご説明したいと思います。) その結果、私は、「そこにあるだけで、環境汚染がよくなる物体が作りたい」と思うようになりました。 そこで、酸化チタンの光触媒効果について知るわけです。 酸化チタン膜に紫外線があたると、そこにある大気汚染物質が分解されるというものでした。「これを、大きな橋に塗ったり、大きなビルに塗ったりすれば、大気汚染が削減される!」と、私は、酸化チ

  • 夢の国立環境研究所、、のはずが、、

    ついに、夢の国立環境研究所へ派遣された私。 研究所から歩いて5分以内のところに住む場所も見つけ、ウキウキな気持ちでスタートした夢の研究所生活、、、のはずでした、が! 分からないことが多すぎる!! まず、机が割り当てられたのは、大きな実験室の一角。 私の面倒を見てくれることになった研究員のK先生は、とても穏やかなお人柄。 でも、とてもお忙しく、常にコンピューターでご自身のお仕事をされていて、私は、いったい何をしたらいいのか、全然分からず。 「何をしたらいいのでしょうか?」とK先生に聞くと、 「すぐに教えてもらおうと思わないで、人を見て学びなさい」とのお返事。 (今、思えば、馬鹿な話なんですけど。研究所にまでやってきて、「自分でやりたいこと」も、何もなく、ぼーっとしてるなんて。私を引き受けて下さったK先生も、「なんて、使えない子なんだ」と思われていたかも。まぁ、大学4年生で、初めての”環境研究”に舞い上がっていた私は、要するに、何も考えてなかったわけなんですよね。) でも、当時の私には、分からなかったんですよ、、、ほんとに、、、、 バイカル湖・湖底の柱状コア中の無機化学分析を時系列的に行う

  • 夢の国立環境研究所、、のはずが、、

    ついに、夢の国立環境研究所へ派遣された私。 研究所から歩いて5分以内のところに住む場所も見つけ、ウキウキな気持ちでスタートした夢の研究所生活、、、のはずでした、が! 分からないことが多すぎる!! まず、机が割り当てられたのは、大きな実験室の一角。 私の面倒を見てくれることになった研究員のK先生は、とても穏やかなお人柄。 でも、とてもお忙しく、常にコンピューターでご自身のお仕事をされていて、私は、いったい何をしたらいいのか、全然分からず。 「何をしたらいいのでしょうか?」とK先生に聞くと、 「すぐに教えてもらおうと思わないで、人を見て学びなさい」とのお返事。 (今、思えば、馬鹿な話なんですけど。研究所にまでやってきて、「自分でやりたいこと」も、何もなく、ぼーっとしてるなんて。私を引き受けて下さったK先生も、「なんて、使えない子なんだ」と思われていたかも。まぁ、大学4年生で、初めての”環境研究”に舞い上がっていた私は、要するに、何も考えてなかったわけなんですよね。) でも、当時の私には、分からなかったんですよ、、、ほんとに、、、、 バイカル湖・湖底の柱状コア中の無機化学分析を時系列的に行う

  • お茶大大学院と国立環境研究所

    東大大学院試験に、物理零点で落ちた私。 さて、どうしようかと考えていたところ、 当時の卒研担当教授から、「私のところで修士やるなら、国立環境研究所に行かせてあげるわよ」と、嬉しいご提案を頂きました。 そう!国立環境研究所! 私が、14歳のときに、「環境研究者になろう」というきっかけを与えてくれた運命の場所! 「絶対に行きたいです!」と即答し、冬のお茶大大学院入試を受験。無事に合格した私は、4月から国立環境研究所の化学研究グループに派遣されることになるのです。 ここから、更なる波乱の道が続くとも、思いもせずに、、、、 (つづく)

  • お茶大大学院と国立環境研究所

    東大大学院試験に、物理零点で落ちた私。 さて、どうしようかと考えていたところ、 当時の卒研担当教授から、「私のところで修士やるなら、国立環境研究所に行かせてあげるわよ」と、嬉しいご提案を頂きました。 そう!国立環境研究所! 私が、14歳のときに、「環境研究者になろう」というきっかけを与えてくれた運命の場所! 「絶対に行きたいです!」と即答し、冬のお茶大大学院入試を受験。無事に合格した私は、4月から国立環境研究所の化学研究グループに派遣されることになるのです。 ここから、更なる波乱の道が続くとも、思いもせずに、、、、 (つづく)

  • 大学院入試(東大海洋研究所)

