生産性運動導入から、中止まで 第二〇話 国労による反マル生運動
組合員の大量脱退で焦る国労本部 今回は、国労の反撃という点に絞って、何回かに分けてお話をしていこうと思います。 生産性運動は、燎原の火のごとくと表現されるほど、現場に浸透していきました。 国労は、当初は生産性運動に関しては熱心の取り組んでいませんでしたが、昭和45年11月から12月にかけて国労組合員が大量に脱退して、鉄労に鞍替えすると言う事態が発生しました。 これに関しては、国労40年史に下記のように記載されています。 少し引用してみたいと思います。 70年の11月から12月にかけて、国労本部にとっては、かなりショッキングな出来事が幾つかの地本で相次いでおこった。しかもそれは、全国規模で集中的…
2021/01/06 00:46