中野重治の神がかり その4
中野重治の神がかりその4小林は中野と同じ年に、東京神田で生まれた。父は兵庫県出石郡に生まれ、幼くして元但馬藩家老職の小林家の養子となった人物で、小林の母は東京生まれだった。小林の個としての伝統とは東京の伝統だろう。小林の神には、中野のような素朴な汎神論的なものはなく、近代主義的な、「死んだ神」しかいない。伝統も、半ば借り物とするしかない。そんな小林の神となったのは「社会」だった。小林ほど「社会」を怖れた批評家はいない。小林は使用する言葉の無意味性も、文章の非論理性も隠してはいない。だが、反省はしていない。小林が時勢の先頭で呪文を唱えたのは、ただ自分を守るためだった。権力におもねるとか、強者に取り入って利益を得ようとしたのではない。小林はただ「社会」を怖れたのだ。「超人という言葉に人間という言葉がとって代わった。...中野重治の神がかりその4
2021/04/19 22:12