    大学4年生の時に、当時、東京大学の海洋研究所に所属されていたG先生の授業「環境化学」を受講しました。これが、私にとって、念願の、初めての、「環境」に関する授業でした。受講前から、もう、嬉しくて、嬉しくて、授業も、我ながら、とても熱心に聞いていたのを今でも覚えています。G先生のお人柄も素晴らしく、私は、あっという間に、先生の大ファンになりました。先生からのご提案で、海洋研究所が所有する、海洋探査船・白鴎丸を見に行くツアーが開催されました。たしか、豊洲に帰港していたところを見学しに行ったような気がします。その後、海洋研究所にも見学に行き、私は、「大学院からは、ここで学びたい」と強く思いました。 しかし、海洋研究所に所属するには、東京大学大学院理学系研究科地球惑星物理学専攻の大学院試験を受けなければならず、試験科目は、英語、物理、地球科学の3科目。今まで、化学を専門としてきた私にとって、大学院入試レベルの物理と地球科学を、夏の入試までに勉強することは、かなり無謀なチャレンジでしたが、私は必死で勉強しました。夏の間、独り住まいのアパートに籠り、寝る間を惜しんで勉強しました。壁には暗記のカードを

  • 大学院入試(東大海洋研究所)

    大学4年生の時に、当時、東京大学の海洋研究所に所属されていたG先生の授業「環境化学」を受講しました。これが、私にとって、念願の、初めての、「環境」に関する授業でした。受講前から、もう、嬉しくて、嬉しくて、授業も、我ながら、とても熱心に聞いていたのを今でも覚えています。G先生のお人柄も素晴らしく、私は、あっという間に、先生の大ファンになりました。先生からのご提案で、海洋研究所が所有する、海洋探査船・白鴎丸を見に行くツアーが開催されました。たしか、豊洲に帰港していたところを見学しに行ったような気がします。その後、海洋研究所にも見学に行き、私は、「大学院からは、ここで学びたい」と強く思いました。 しかし、海洋研究所に所属するには、東京大学大学院理学系研究科地球惑星物理学専攻の大学院試験を受けなければならず、試験科目は、英語、物理、地球科学の3科目。今まで、化学を専門としてきた私にとって、大学院入試レベルの物理と地球科学を、夏の入試までに勉強することは、かなり無謀なチャレンジでしたが、私は必死で勉強しました。夏の間、独り住まいのアパートに籠り、寝る間を惜しんで勉強しました。壁には暗記のカードを

  • お茶の水女子大学理学部化学科

    こうして、お茶の水女子大学へ無事に3年次編入学を果たした私。 男子ばかりの高専から、女子大への入学は、最初、ちょっと戸惑いもありました。 なにせ、みんな、可愛らしい! 高専では、全校生徒1000人中、女子が80人程度だったので、ほぼ男子校。 夏は、上半身裸で、頭にタオルを巻いて授業を受けているような男子に囲まれて、自分も、車やらバイクやら焼肉やら居酒屋やらで、彼らと一緒に青春を過ごしていた私にとって、クラスメイトはみんな、可憐なお花のように見えました。(笑) 高専時代のクラスメイト(男子)に電話して、「なんか、教室が、めちゃいい匂いするんだよー!!」と、鼻息荒く報告する私に、「おまえー、セリフが男だな」と、ツッコミ入れられてました。最初の3ヶ月程度は、ちょっとしたカルチャーショックに当たっていた気がします。 お茶の水女子大学は、国立大学ですが、極少人数制で、1クラスの人数がとても少ないのが特徴です。(音楽系の学科では、生徒数3人なんていう学科もありました!)理学部の学科は、大学内では人数が多めであったにもかかわらず、1クラス40名。なので、クラスの皆が仲良しで、編入生だった私も、あっと

  • お茶の水女子大学理学部化学科

    こうして、お茶の水女子大学へ無事に3年次編入学を果たした私。 男子ばかりの高専から、女子大への入学は、最初、ちょっと戸惑いもありました。 なにせ、みんな、可愛らしい! 高専では、全校生徒1000人中、女子が80人程度だったので、ほぼ男子校。 夏は、上半身裸で、頭にタオルを巻いて授業を受けているような男子に囲まれて、自分も、車やらバイクやら焼肉やら居酒屋やらで、彼らと一緒に青春を過ごしていた私にとって、クラスメイトはみんな、可憐なお花のように見えました。(笑) 高専時代のクラスメイト(男子)に電話して、「なんか、教室が、めちゃいい匂いするんだよー!!」と、鼻息荒く報告する私に、「おまえー、セリフが男だな」と、ツッコミ入れられてました。最初の3ヶ月程度は、ちょっとしたカルチャーショックに当たっていた気がします。 お茶の水女子大学は、国立大学ですが、極少人数制で、1クラスの人数がとても少ないのが特徴です。(音楽系の学科では、生徒数3人なんていう学科もありました!)理学部の学科は、大学内では人数が多めであったにもかかわらず、1クラス40名。なので、クラスの皆が仲良しで、編入生だった私も、あっと

  • 大学は理学部へ(大学三年次編入試験)

    入学当初より、高専で5年間工業化学を学んだ後は、大学へ3年次編入学すると決めていた私。 大学3年次編入試験については、あまり知らせていませんが、実は、国立大学が受け放題という利点がありました。 当時、国立大学を受験するには、高校3年生のときに、センター試験なるものを受験して、国立大学は1校だけしか受験できませんでしたが、3年次編入試験というものは、個々の大学が独自の試験内容と決め、試験日も、各大学の都合で決められていました。 つまり、試験日が重ならなければ、国立大学が受け放題な訳です。 ただ、各大学の募集人数は、非常に少なく、 まれに、15人など、多い人数を募集する大学もありましたが、基本は、1〜3人程度。 (高専生のために創られた、科学技術大学(通称、科技大)は、人数50人程度募集していたように思います。) さらに、その年、その年、募集する人数が変動するため、募集が突然無くなる年もあります。募集内容は、4月か5月ごろに発表されたような、、、、(ちょっと、ここは、記憶が定かではありません。)試験は、いずれの大学も7月・8月ごろに開催されてました。 募集がよく来るのは、工学部で、(高専向

  • 大学は理学部へ(大学三年次編入試験)

    入学当初より、高専で5年間工業化学を学んだ後は、大学へ3年次編入学すると決めていた私。 大学3年次編入試験については、あまり知らせていませんが、実は、国立大学が受け放題という利点がありました。 当時、国立大学を受験するには、高校3年生のときに、センター試験なるものを受験して、国立大学は1校だけしか受験できませんでしたが、3年次編入試験というものは、個々の大学が独自の試験内容と決め、試験日も、各大学の都合で決められていました。 つまり、試験日が重ならなければ、国立大学が受け放題な訳です。 ただ、各大学の募集人数は、非常に少なく、 まれに、15人など、多い人数を募集する大学もありましたが、基本は、1〜3人程度。 (高専生のために創られた、科学技術大学(通称、科技大)は、人数50人程度募集していたように思います。) さらに、その年、その年、募集する人数が変動するため、募集が突然無くなる年もあります。募集内容は、4月か5月ごろに発表されたような、、、、(ちょっと、ここは、記憶が定かではありません。)試験は、いずれの大学も7月・8月ごろに開催されてました。 募集がよく来るのは、工学部で、(高専向

  • フランス交換留学制度

    高専への進学を決める際に魅力的だった、フランスの大学への交換留学制度は、「フランス2週間+イギリス4日間」という短期留学でしたが、 フランスの大学で専攻科目の授業と実験を受講することができ、 日本語を専攻しているフランス人学生との懇談会が毎日開催され、 イギリスでのミニ観光もできる上に、 留学にかかる費用は、全てスポンサーによって支給される という、素晴らしい条件でした。しかし、この留学制度は、毎年、4年生の中から、選抜試験で勝ち残った三人だけが行けるという、高倍率な競争でした。 留学希望者は、 まず、第二外国語でフランス語を履修していることが条件となり、 次に、第一次選抜試験として英語の試験を受けさせられました。 この第一次選抜試験に合格したものだけが、次の段階に進むことが可能となり、 そのものには、 毎週の実験レポートを全て英語で作成すること、 毎週出されるテーマに関する英文レポートを作成すること、 の二つが課せられました。 毎日の授業と課題に上乗せで、この英語レポートを提出するというのは、なかなかハードでした。今のように、インターネットも無い時代ですから、分からない単語などは、辞

  • フランス交換留学制度

    高専への進学を決める際に魅力的だった、フランスの大学への交換留学制度は、「フランス2週間+イギリス4日間」という短期留学でしたが、 フランスの大学で専攻科目の授業と実験を受講することができ、 日本語を専攻しているフランス人学生との懇談会が毎日開催され、 イギリスでのミニ観光もできる上に、 留学にかかる費用は、全てスポンサーによって支給される という、素晴らしい条件でした。しかし、この留学制度は、毎年、4年生の中から、選抜試験で勝ち残った三人だけが行けるという、高倍率な競争でした。 留学希望者は、 まず、第二外国語でフランス語を履修していることが条件となり、 次に、第一次選抜試験として英語の試験を受けさせられました。 この第一次選抜試験に合格したものだけが、次の段階に進むことが可能となり、 そのものには、 毎週の実験レポートを全て英語で作成すること、 毎週出されるテーマに関する英文レポートを作成すること、 の二つが課せられました。 毎日の授業と課題に上乗せで、この英語レポートを提出するというのは、なかなかハードでした。今のように、インターネットも無い時代ですから、分からない単語などは、辞

  • 高専での日々

    前回、環境研究者を目指すべく、高専へ入学したことを書きました。 今日は、その続き。高専での日々について。 高専では、5年間、みっちりと工業化学に関する勉強をしました。 基本の「化学」から、「無機化学」「有機化学」「分析化学」「物理化学」「触媒化学」「錯体化学」「電気化学」「生化学」「機器分析」「無機工業化学」「有機工業化学」「化学工学」「発酵工学」、、、、などなど。この他、数学と物理、設計、ITなど、いま思い返しても、充実の授業内容だったなぁと思います。(懐かしい。) 専門分野が、多く、深い分、国語、英語、地理、歴史、といった一般教科は、とてもサラッとしていました。でも、この点も、私の希望通りだったので、私にとって、高専進学は、本当に、ぴったりの進路だったと、今でも思います。(高専がなければ、今の私は絶対に無かった!) また、当時の高校は、月曜日から土曜日まで通学日で日曜日だけが休みでしたが、高専は、1日の授業が長い分、月曜日から金曜日までが授業日で、土曜日・日曜日が休みでした。1日中自由な日が多く欲しかった私には、この点も合っていたと思います。また、高校が3学期制なところ、高専は2学

  • 高専での日々

    前回、環境研究者を目指すべく、高専へ入学したことを書きました。 今日は、その続き。高専での日々について。 高専では、5年間、みっちりと工業化学に関する勉強をしました。 基本の「化学」から、「無機化学」「有機化学」「分析化学」「物理化学」「触媒化学」「錯体化学」「電気化学」「生化学」「機器分析」「無機工業化学」「有機工業化学」「化学工学」「発酵工学」、、、、などなど。この他、数学と物理、設計、ITなど、いま思い返しても、充実の授業内容だったなぁと思います。(懐かしい。) 専門分野が、多く、深い分、国語、英語、地理、歴史、といった一般教科は、とてもサラッとしていました。でも、この点も、私の希望通りだったので、私にとって、高専進学は、本当に、ぴったりの進路だったと、今でも思います。(高専がなければ、今の私は絶対に無かった!) また、当時の高校は、月曜日から土曜日まで通学日で日曜日だけが休みでしたが、高専は、1日の授業が長い分、月曜日から金曜日までが授業日で、土曜日・日曜日が休みでした。1日中自由な日が多く欲しかった私には、この点も合っていたと思います。また、高校が3学期制なところ、高専は2学

  • 自己紹介動画をついに撮りました。

    みなさん、こんにちは! ついに、今日、自己紹介動画を撮影しました! いやー、動画って、見てると簡単そうですけど、実際に自分でやってみると、ほんと、難しい! いろいろと悩みました。何を話そう、というところから始まり、どこで撮ろうかとか、どうやって撮ろうかとか、どの電気をつけるかとか、化粧しないけどいいんだろうか、とか、そんな、どうでも良いようなことまで。(笑) でも、とりあえず、1つ撮ってみないことには、始まらない!ということで。 今日、無事に撮れてよかったです。 動画編集なんて、高度なことをやろうと企むと、いったいいつになったら公開できるか分からないので、編集無しで、ひとまず、公開してみようと思います。 これで、PB、最初の1歩。 需要があるか無いか、分かりませんが(笑)、とにかく、コツコツとやっていきたいと思います。

  • 自己紹介動画をついに撮りました。

    みなさん、こんにちは! ついに、今日、自己紹介動画を撮影しました! いやー、動画って、見てると簡単そうですけど、実際に自分でやってみると、ほんと、難しい! いろいろと悩みました。何を話そう、というところから始まり、どこで撮ろうかとか、どうやって撮ろうかとか、どの電気をつけるかとか、化粧しないけどいいんだろうか、とか、そんな、どうでも良いようなことまで。(笑) でも、とりあえず、1つ撮ってみないことには、始まらない!ということで。 今日、無事に撮れてよかったです。 動画編集なんて、高度なことをやろうと企むと、いったいいつになったら公開できるか分からないので、編集無しで、ひとまず、公開してみようと思います。 これで、PB、最初の1歩。 需要があるか無いか、分かりませんが(笑)、とにかく、コツコツとやっていきたいと思います。

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